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第3回 “二段階の戦い”という人生の秘訣

第3回 “二段階の戦い”という人生の秘訣

「大阪事件」を勝利するために必要だった「一歩後退」

佐藤 池田名誉会長の小説『人間革命』を読むと、「大阪事*1」についてくわしく書かれています。
 池田名誉会長は師匠の戸田会長を守るため、選挙違反の罪など犯していないのに、罪を認めたと受け取られてしまう可能性がある調書にいったんサインをしました。
土屋 僕らも「大阪事件」の歴史については『人間革命』で学びました。刑事裁判で無罪になることはほとんど100%ありえないそうですが、池田名誉会長は裁判を通じて「大阪事件」のえんざいを証明します。
佐藤 池田名誉会長の精神力と強さをもってすれば、「大阪事件」についてまったく語らない完全黙秘もしくは否認調書を作ることはできたはずです。しかし、池田名誉会長はもう一回り情勢を大きく見ていました。検察の狙いは何だったか。池田名誉会長が選挙違反指示の容疑を否認したとき、戸田会長を捕まえることが検察の狙いです。
 当時の戸田会長は健康状態が思わしくなかったため、もしあの状況下で逮捕・勾留が長期化すれば、戸田会長は獄中死してしまったかもしれません。牧口常三郎初代会長が戦時中に獄中死し、そのうえ戸田会長まで獄中死するようなことになれば、創価学会を解体できる。検察はそう考えたのでしょう。
 あるとき池田名誉会長は裁判長から「お忙しいでしょうから、もう公判には来なくていいです」と言われます。そのとき池田名誉会長は「いや、大切な大切な関西の同志がいるので、そのために私は来ているのです」と裁判を脇に置くことで、価値を転換してしまった。そして裁判に勝った。
 裁判のためだけに大阪に来ているわけではない。裁判があれば関西の同志に会える。同志を激励できる。こういう切り返しだったわけですよね。
佐藤 そうです。物事が行き詰まりを見せたとき、とにかく進軍することにこだわらず一回引いてみる。一度は後退したように見えても、最終的に勝利すればいい。創価学会員として成功している人を見ていると、このような柔軟性が共通してあります。
 日蓮正宗から圧力をかけられる「宗門事件」が起きた当初、池田名誉会長は「僧俗和合」を重視し、いったん本山に詫びを入れて妥協しようとしました。91年11月、創価学会は日蓮正宗から破門されます。宗門から破門され、本山の縛りから自由になったおかげで、SGIは一気に世界宗教化を進めることができました。ときには一歩後退し、ときには一歩前進するという柔軟な二段階の戦いによって、創価学会は最終的に勝利したのです。創価学会にはこういう強さがあります。
 塙さんは福岡で芸人の世界に入れたのかもしれないのに、一歩後退して創価大学に進学しました。
 まわり道をしたように思えたときもありましたが、今から思い返してみれば、ナイツとして活躍するために全部必要なことだったと思えます。
佐藤 土屋さんは公認会計士試験にあと一回、もう一回と挑戦することもできたのに、一歩後退して別の道を歩んでみようと考え直してみた。一方向へ猪突猛進するのではなく、二段階の生き方をしながら最終的に前へ進む。その根底には、創価学会での真剣な信心があるわけです。「大阪事件」における池田名誉会長も、最終的な勝利を目指して二段階の戦いを繰り広げました。
土屋 「大阪事件」と僕らの生き方を一緒に論じていただくと、とても恐縮します。

※1「大阪事件」 1957年(昭和32年)4月、大阪の参議院補欠選挙で一部の学会員が選挙違反を働き逮捕。検察は池田名誉会長(当時は青年室長)が選挙違反の指示を出したとして逮捕した(1957年7月3日から7月17日まで逮捕・勾留)。「罪を認めなければ、次は戸田城聖第2代会長を逮捕する」と検察は脅迫し、池田名誉会長はいったん罪を認める。法廷闘争は4年半(計84回)にわたり、1962年(昭和37年)1月25日に無罪判決が出た。

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