第二章    過 去(承前)




      6(承前)




 もとみや医師が手に取ったのは数学の問題集で、
なつかしいですね」
 とページを開く。
「ぎょうさん書き込みがありますでしょ? 何時間勉強してもにならへんかったみたいです」
 母はうれしそうに本宮医師の開いた問題集を見た。
「文章題ではべっかいもきちんと書いてありますね。試験前の見直しに使えば、問題集なのに立派な参考書になりますよ」
 ページをりながら本宮医師が言った。
「国語の問題集もあったらよかったんですけど」
 書き込みの量は、他の科目より断然多かった、と母が当時見た感想をらし、その国語だけがないと不思議そうに言った。
「同じ場所にしまわれていたんですか」
「そうです、ひとつの段ボール箱に。高校進学の際に全部捨てかけたんですけど、私が止めました。何かもったいない気がして」
「小中高と全部残してあるんですか」
「いえ、中学のだけです。小学校の問題集とかドリルは処分して、私が絵日記とか図工で描いた絵、工作なんかと一緒に残してます。高校のはやっぱり……」
 母がやっぱりと言ったのは、高校生時代に不登校になったせいだ。ともの高校一年生の時の担任教師が頼りないからだ、と母と父とが話していたのをたかあきは覚えている。
「中学のものは三年間分を保管していたんですか」
 本宮医師は、いやにこだわるが、何か意味があるのだろうか。
「そうです」
「国語が得意なのに、ないんですね」
「はい、でもないのは中三のだけです。先生が受験の話をされたんで、つい中三のもんやと思って。他の学年のも取ってきましょか」
「いや結構です。その中三のものは、現国以外、古典もないんですね」
「国語科は全部やと思います」
「そうですか。では、アルバムを見ながら、おじょうさんと仲が良かった生徒さんを教えてください」
「仲の良かったんは、小学校から一緒やった……」
 母がアルバムを開き、集合写真に目を走らせ、
西にしむらちゃん、いのうえあやちゃんと、こばやしちゃんとは仲良しでした」
 と、本宮医師に告げた。
「二十年ってますから、住所は分かりませんよね」
「みんな結婚して姓が変わってますけど、住所は知ってます。きちんと年賀状は送ってくれてますさかい」
 母は姉に代わって、友人たちに賀状を送っていたのだという。
「住所を教えてもらいたいので、当人の了解を得てもらえますか」
 本宮医師は、毎読新聞の記者が友美のフェルトざいを取材していて、それを作った友美の中学校時代のことを取材する。そういう口実にしてほしいと頼んだ。
「分かりました。そのほうが助かります。事件のことを言うのはかなん、と思ってました」
「もし断られたら、それは仕方ないことですから、けっして無理をなさらないようにお願いします」
「はい。分かったら先生に連絡したらいいんですね」
「お願いします。ではアルバムと本をおあずかりします」
 本宮医師はそれらをわきに抱え、
「お母さん、お父さん、僕は、何があっても友美さんを支えますから、心配しないでください」
 と席を立った。




     7




 日本の警察の捜査力はしろうとが考えているほど低くなかった。けいろうが、ぼり家から戻った明くる日の午後、くらもちから「いんえいらいさん」のロゴを使用した店が見つかったという電話があった。
「どこの店でした?」
「兵庫県あし市です」
「やっぱりたにざきじゅんいちろうゆかりの地でしたか」
「谷崎の好物だったロールケーキ『モカロール』が店名だといいます」
「なるほど、こだわりがありますね」
「その店がオープンしたのは、今年三月です。店長はざわひろし、妻のりんがパティシエをしているようです」
 倉持は店の住所と電話番号を教えてくれた。
「倉持さん、警察の捜査だということを明かしてはいないですよね」
 らぬけいかいしんを持たせるのは、どんな場合でもとくさくではない。
「もちろん。さとられないようにと、捜査員にも注意してます」
 捜査の目的も伝えられないのに、そんな馬鹿なはできない、と倉持はにくっぽく言った。
「そうですね」
 慶太郎は苦笑しながら、続けた。
「その『モカロール』ですが、メディアで紹介された、というこくがありませんでしたか」
「ちょっと待ってください」
 少し間があって、
「新聞で紹介された、というPOPがあったようです。四月二十五日の京洛新聞の夕刊だったということです」
 倉持が調べた刑事に礼を言うのが聞こえた。
「助かります。もう一つお願いがあります。しまざきさんのけいれきですが、けいはん学習支援NPO法人『いしずえ』との関係を調べて欲しいんです」
 法人が五年前に解散していて、素人が調べるのは難しい、と慶太郎は言った。
「例の桜の紙と関係があるんですね」
「おそらく」
 同時に、友美と島崎との接点を明確化することになる。真相に一歩近づいていることは確かだけれど、友美に有利な事実とは言いがたい。
「すでに被害者の経歴を洗い直しているべつどうたいに、そのNPO法人のことを伝えます」
「たぶん主に国語科を担当していたんじゃないか、と。これはあくまで参考ですが」
「そこまで分かっているんですね。了解しました」
 好きだった国語科だけの問題集を処分し、優秀のあかしである桜型のへんを捨てたことが島崎と結びつくとすれば、友美のトラウマはかなりぶかい。カウンセリングにはいっそうのしんちょうさが求められるだろう。
「ではよろしくお願いします」
 慶太郎はスマホを切ったその手で、みつに電話をかける。彼は今、友美の友人のところにいているはずだ。
「はい、先生。何でしょうか」
 明るく聞いてくる光田の声の向こうから、レールの音がする。
「移動中ですね。いま話しても大丈夫ですか」
「いいですよ。午前中におお市内の旧姓小林穂乃花さんと会って、福井に住む西村千佳さんに会うため、さっきまいばらで乗り換えたところです」
 あと一時間二十分ほどかかるようだ、と光田はごげんだ。
「いい話が聞けたんですか」
「そうじゃないんですが、久しぶりの鉄道の旅、のどしゃそうやされてます。案外のりてつの素質があるのかなぁ」
「そういうことですか。いま倉持さんから報告がありまして」
「陰翳礼讃」のロゴを使っていたのが、今年三月にオープンしたケーキ専門店『モカロール』で、店長とパティシエの名前を光田に報告した。
「新しい店なんですね」
「四月二十五日付の京洛新聞夕刊で紹介されたようです」
「そうだったんですか。先を越されたな」
 光田の言い方に悔しさは感じられない。
「これから、その店に行くつもりです。店内には紹介されたことをPOPにしてあるそうですから、その内容も分かるでしょう。そちらは、いつお戻りですか」
 少しでも早く情報交換したかった。
「三人目の井上紗綾さんへのアポは明日の午後なんですよ。明日の午後十時にクリニックに伺いましょうか」
「そうしていただけるとありがたいです」

 すみに事情を話し、午後二時十五分の新快速ひめ行きで芦屋に向かった。
 電車のドアにもたれていると、立ったままの姿勢で何度か舟をいだ。今年で四十五歳、これが四十の時には感じなかった体力のおとろえなのだろう。このところ休みなしの状態が続いているせいか、朝起きても疲れが残っていて体が重い。
 午前中に四人のカウンセリングを終えて、夜には五人のクライエントが待っていると思うと、ついため息が出る。
 カウンセリングは慶太郎の神経もすり減らす。クライエントの表情の変化や小さなしょの意味を、気づかれないように探る作業。言葉はもろつるぎとなるので、言葉選びにもさらに神経を使わねばならない。
 急にクライエントが増えたのもこたえている。一人のクライエントを診察する時間も相対的に少なくなってきているのが申し訳ない。カウンセリングを充実させるためには、診察量を減らすか、診察時間を増やすしかないだろう。
 いずれにしても今のままではいけない。
 四十分ほどで芦屋駅に降り立ち、タブレットに表示されたマップを頼りに『モカロール』を探す。駅前通りを南に歩き西さいごく街道との交差点を過ぎたところに、ブラウンの三角屋根が見えてきた。タブレットの時刻を見ると、駅から五分くらいしか経っていない。
 とはいえ友美は、アパートからここまで一時間以上かけてやってきたのだ。駅のざっとう、電車内のへい空間での人の視線など、うつ傾向にある患者にはいくつものハードルがある。よほどの決心と覚悟があったとみるべきだろう。
 いや、ここまでくれば、何か明確な理由があってほしい、と慶太郎は祈るような思いで、『モカロール』の扉を開けた。
 午後三時過ぎだったせいもあって、店は多くの客でにぎわっていた。内装はもちろんテーブルや椅子、菓子が入ったショーケース、レジ台に至るまでモカをイメージしたコーヒー色で統一されている。レジ横に倉持の話にもあった、新聞記事を紹介するPOPがワイヤースタンドに挟み込まれていた。

『モカロール』の名物その名も「もっと大人のモカロール」が、四月二十五日付けの京洛新聞のグルメ情報のコーナー「うまいもん関西」で紹介されました! あたで執筆していた谷崎潤一郎がこよなく愛したロールケーキに、当店のパティシエがさらに大人のロマンの香りをした「うまいもん」です。ごしょうあれ。

 POPを読んでいると、
「お酒がお嫌でなければ、モカロールがおすすめです」
 白いコックコートに、ブラウンのイージースカーフとエプロン姿の女性が話しかけてきた。
「お酒?」
「はい、ラム酒をふんだんに使用しております」
「そうですか、それはしそうですね」
「おし上がりですか、お持ち帰りですか」
「こちらでいただきます。お土産に二本お願いします」
かしこまりました、お持ち帰りのお時間は?」
「二時間くらいかな」
れいざいをお渡しの際にお付けします。店内でのお召し上がりには、コーヒーとセットですとお得ですが」
「では、それにします」
「コーヒーはアイスですか、ホットにされますか」
「ホットでお願いします」
 と慶太郎は入り口に一番近い席に着いた。
 女性はエプロンからパティシエ帽を取り出してかぶると、ショーケースの奥に入っていった。入れ替わるように白シャツの高校生くらいの女性が出てきた。
 いま言葉を交わしたのがパティシエで、戸沢佳鈴か。
 ケースにはシフォンケーキもある。店にやってきた友美が、新聞で紹介された名物を買わなかったのは、おそらく同じようにラム酒がふんだんに使われていると言われたからだろう。いやそれについては、新聞の紹介記事でも触れているにちがいない。
 最初からモカロールが目的ではなかったということか。
「お待たせ致しました。『もっと大人のモカロール』のコーヒーセットです」
「ここはシフォンケーキも有名なんですか」
 テーブルにケーキの載った皿とコーヒーカップを並べる女性にたずねた。
「シフォンも美味しいですが、有名なのはお酒をかせた大人のケーキで、モカロール以外ではモンブランが人気あります」
「新聞に載ったとPOPにあるけど、その記事のコピーってありますか」
「はい、いまお持ちします」
 すぐにラミネート加工した新聞の切り抜きを持ってきてくれた。
 それを読む前に、ケーキフォークでモカロールを切り取って口に入れた。コーヒーの香りが先にきて、じわっとラム酒が口中から鼻に抜ける。さらに後に引く大人のにがうまかった。これはアルコールが苦手な者には勧められない。
 慶太郎はもう一口ケーキを食べ、コーヒーをすすって新聞記事に目を移す。

 大人のスィーツの決定版!
 谷崎潤一郎が愛した「モカロール」を進化させたうまいもん。
 その名も『モカロール』(兵庫県芦屋市○×町)は、今年三月三日にオープンしたばかり。店のパティシエの戸沢佳鈴さん(31)はみの温泉のしに旅館の一人娘で、物心ついたときから遊び場はちゅうぼうというほど、幼いときから料理が好きだった。「和洋中何でもこなす料理人の仕事をずっと見てました。不思議ときなかったですね」。
 好きこそものの上手なれ、就学前から包丁を握り、魚をさばけたという。そんな佳鈴さんが高校生のときに出会ったのが、旅館が招いたパティシエのピエール・かもした氏だ。高校卒業後、鴨下氏について本格的に洋菓子を学び、一年間のフランス留学を経て二十五歳のとき箕面で菓子店をオープン。熱海で本場モカロールを食べ、シンプルさに魅せられ、谷崎ゆかりの地でもある芦屋でケーキ専門喫茶『モカロール』を開店するに至った。「ぎんを重ねたアラビカ豆で出したコーヒーとラム酒の黄金比を見つけるまで、三カ月もこうさくしました。お陰で、どこにものできない大人の味になったとしています。谷崎潤一郎さんに味わってほしかったですね」と佳鈴さんは白い歯を見せた。甘いものが苦手な人にこそ、味わって欲しいうまいもん、発見!

 と、記事は結ばれていて、その他には佳鈴の顔のアップと店のがいかん写真、店までのアクセス図が掲載されていた。写真の佳鈴は、間違いなくさっき対応してくれた女性だ。
 友美はこの記事を読んで、いくつものなんかんをくぐってきた。何がそうさせたのか、記事を読んでも分からない。
 店の紹介が載ったのが四月二十五日で、シフォンケーキを買ってきたのがゴールデンウイーク明けだと孝昭は記憶している。とすると友美がここを訪れたのは、五月六日か七日ということになる。犯行日は七日。だとすると、一日にストレスのかかることを二つもこなしたことになる。そんなことが可能だとは思えない。ここを訪れたのは五月六日か。
 四月二十五日にこの店を知り、十日あまり経ってからケーキを買いに来た。
 たけとり物語を食べたとき、慶太郎の「もしかしたら、そのシフォンケーキのお店も切り取ってるかもしれないですね」という言葉に、「ほかした」と友美は答えた。
 反応の早さは、れられたくない、という気持ちの表れのように思える。この店の記事を読んだことも、ここでシフォンケーキを買ったこともかくしておきたかったようだ。
 慶太郎は店内を見回す。三月にオープンしたばかりの店に何があるというのだ。
 新聞記事を読んだのなら、名物の「モカロール」にラム酒が使われていることは分かっている。シフォンケーキのじゅつはないから、それを目的に来店したのではない。
 ケーキを買いにきたのではないとすれば、人に会うためか。
 慶太郎は新聞の佳鈴を見る。佳鈴は三十一歳で友美が三十五歳、四つ違い。出身地は大津市と箕面市と離れている。土地や学校以外の接点──。
 慶太郎はスマホの孝昭の番号をタップする。
 電話に出た彼に、
「お姉さんにネット環境はないんですよね」
 といた。
「ない、です。嫌ってましたから」
「お姉さんの知り合いで、戸沢佳鈴という名前を聞いたことはないですか」
「陰翳礼讃」のロゴを使った店が、三月にオープンしたばかりの芦屋の『モカロール』だと分かり、そこのパティシエが佳鈴なのだと説明した。
「かりん……名前に聞き覚えがあるんですが……」
 孝昭のあいまいな言い方に、
「お姉さんのお知り合いですか」
 と慶太郎が聞き直す。
「それこそあの桜型の紙を捨てた頃に、姉が佳鈴という子から手紙をもらったんです。いや正確には、うちの母が病院へ行って受け取ってきました」
 友美は、他の病院に入院している佳鈴に、病院を通して手紙を出したようだ。その返事が送られてきたとき、友美はすでに退院していた。
「知らせを受けたんですけど、姉は二度と病院に行きたくないと言いまして」
「お母さんが取りに行かれたんですね。しかし古堀さん、佳鈴さんの名前をよく覚えていましたね」
「いや、うちの母が風邪予防にカリンシロップを作ってて、朝起きるとそれを飲めとうるさく言ってたんで、それと結びついて覚えているんだと思います」
 それなら記憶ちがいはないだろう。エピソードをともなう記憶は長年されるものだ。
「病院間での通信ということは、佳鈴さんも入院していたんですね。お姉さんは彼女について何か言ってなかったですか」
 コーヒーのおかわりを勧める女性に聞こえないように、慶太郎は声をひそめた。
「いや、佳鈴という名を聞いたのは、それっきりだったと思います」
「そうですか。でも、これでお姉さんが、佳鈴さんに会いに来たことが分かりました。ケーキが目的ではなかったようです」
「ずっと姉と交流があったのかな。そんな様子には気づきませんでしたけど」
「もし親しくしていたのなら、知ってる人が店をオープンさせたんです。何も隠すことはないでしょう」
「なら、どうして急に?」
「新聞記事で、お店のオープンを知り、顔と名前を見たんでしょうね」
「その方に会いたくなった?」
「そうです、何が何でも」
 それほど大切な相手なら、友美は親交をけいぞくさせていただろう。ケーキを買ってきたとき、店のオープンを孝昭に話してもいい。新聞の切り抜きを捨てることもなかったはずだ。だが、嫌いな相手なら、わざわざ会いには来ない。
 二人に共通するのは病院だけだ。同時期に別々の場所で入院生活を送っていた。なおかつ手紙のやり取りをしているのだ。
「佳鈴さんに話をしてみましょう。また連絡します」
 不安そうな声の孝昭に、心配ないと伝え、スマホをテーブルに置き、慶太郎はケーキを平らげた。残ったコーヒーを飲むとレジに向かう。
 せいさんする若い女性に、
「パティシエの戸沢さんに伺いたいことがあるんですが、よろしいでしょうか」
 と言って慶太郎はめいを渡した。
「はあ、何かありましたか」
 女性ががまえた。
「いや、ケーキもコーヒーもとても美味しかった。戸沢さんのご友人を知ってるもので、ごあいさつしようと思いましてね」
 先ほど言葉をわしたけれど、本人とは知らなかったのだ、とことわりを入れた。
「少々お待ちください」
 女性が奥へ行き、佳鈴と共に戻って来た。
 佳鈴は手にした名刺を確認しながら、おした。
「私の友人をご存知だということですが」
「先月もここに来た、古堀友美さんです」
「古堀……?」
 佳鈴はまゆひそめた。
「彼女、シフォンケーキを買いました。ここの名物に使われているラム酒がダメなんで」
「…………」
 名刺を持った手がふるえ出したのを、慶太郎はのがさなかった。
「思い出されました?」
「いえ、いつも店に出て接客するわけじゃないんで……。あっ、あの、本宮さんはテレビでカウンセリングをしていらっしゃるしんりょうないの?」
「ご覧になっていましたか。そうです、テレビに出るだなんてれないことをしている医師です」
「患者さんにわれていて、先生のおひとがらが出ていると思います」
「ありがとうございます。それで、古堀さんですが」
「申し訳ないのですが、存じ上げません」
 佳鈴の調理用手袋をしたままの指が、右の耳たぶに触れた。その後、エプロンの結び目、パティシエ帽へと手をめまぐるしく動かす。
 急に話題を変えるのは、触れられたくない質問をされた場合に多く見られる反応だ。また、一流の料理人なら衛生上、手袋を着けた手で肌をさわらないよう教育されているはずだ。耳たぶに触れたのは、嘘を見破られたくないときにする口をふさぎたいしょうどうの、だいたい行為にちがいない。
 一連の言動は、いつわりのサインだと思って間違いない。佳鈴は友美と会っているし、覚えてもいる。
「入院生活をしていたとき文通をしてた古堀さんですよ。思い出せませんか」
「何をおっしゃってるのか、さっぱり分かりません」
 佳鈴は慶太郎の目を見ず、ドアを気にする。客の来店を機に話を打ち切りたいのかもしれない。明らかにいらついている。
 いっかいの客について、なぜ嘘をつく必要があるのかを探るため、医師としては胸が痛いが、少し追い詰めなければならない。
「古堀さんのほうは覚えていて、どうしてもあなたに会いたかったようですよ。同じようにしょうびょうとうにいた者同士として」
「やめてください、昔のことです。彼女が何を言ったのか知りませんが、私には関係のないことです。思い出したくないことだってあります。そんなこと先生なら分かるはずじゃないですか」
 と佳鈴が強い調ちょうで言った後、
「あんなもの」
 と弱々しい声でつぶやいた。
「あんなもの?」
「もうお引き取りください。ミクちゃんレジ、お願い」
 佳鈴は女性を呼び、しゃくして厨房のほうへ向かった。
「待ってください、戸沢さん。これに見覚えはありませんか」
 慶太郎は、勝負に出た。「あんなもの」は、何か物を指している。二十年前の手掛かりは、いまもとにある桜型の紙片だけだ。
 指でつまんで腕を伸ばし、散りゆく花びらのように振って見せた。
「そ、それ」
 振り向いた佳鈴は、ふんぎょうそうに変わった。そして、
「やめて!」
 と叫び、その場にしゃがみ込んでしまった。
「どうした」
 奥からコックコート姿の男性が飛び出し、佳鈴に駆け寄る。
「あの人が……」
 佳鈴の指は、慶太郎を指していた。
「あんた、妻に何を?」
 男性が慶太郎に詰め寄る。
「申し訳ありません。ショックを与えるつもりはありませんでした」
 慶太郎は夫である戸沢寛との間合いを空け、名刺を渡した。
「心療内科医がいったい何の用がある」
 寛の鼻息はまだ荒い。
「私の患者に関わる重要なことです。ここでは話せません。どこか話せる場所とお時間を取ってください。その上で、ごしんなら警察に突き出してもらっても結構です」
 慶太郎はパティシエ帽をかぶった寛の目を、じっと見詰めた。
                     〈つづく〉