駿風の人

現地取材から見えてきた 今川義元の「真の姿」

現地取材から見えてきた 今川義元の「真の姿」

 今年は戦国大名・今川義元の生誕五〇〇年の節目である。今川義元といえばどのようなイメージを持たれているだろうか。「おけはざの戦いで、織田信長に敗れた武将」「貴族文化に傾倒して時代に乗れなかった人物」といったところだろう。
事実、ドラマなどではを被り、顔に白粉おしろいを塗って、眉は麻呂という貴族然とした風貌で描かれることが多い。敗者の歴史である。しかし、近年ではこのイメージを払拭しようと再考証が積極的に行われ、「名将」としての地位を取り戻しつつある。
 高橋直樹さんの小説『駿しゅんぷうの人』も勇壮な騎馬武者姿の義元が表紙に描かれているように、徹底して「武士」としての義元に注目して描かれた。
「今川という家は、将軍足利家に連なる武士の名門です。義元は母親が貴族出身だったこともあってか誤解されがちですが、実際は誰よりも兵としての意識が高かったのではないでしょうか。世間での義元像と、実際に調べてわかった義元像とのギャップに惹かれて、本書の執筆を始めました」
「今川は兵の家でござる」とは本書の中で義元が何度も口にする言葉だ。


書影『駿風の人』

『駿風の人』
潮出版社/815円(税別)

 義元が当時から武士として評価されていたことを示す異名がある。「海道一の弓取り」という名だ。
「実際に、花倉や桶狭間の周辺などを訪れ、城跡を調べると義元が戦下手どころか、綿密な計画のもとに、当時の大名たちの中でも最先端を行っていたことがわかります」
 小説を執筆する際に、高橋さんが何よりも大切にするのが、実際に現地に赴いてその場を自分の足で歩いてみることだという。それによって文献だけでは見えてこない土地の様子であったり、景色を感じ取れる。
「たとえば桶狭間の戦いでは、『豪雨の中で織田信長が奇襲をした』という事実が一人歩きしてしまいます。ところが、実際に桶狭間に赴いてみると、現在は住宅地に造成されているにもかかわらず、高低差のある起伏した土地が今でもそのままです。また、取材当日は非常に強い風が駿河湾方面から吹きつけていました。それによって、いったい義元や信長がどこに布陣し、動いたのかという想像が具体的に膨らみます」
 さらに三河(静岡)から尾張(愛知)の境にある城跡を見て、桶狭間が主戦場になった理由も高橋さんは考察する。
「義元側の大高城、くつかけ城跡には現在も非常に深い総堀が残っています。小さな城の堀をここまで深くし、整備したのは義元だと考えています。敵地の尾張に入ったところで信長の奇襲があることを予測していたのでしょう。信長は義元がここにいる間は手も足も出なかったに違いありません」
 本書では、桶狭間だけでなく、こうした実地から見えてくる考察を盛り込んだリアルな描写が随所に見られる。
「実は第一章は一度書き上げたのですが、編集さんにお願いして全面改稿しました。それも、そこで描かれる『花倉の乱』の舞台である花倉城へ至るきゅうしゅんな山道を歩いたことで、ガラッと印象が変わったからです」
 最後に今川義元の魅力について高橋さんはこう語る。
「合戦でも、こうそう駿すん三国同盟でも、その根幹にあるのは武家としての今川に誇りと自信を持っていることです。そうした『真の今川義元』の姿を皆さんに読んでもらいたいと願うばかりです」

『潮』8月号(7月5日発売)より転載

髙橋 直樹(たかはし・なおき)/1960年東京生まれ。92年「尼子悲話」で第72回オール讀物新人賞を受賞。95年「異形の寵児」で第114回直木賞候補。97年『鎌倉擾乱』で中山義秀文学賞受賞。『軍師 黒田官兵衛』『五代友厚 蒼海を越えた異端児』『直虎 乱世に咲いた紅き花』など著書多数。

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