対決!日本史

第1回 世界と歴史との初めての出合い

第1回 世界と歴史との初めての出合い

このほど安部龍太郎氏(作家)と佐藤優氏(作家・元外務省主任分析官)の対談本『対決! 日本史 戦国から鎖国篇』(発売日2020年6月5日 予約受付中)が上梓されるにあたって、本書の一部を「潮WEB」で無料配信します。第3回までの配信分が、『対決! 日本史 戦国から鎖国篇』の第1章「乱世を生き延びるための『史観』」です。

北京やモスクワ、北朝鮮や韓国のラジオを聴いていた少年時代

佐藤 優 僕は小さいころラジオ少年だったものですから、短波ラジオで北京ペキン放送やモスクワ放送、韓国の国際放送KBSや北朝鮮の平壌ピョンヤン放送をよく聴いていました。ラジオを聴きながら「ああ、世界にはいろいろな国があるのだな」と関心が高じて、高校1年生のときにソ連と東欧へ42日間の一人旅に出かけたのです(詳しくは著書『十五の夏』上下巻、幻冬舎)。あの経験は、僕にとって極めて重要な世界との出合いでした。
安部龍太郎 僕の実家は福岡県黒木町(現・市)のすごい山奥にありまして、ラジオが明確に入るのは中国の北京放送だけでした。NHKをはじめ日本のラジオはガーガー雑音だらけでろくに聴き取れないのに、どういうわけか北京放送だけはすごくクリアに入るのです。
 北京放送は日本人向けに日本語で放送を流していまして「日本の労働者の皆さん!」とか「貧農・下層中農の皆さん!」と呼びかけられたのを、いまでもよく覚えています。あれが僕にとっての最初の国際経験でした。
佐藤 当時のモスクワ放送はソフトでして、アナウンサーの普通のしゃべりとほとんど変わりませんでした。1960年代なかばから70年代半ばはぶんかく(文化大革命)の真っ最中でしたから、北京放送は肩にすごく力が入っていました。それにしても、日本のラジオが入らない山奥でもクリアに聴けたとは、北京放送はものすごい出力でアンテナから電波を発信していたのでしょうね。

作家になることを決意した初めてのインド旅行

安部 僕が初めて海外旅行へ出かけたのは1983年です。28歳のとき、たまたま友人に誘われてインドへ出かけました。
佐藤 夏休みかなにかを利用して出かけたのですか。
安部 そうです。誘ってくれた友人が出版社に勤めていまして、ボーナス代わりにインド旅行券をもらったと言うのです。「半額で行けるからお前も行かんか」と誘われ、思いきって出かけてみることにしました。

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安部龍太郎氏

 当時はまだ役所(東京都大田区役所)に勤めていまして、作家になるかどうか悩みながらなかなか公務員をめられなかったのです。家族も子どももいましたから、役所を辞める決断がつかなくて1〜2年もグジグジ悩んでいました。
佐藤 専業作家になると、毎月の給料もボーナスもゼロですからね。僕も外務省を退職して専業作家になったときには、安部先生と同じ不安感を覚えました。
安部 10日か12日か休みを取ってニューデリー、ヴァーラーナシー、ブッダガヤなどを回りながら「自分はいままで、日本でしか通用しない価値観をもって生きてきたのだな」と非常に強く感じたのです。自分がこれまで縛られてきた価値観なんて、突き放して相対化してみれば、いかにちっぽけなものか。そのことに気づいた僕は、インドから帰国してすぐに役所に辞表を提出しました。
佐藤 28歳のインド旅行が「作家・安部龍太郎」誕生のきっかけだったのですね。

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