創価学会学生部員と『世界宗教の条件とは何か』を語る

第2回 日露交渉を切り拓いた池田・ゴルバチョフ会談

第2回 日露交渉を切り拓いた池田・ゴルバチョフ会談

このほど佐藤優さんの創価大学課外連続講座をもとに編んだ新刊『世界宗教の条件とは何か』(小社刊)が出版された。同書は創価学会学生部メンバーの間で大変な反響を呼んでいる。そこで2019年11月23日、作家の佐藤優さんと創価学会学生部メンバーとの座談会が開催された。参加したのは、首都圏の大学・大学院に通う15人の代表。「佐藤優白熱教室」の模様を、全9回連載でお届けする。学生の氏名は仮名。

20世紀の段階で21世紀を先取りしていた創価学会の平和思想

松島創一(早稲田大学4年) 私は学会4世です。父親自身を含め、父親の家系は創価学会には入会していません。佐藤さんの『世界宗教の条件とは何か』(小社刊)を読みながら、アナロジー(類比)の重要性について認識しました。日本で創価学会の活動をしていると、創価学会の思想がどのように世界に広がっているのか、いま一つピンときません。佐藤さんが解説するキリスト教の世界的広がりと対比しながら「いままさに宗教的革命が起こっているのだ」「私たちは、いまそういうすごい時代を生きているのだ」と勇気づけられました。

一点、質問です。創価学会がもつ生命尊厳の思想を世界に進めていく中で、私たちはどういった団体と関係を結んで協力していくべきでしょうか。

佐藤 地球生態系が危機的状況にあるでしょ。ヨーロッパではいま、大学生が飛行機で移動するのは非常にカッコ悪いことだと思われ始めています。彼らは燃料を大量に燃やして温室効果ガスを排出する飛行機ではなく、列車で移動したがるんだ。それから「牛肉は温室効果ガスの最大の敵だ」と言って、肉を食べることを拒否する運動もあります。


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佐藤優著『世界宗教の条件とは何か』(小社刊)

皆さんはこれから、世界のさまざまなNPOや市民活動と連携していくことになるでしょう。その際、ヴィーガニズム(veganism=動物性の食品を一切食べないライフスタイル)を信奉する団体の中で極端な思想をもっている人たちには気をつけなければいけません。偏狭なヴィーガニズムは、食肉業者を襲撃するテロを起こしていますからね。
生命の尊厳については、皆さんの先輩である公明党の山口那津男代表が興味深い考察をされていたのが印象的です。

〈山口 公明党は結党当初から、すべてのイデオロギーを超越した平和を追求してきました。人間の生命だけが一番尊いわけでもありませんし、人間以外の動物や地球環境を犠牲にし続けることは許されません。そういう生命観が根底にあるから、公明党は結党以来ずっと「平和」「福祉」「環境」を重視してきたのです。
佐藤 いまで言う「エコロジー」という考え方を、公明党はいち早く先取りしていたわけですよね。
山口 だから強い。永続性がある。公明党には揺るぎない確かな信念があるのです。
佐藤 公明党の根底には、存在論的な平和主義が脈打っています。大衆を戦争の現場に行かせない。殺さないし、誰かから殺されもしない。現実に平和を担保していこうという公明党の姿勢に、私は感銘を受けるのです。〉
(佐藤優×山口那津男著『いま、公明党が考えていること』潮新書、71〜72ページ)

国籍によって人を区別するどころか、人間のみならずすべての生物、景観や周辺の環境まで含めて、「エコロジー」という考え方で政治の主体としていく。最終的には宇宙生命と一体化していく。創価学会の皆さんや山口代表がもつこういった思想は、21世紀をすでに先取りしています。

信仰は、まわりとの軋轢の中で揉まれて強くなっていく

佐藤 私は埼玉県大宮市(現・さいたま市大宮区)の出身なんだけど、大宮の氷川神社は「武蔵国一宮」と言われるくらいでして、幼稚園や小学校の遠足では必ずこの神社に連れて行かれます。私の母親は「二礼二拍一礼はやるな」「賽銭は絶対入れるな」「あそこには神様がいないから」ととても厳しかった。だから私はみんなと同じようには神社で拝みません。せいぜい頭を軽く下げるだけです。
まわりを見ると、鳥居をくぐらず外で待っている子どもが3〜4人いるんだよね。彼らは創価学会員でした。ああいう場面で、私のような子どもや創価学会員は疎外感にさらされます。

夏休みのときにも、同じような疎外感がありました。どうしてかというと、私の母親が「お神輿は担ぐな。神輿の上にはキリスト教の神様はいないから」と強く言うのです。当時の学会員の子どもたちも、お神輿は担ぎませんでした。キリスト教も創価学会も、いまは「地域の行事には積極的に参加しましょう」と柔軟になりましたけどね。
当時の学会員の子どもや私は、お祭りでお菓子をもらったりカレーを食べたりするのは構わないけど、お神輿は担げなかった。「ああ、ウチはまわりと違うんだな」という感覚を、あのとき実感したものです。

創価学会学生部の皆さんも、自分が学会員であることを、友だちやバイト先の上司にカムアウト(告白)するかどうかという課題があると思うんです。たとえば大学でガンダム研究会というサークルに入ったとするよね。そこでは信仰の話をしづらかったり、信仰の話をしたところ、辛い思いをしたという体験があるのではないでしょうか。
ここで重要なことの一つは、オタクだと言われようが、ガンダム研究会という足場でガンダムについて究めることです。そうするときっと周囲の信認を得られるはずです。
オタク道を極めていく中で、あるとき「オレは創価学会のメンバーで信心をしているんだ」と言ってみる。すると「あいつは信心をしているから、ここまで徹底的に極められたんだな」という感じで信心が評価されることがあるはずです。
趣味でもいい。何でもいい。いま自分がいる場所で、自分が好きなことをやりながら成功することがすごく重要だと思う。そうしたらみんなの見方が変わるはずです。まわりから明らかに不利益をこうむる状況で、敢えて自分から「オレは学会員だ」と告白する必要はないと思います。
 
多くの創価学会員は、まわりとのあつれきで嫌な思いをしたことがあるんじゃないですか。家庭で教えられている真実と、社会で教えられる真実の間に、ちょっとの差がある。最初は「なんでウチだけ違うんだろうな」と不思議に思うわけだけど、のちにそうした体験が、信仰者としての自分の核になっていく。まわりとの軋轢の中で揉まれ、ストレスの中で揉まれながら、信仰は強くなっていくのです。

佐藤優に石つぶてを投げなかった公明党と創価学会

佐藤 私の人生の中で一番苦しかったのは、鈴木宗男疑惑に連座して、2002年5月に東京地検特捜部に捕まって逮捕されたことでした(※背任と偽計業務妨害容疑で逮捕。512泊513日の東京拘置所生活を送る)。あのときはさまざまな政党が、国会で私を名指ししてメチャクチャに攻撃したものです。でも公明党議員も創価学会も、一度も私のことを攻撃しませんでした。
鈴木宗男さんは02年6月に逮捕されたものの、その後、民主党政権下で新党大地議員として与党入りし、09年9月に衆議院外務委員長に就任します。そのとき公明党の赤松正雄さん(衆議院議員=当時)は、国会の質問でわざわざ私の名前を挙げて、次のように言ってくださいました。

〈鈴木宗男という一人の代議士の生き方というものを見て大変教えられるところが多いというか、本当に自身の信ずる道を懸命に生きておられるなということを強く感じている〉
〈佐藤優さんとそれから鈴木宗男代議士との何といいますか例えようもない友情というか、そういうものを、さまざまな著作を通じて、一生懸命読ませていただいて、教えられるところが多い〉
(09年11月18日、衆議院外務委員会の議事録より)

赤松さんと私は、直接的な接触はそれまで何もありません。でも縁(えにし)はあるのです。なぜ私がそう感じるかというと「たしかに国家に捕まりはした。この人が何らかの強い信念をもっていたから、このようなことになったのだ」ということが、赤松さんには直観的にわかったのでしょう。
赤松さんをはじめ公明党の人たちは、世間の色眼鏡や偏見で人を見ることがありません。なぜか。公明党の価値観は、「偏見で人を判断しない」という創価学会によって支えられているからです。創価学会員の強さはそこなんですよ。

日露外交を救った池田・ゴルバチョフ会談

佐藤 1990年7月25日、自民党の櫻内義雄・衆議院議長がソ連を訪問してゴルバチョフ大統領と会談し、桜の花が咲くころに日本に来てもらおうと考えました。「櫻内」という名前に合わせて桜の季節(春)に話をまとめようと思っていたら、「どうも櫻内さんは北方領土の話をゴルバチョフにしないらしい」と外務省が察知したのです。そこで「北方領土のことについて厳しく触れてくださいね」と櫻内さんに念押ししたところ、彼はネジを巻きすぎちゃいました。

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佐藤優氏と学生部メンバーの語らいは多岐にわたるテーマで進んでいく

会談の冒頭でいきなり「北方領土の返還を解決してください」と言ったところ、ゴルバチョフ大統領は「話はそれしかないのか。その領土を『南方領土』と呼んでもいいんだからな」と言って、表面上は会談時間が15分だったことになっていますが、実際の会談は7分くらいで打ち切りになっちゃったのです。

その2日後(1990年7月27日)に、池田大作先生(創価学会第3代会長)とゴルバチョフ大統領の会談がモスクワで実現しました。そこで当時モスクワの大使館にいた外務省の枝村純郎という大使が、池田先生に橋渡しをお願いしたのです。でも池田先生は躊躇された。どうしてかというと、これは政治のド真ん中の話だからです。「私は文化・教育交流のためにモスクワに来ているのだ」というのが池田先生のお考えでした。
でも池田先生は、そこでこうも考えてくださったのです。「ゴルバチョフ大統領が日本に来るのは、日ソ関係のみならず世界平和に貢献する重要なことである」。池田先生はこうおっしゃいました。「ただし外務省が言うとおりには言いませんよ」。ここが重要なのです。
池田先生はゴルバチョフ大統領との会見の場で「春の桜の季節か、秋の紅葉の季節に日本にいらっしゃってください」。どうして2通りの選択肢を示したかというと、日本で行われる首脳会談は、あらかじめ宮内庁とすり合わせて宮中行事、すなわち天皇の日程を取らなければいけません。天皇主催の宮中晩餐会や会談がありますからね。
天皇の日程を軽々に動かすことはできませんし、モスクワにいる出先の大使が勝手に変えることもできません。池田先生はそのことをわかっていたのだと思います。「私は日本政府の使いではない」という思いが先生にはあったのでしょう。特に天皇の日程を基準にして、ゴルバチョフ来日を考えるわけでは決してない。だから日本政府が想定し、宮内庁とすり合わせていた「桜の季節」という選択肢とは別に、「秋の紅葉」とおっしゃったのだと私は思います。

池田先生との会談の場で、ゴルバチョフ大統領は桜の季節に日本に来ることを約束しました。こうしてゴルバチョフ大統領は桜の季節に日本にやって来て、海部俊樹首相と一緒に「日ソ共同声明」を発表するのです(1991年4月18日)。「日ソ共同声明」では「1956年」という年号が出されました。
日本とソ連は、1956年に「日ソ共同宣言」を結んで国交を回復しています。ただしこのとき、北方領土問題については棚上げされました。以来ソ連は「北方領土に関する問題は我が国には存在しない」というかたくなな立場を取っています。

「日ソ共同声明」では次のように書かれています。
〈日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦が戦争状態の終了及び外交関係の回復を共同で宣言した1956年以来長年にわたって二国間交渉を通じて蓄積されたすべての肯定的要素を活用しつつ建設的かつ精力的に作業するとの確固たる意志を表明した。〉
それまで35年間にわたって停滞していた北方領土問題が、「日ソ共同声明」をきっかけに初めて外交交渉のテーブルにのりました。池田・ゴルバチョフ会談によって1991年春のゴルバチョフ来日が決まらなければ、北方領土問題は交渉のテーブルにのることすらなく遅れていたのです。

池田先生が舞台裏でどんなご苦労をなさっていたかを、当時モスクワで外交官をやっていた私はつぶさに観察していました。池田先生の振る舞いをモスクワで目の当たりにしながら、私は「宗教人であって日本人である。なおかつ世界平和を第一に考えている。宗教人としての道を究めたからこそ、外交の最も難しい問題も解決できるのだ」。そう痛感しました。
ただし、このやり取りは外務省の記録には残っていません。当時モスクワ大使館にいた大使は「この件は本省に報告するな」と言いました。どうしてかというと、日本政府の外交が大失敗して、一宗教団体の代表者にすべてを委ねたことになるわけでしょ。それは日本政府としては非常にカッコ悪い。「だからなかったことにしよう」と記録を揉み消しちゃった。
もし私が鈴木宗男事件で捕まらずいまも外務省にいたら、きっとどこか小さな国の大使をやっていたでしょう。いま皆さんに申し上げた話は誰にも言わず、墓場までもっていって一生を終わっていたと思います。なぜ私が鈴木宗男事件に巻きこまれ、逮捕・投獄されて外務省を去ることになったのか。もしかするといまのお話を証言する使命があるから、私はあの事件に巻きこまれたのかもしれません。

池田先生が国会を傍聴した日

佐藤 池田先生の『若き日の日記』を読むと、1956年の日ソ共同宣言批准の日に、池田先生が奥様と一緒に国会へ傍聴に行ったことが書かれています。
〈二時より、国会へ、日ソ交渉批准の決議を聞きにゆく。約二時間となる。妻と共に。未来、広布の舞台を、思いつつ。〉(『池田大作全集』第37巻、85〜86ページ、(1956年12月5日の記述)
私が『若き日の日記』をはじめさまざまな著作を読む限りにおいて、池田先生が国会の傍聴に行かれたのはこのとき1回だけしかありません。

2019年9月まで、安倍首相はロシアのプーチン大統領と合計27回も日露首脳会談を開いてきました。北方領土問題をめぐる安倍政権の日露交渉は、1956年の「日ソ共同宣言」を軸に動いています。池田・ゴルバチョフ会談とも、もっと深く掘り起こせば1956年の国会傍聴とも、どこか深いところで関係していると皆さんは思いませんか。
連載の第1回で「三代会長論的集中」という話をしました。池田先生を基点にしてもう一回歴史を見直すと、北方領土問題も日本とロシアとの関係にも、別の光が当たってきてきちんと説明できるのです。私のように創価学会の外部にいて、なおかつ外務省で働いた経験がある人間から見ると、池田先生の行動から学べることは非常に大きい。
皆さんはその池田先生の弟子なのですから、先生と同じ生き方がきっとできるはずです。そうすれば、まわりの人たちから必ず尊敬されると思います。自分がいまいる場所で第一人者になっていくことで、その先に、君たちが思いもしない未来が開けていくのです。(第3回へ続く)

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