創価学会学生部員と『世界宗教の条件とは何か』を語る

第1回 師弟不二と核廃絶運動

第1回 師弟不二と核廃絶運動

このほど佐藤優さんの創価大学課外連続講座をもとに編んだ新刊『世界宗教の条件とは何か』(小社刊)が出版された。同書は創価学会学生部メンバーの間で大変な反響を呼んでいる。そこで2019年11月23日、作家の佐藤優さんと創価学会学生部メンバーとの座談会が開催された。参加したのは、首都圏の大学・大学院に通う15人の代表。「佐藤優白熱教室」の模様を、全9回連載でお届けする。学生の氏名は仮名。

キリスト教の師弟関係と創価学会の「師弟不二」

佐藤 優 私の自宅兼仕事場は新宿区の曙橋にあって、創価学会総本部や創価学会世界聖教会館(聖教新聞社)がある信濃町駅とわりに近いのです。『地球時代の哲学 池田・トインビー対談を読み解く』(小社刊)という本を出したころだったか、あるとき四谷三丁目駅のあたりを歩いていたら、私よりちょっと年上の婦人から突然呼び止められました。
「あなた佐藤優さんね」「はい、そうです」「なんかいい本を書いたみたいね。まだ読んでないけど。あなた幸せになるからね」(一同笑)。
婦人部のメンバーが使う創価世界女性会館は、信濃町駅よりも四谷三丁目駅に近いでしょ。その婦人はきっと、創価学会の会合があった帰りに元気いっぱいの状態で私に話しかけてくれたのでしょう。そうやって気軽に声をかけてくれる創価学会の皆さんから、学ぶことがすごくたくさんあります。

大学で学ぶ皆さんは、この社会においては立派な知識人です。でも創価学会の中には大学を出ていないメンバーもたくさんいます。そういうメンバーは、信仰者としての根っこのところから非常に率直な質問を発することがあって、私はよくハッとさせられることがあります。
2015年9月、大激論の末に国会で平和安全法制ができたよね。あのころ学会員から呼び止められると、よく「公明党は大丈夫なんですか」とかれたものです。私は「大丈夫です」と即答して、次のように説明しました。


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佐藤優著『世界宗教の条件とは何か』(小社刊)

「いま置かれた場所で、公明党は与党の一員としてよくがんばっています。集団的自衛権と個別的自衛権の二つの円が重なる部分があるのです。その枠から外れるフルスペックの集団的自衛権は行使しないと、公明党は自民党の当初案に歯止めをかけました。公明党は日本の平和を強化したんです。安心してください」

池田大作先生(創価学会第3代会長)の著書『新・人間革命』(聖教新聞社、第11巻「常勝」の章)を読むと、ベトナム戦争へ派遣されることになったハワイ男子部のメンバーが「私は、いまからベトナムへまいります。人を殺すかもしれませんし、自分が殺されるかもしれません」と先生に訴える場面があります。すると山本伸一(池田先生のペンネーム)はどう答えたか。
「心配する必要はありません。あなたには、御本尊があるではありませんか。御本尊はすべての願いを叶えてくれます。だから、どんな状況でも、題目だけは忘れてはいけない。私も、あなたが無事にハワイに帰るまで、お題目を送り続けます」
根っこのところで御本尊へのお題目をゆめゆめ忘れることなく、公明党議員は国会において必死で論戦をしました。それぞれがいる場所で、信心根本にきちんと平和を維持していく。公明党に「存在論的平和主義」があるからこそ、日本の平和はただ保たれるどころか、以前よりも強化されました。

創価学会は「師弟不二」の重要性を強調します。私が信じるキリスト教においても師弟関係は重要なんですね。ただしキリスト教の師弟関係は「イエス・キリストに服従せよ」といった調子で、服従をすごく強調します。
それに対して皆さんの師弟関係は、弟子から師匠が教わることをもって相互性が担保されているように見えます。ものすごく民主的な「師弟不二」の精神は、これからますます世界宗教へと育っていく創価学会の強みです。
プロテスタントを信じる私は、皆さんから見れば外側にいる「六師外道」の人間ですよね(一同笑)。今日は皆さん、どうぞ率直にいろいろ教えてください。

創価学会学生部が担う使命

森泉拓哉(創価大学4年) 両親、祖父母ともに学会員の学会3世です。佐藤さんの新刊『世界宗教の条件とは何か』(潮出版社)を読ませていただきました。本書を通して、創価学会が今後、世界宗教として飛躍していく中で大切にしていくべき考え方を学び、キリスト教をはじめとする他宗教や異文化から学ぶべき点が多いことに気づきました。
個人的には特に、師弟について述べられている部分が印象的でした。と言いますのも、私は創価小学校から創価中学校・高校を卒業して創価大学へ入学したものの、創立者である池田大作先生に直接お会いしたことは一度もありません。『世界宗教の条件とは何か』(52〜56ページ)を読みながら「師弟が実際に会うことは必ずしも重要ではない」ということを再確認できました。

1点、質問があります。キリスト教が世界宗教化する過程で、学問を学ぶ青年は歴史的にどのような役割を担ってきたのでしょう。創価学会に置き換えれば、私たち学生部の役割と使命とは何なのかという点についてお訊きしたいと思います。

佐藤 学問を学ぶ宗教者が、宗教団体にどういう役割を果たしていくのか。二通りの役割があります。一つは、学知の力を信仰に生かしていく。信心に生かしていく。そういう方向で働いていく役割があります。
もう一つは、学問の世界においても「増上慢」があります。特にキリスト教の場合まずかったのは、聖書の文献学的な研究です。聖書を文献学的に研究していくと、実はイエス・キリストという人が1世紀に存在したのかどうかは実証できません。「イエス・キリストは存在した」とも実証できないし、「イエス・キリストは存在しなかった」とも実証できないのです。そのことが文献学的にわかってしまうと、聖書を研究しているのに信心が揺らいでしまう信徒が現れました。こういう現象があって、キリスト教の世界で無神論が生まれてくるのです。
創価学会の高等部メンバーの中にも「宗教について勉強したい」と思う人がいるでしょう。たとえば東京大学文学部の宗教学科に入るときに、「ここでは特定の神学や教学は学べません。現象としての宗教を見る学問です」と必ず言われます。こういう形での宗教研究は、皆さんの信仰にはつながりません。状況によっては、こういう宗教研究は信仰にとってマイナスになる可能性があります。信心を基本にした形で、学問を学ぶことについてどう考えるか。森泉さんが質問された点は、創価学会学生部メンバーにとってすごく重要です。

創価学会が世界宗教化するにつれて、御書(日蓮大聖人の遺文)の文献学的な研究はこれからますます重要になっていくでしょう。すると当然「真筆」問題が出てくるはずです。すでに身延の日蓮宗では、偽書や代筆の疑いがあるテキストを排除して、彼らが真筆と認定するテキストだけを使ってもう一回御書を再編しているグループもあります。
彼らが偽書と認定する御書の中には、池田先生が御書講義として出版されているものもあります。東京大学宗教学科のようなところで「××の御書は文献実証的には真筆ではない。だから池田大作氏の御書講義を読む意味もない」といったように、実際の信仰とはかけ離れたところでテキスト研究を進めていくと、これは信仰の足場を崩しますよね。
創価学会学生部の皆さんがキリスト教の歴史から学ばなければいけないことは、学問がもつ「増上慢」の怖さだと私は思います。

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