シルクロード「仏の道」紀行

第1回 唐の都へ

第1回 唐の都へ

“悠久の歴史”との出会いを求めて

 飛行機が北京ペキンを飛び立ち西に向かうにつれて、空の様子が変わってきた。
 晴れていた空が次第にかすみ、太陽が白っぽく輝いている。空中に浮遊する細かいじんが、光をさえぎっているのである。
 地上に目を向ければ、緑豊かな山は少なくなり、はげ山のようなおうかつしよくの大地がえんえんとつづいている。
 これが中国北西部に広がるおう高原だ。ゴビばくやタクラマカン砂漠から巻き上げられたじんが、二百数十万年前から堆積して出来ている。

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 黄土高原にはそれなりの植生しよくせいがあって生命のバランスを保っていたが、この数千年間に起こった森林伐採過剰かじようかいこん放牧などによってせいたいけいが破壊され、いっそう砂漠化が進んだ。
 その広さは64万平方キロメートルというから、日本の面積の1.5倍にものぼる。我々が毎年春先に悩まされるこうは、この黄土高原から飛来するのである。
「ほら、あれがこうだよ」
 私は後ろの席の窓際に座ったT君に声をかけた。
 黄褐色の大地を細長い川がこうしながら延々と流れている。しかも夕陽をあびて鏡のように輝いていた。
「わぁ、さすがは中国ですね」
 T君は誠実で仕事熱心な好人物だが、感激したり感動すると、少年の昔にもどったようなことを口走ることがある。
 このリアクションもその一例で、当たり前のことを言うなとりを入れたいところだが、よく考えてみると、この一言ほどがんの風景を的確に表現したものはないのかもしれない。
 さすがは中国、まさにその通りである。
 チベット高原を水源地とする黄河は、北へ南へ東へと流れを変え、中国北部を横断してぼつかいへとそそいでいる。その長さは5464キロにもおよぶのだから、日本では想像もできない規模である。
 それに、黄河を制する者は天下を制すという言葉もあるのだから、この河こそが中国を代表していると言っても過言ではないだろう。
「でもね。近頃では黄河の水が渤海まで流れつかないことがあるんだよ」
 私は少し、さすがは中国をけなしてやりたい気分になった。
「そうですか。水不足なんですね」
 これもまたばつぐんのリアクションである。
 水不足の原因は降雨量の減少、温暖化による水面からの蒸発ばかりではない。5400キロも流れる間に、農業用や工業用、生活用水として取水されるので、貴重な水がなくなってしまう。
 これを黄河だんりゆうと呼び、1997年には226日もこの現象が起こったのだから問題は深刻である。
 しかし、水不足なんですねと言われると、二の句が継げなくなったのだった。
 今度の旅は、一人で出かける予定だった。5年前からけんとう使の物語を書く計画を立てていて、毎年北京や西せいあんとんこうなどを訪ねて取材をしている。
 今回も西安、らんしゆう、敦煌を訪ねる予定で、4月10日に出発と決めていたが、直前になってひらめいたと言うべきか、がさしたと言うべきか、T君を誘ってみようと思いついた。
 理由は二つある。
 ひとつは前から「シルクロード『仏の道』紀行」をやろうと申し合わせていたことだ。インドからシルクロードをたどって中国に伝わった仏教のそくせきを訪ねることで、世界史の中の仏教の姿を見つめたいという思いがあった。
 今回は遣唐使の物語を書くための私的な取材だが、やがてこの仕事をする時のためにT君を同行すれば、何かしら展望が開ける気がしたのである。
 もうひとつは、拙著『維新の肖像』を本誌に連載させていただいた時に、主人公の朝河貫一がきようべんを執ったアメリカのイェール大学に、T君と二人で取材に行った。
 この時の彼の仕事ぶりの見事さと、多道中たどうちゆうのような楽しい思い出が記憶にあったので、一人で行くよりはと思い直し、断られるのを覚悟で誘ってみた。
「行きます。本当にいいんですか」
 T君は二つ返事で引き受けてくれたが、これにはびんわん編集者らしい目論見もくろみもあったのだった。

古都・西安はシルクロードの出発点

 西安空港に着くと、ガイドのワンガンさんが迎えてくれた。唐代の歴史に詳しい人をという依頼に応えて旅行社が手配してくれた方で、西安市の名門西北せいほく大学のご出身である。
「ああ、あの西北大学ですか」
 私も少年の昔にもどって感激の声を上げた。
 遣唐使として西暦717年に唐に渡ったせいしんせいは、西北大学の発掘調査によって発見された。
 これによって井真成がべのなかびの真備まきびらと共に長安ちようあん(現在の西安)で学んでいたことや、志半ばにしてこの地で亡くなったことが分かった。
 私はその墓誌がどうしても見たくて、かつて西北大学の資料館を訪ねたことがある。その中に日本という国号が記されていたことが話題になった。
 これが日本という国名が明記された一番古い記録だと、当時は考えられていたからである。
「あの墓誌は今でも西北大学にあります。私も学生の頃勉強しました」
 王さんは今も時々、日本人旅行者を資料館に案内しておられるという。
「井真成は亡くなる時、体はうずめるとも、魂は故郷に帰らんことを願うと言ったと、墓誌に記してありましたね」
「それは少し解釈がちがいます。しかし彼がげんそう皇帝に重用されていたのは事実です。皇帝は彼の死をいたんで、そうそうにあたって特別の計らいをしました。年は36と記されていますから、唐に来てから17年目のことでした」

写真A

はじめの訪問地・西安に到着したのは日本時間の19時頃。ライトアップされた「鼓楼」付近は、多くの人々で賑わっていた

 まさにそうである。井真成が他界した翌年、吉備真備は帰国し、やがて朝廷で重きをなすようになった。
 阿倍仲麻呂も帰国を希望したが、玄宗皇帝は許さなかった。有能な仲麻呂を手放したくなかったのである。
 もし井真成があと1年生きていたなら、真備とともに帰国できたかもしれない。あるいは皇帝は真成を手元に残し、仲麻呂の帰国を許したかもしれない。
 墓誌を見ながらそんなことを思うと、井真成の無念と哀しみが伝わってくる気がしたものだ。
 空港を出て西安に向かったが、その車中でも王さんは休みなく案内をつづけてくれた。
「今日は黄砂がひどいですね。いつもならこの季節には納まっているんですが、近頃は異常気象の影響で予測することがなかなか難しくなっているのです」
 まるで黄砂が舞って申し訳ないと言いたげな口ぶりである。
 中国政府は何とかこれを防ごうと、1999年から黄土高原に植樹を始めたという。
「この空港は西安よりかんよう市に近い所にあります。昔はもっと西安に近かったのですが、あの町はまわりを山に囲まれた盆地なので、冬はきりが発生します。そこで高地である今の場所に移したのです。そうそう、重慶じゆうけい市も霧が多いところです。中国共産党が一時重慶を拠点にしたのは、日本軍のばくげきを霧によって防ぐためでした。ご存じと思いますが」
 すみません。知りませんでした。
「咸陽を都としたのは、しんの始皇帝です。しかし漢の時代になって長安に都を移し、咸陽は皇族の墓地とされたのです。そして墓のまわりに裕福な者たちが家を建てるようになり、金持ちの町ができました」
「それは、どうしてですか」
「中国人にとって立派な墓を作るのは名誉なことでした。おそらく皇族の墓の近くに住むのも名誉なことで、その人のステータスになったのでしょう。また墓参に来た皇族たちを接待することもできますので、権力に食い込むのにも便利だったのだと思います」
 王さんはしきじゆうおう、説明によどみがない。彼と7日間行動を共にしたことで、私とT君は多くのことを学ぶことができたのだった。
 ホテルは西安君楽城堡酒店。西安(長安)城の南門であるえいねいもんのすぐ側にあり、夜にはでんしよくによって浮き上がる巨大な門をのぞむことができる。
 城は明の時代に築かれたもので、周囲は約12キロ。高さ約12メートル、車が通れるほど幅が広い城壁で囲まれている。

写真B

「安定門」付近の城壁の上に建つ安部龍太郎氏。城壁の先は目視することはできなかった

 道路はばんの目状に作られ、東西南北に四つの門が配されている。
 永寧門をくぐって北へ向かうと、東西と南北の大路が交差する所に鐘楼しようろうが建っていた。1384年に建造されたもので、西側に建つろうと対をなしている。
「鐘楼は朝のときを告げ、四つの門の開門を知らせました。鼓楼は夜の刻、閉門の時間を知らせたのです。これは明代だけでなく、唐の時代も同じでした」
 王さんは鼓楼の横を通り抜け、一風変わった繁華街に足を踏み入れた。
 華やかにネオンが灯り、祭りの出店のような飲食店が両側にびっしりと並ぶ通りには、人がごったがえしている。
 ここは回坊風情街。西域からシルクロードを通ってやって来たイスラム教徒たちが、さまざまな店をいとなんでいる。羊の肉をさんしようやスパイスをかせて料理したものや、小麦粉を使ったパンや麺類もある。
 ここから西に向かうと安定あんてい門(西門)があり、シルクロードへの出発点となっている。仏教の経典を求めてインドに向かった玄奘げんじよう三蔵も、この門から旅の第一歩を踏み出したのである。

遣唐使の物語を書こうと思った理由

 西安に来てまず驚いたのは、うどんや豆腐、や納豆など、日本食だと思っていたものがふんだんにあることだ。いずれもルーツはこちらにあり、遣唐留学生や留学僧たちが持ち帰ったものである。
 讃岐うどんは空海が伝えたという伝承があるが、確かにそうかもしれないと思うのは、西安のうどん(ビャンビャン麺が代表的)は汁で煮ないで、ゆでた麺にソースをかけて食べる。これが讃岐うどんとよく似ているのである。
 我々は夕食を取ろうと麺類の店に入った。客でごったがえしているので、料理が来るまでにしばらく時間がかかる。

写真C

回坊風情街

 こんな時はビールを飲んで待ちたいものだが、残念ながらイスラム教徒の店には酒類はおいていない。
「先生はどうして、遣唐使の物語を書こうと思われたのですか」
 王さんが水を飲みながらたずねた。
「それを話すと、少し長くなりますが」
 そう断ってから、私はいきさつを話すことにした。
 きっかけは25年ほど前、一人で中国を旅したことだった。豊臣秀吉の朝鮮出兵を日明双方の視点で描こうという思いもあり、北京、ナンキン上海シヤンハイ厦門アモイ、香港を3週間ほどかけて回った。
 その時感じたのは、日本の歴史や文化は東アジア、特に中国の影響抜きには語れないということだ。漢字、仏教、儒教、道教、年中行事、礼儀作法などなど、日本の根幹をなすものが中国から伝わっている。
 日本を花にたとえるなら、中国は根と幹であり、朝鮮半島は枝である。私のふるさとには「咲いた花を喜ぶならば、咲かせた根本の恩を知れ」という言葉があるが、日本の学校では日本史と世界史を分けて教えるので、我々はおうおうにして中国から受けた恩を忘れがちである。
 これでは日本の歴史と文化を本当に理解することはできないのではないか。私はそんな問題意識を持ち、いつの日か日本と中国を結ぶ小説を書きたいと思った。
 ところがテーマが大きすぎるし、その頃の私の力量ではとても手に負えない。それに出版社でもそうした小説を求めていないという事情もあり、いつの間にか忘れ去っていた。
 ところが5年前、日本経済界訪中団に加えていただき、北京、西安、敦煌を訪ねた。この時、若き日の宿題をそのまま放置していたことを思い出した。
 しかも日中交流の歴史を正しく認識する必要は、日中関係が難しくなるにつれてますます高まっている。
(これでは駄目だ。何とかしなければ……)
 そんな思いを抱きながら、西安で遣唐使のせきを見て回っていた時のことである。
「阿倍仲麻呂は先生のご先祖じゃないの」
 旧知のSさんがそうおっしゃった。
 もちろん軽い冗談なのだが、その時私の頭にひらめくものがあった。
(そうだ。遣唐使を書けばいいのだ)
 彼らこそ日本を文明国家たらしめるために、命がけで唐に渡り、厳しい勉学を重ねて、多くの果実を日本にもたらした。その姿を描けば、東アジアの中の日本という視点が生きてくる。
 私はそう決意し、それから毎年中国を訪ねて、取材と勉強を重ねてきた。にわか勉強で間に合うほど生やさしいテーマではないので、前途は多難、いつ座礁ざしようするか分からないが、難しいからと尻込みしていては、いつまでたってもこの海は渡れない。
 じろの帆を張った小さな木造船で東シナ海を渡った遣唐使たちの勇気。途中でそうなんして海に沈んだ者たちの無念を思えば、これくらい何でもないじゃないか。
「そう自分をしつし、船を出すことにしたのです」
 私が語り終えた頃に、ちょうどビャンビャン麺が出てきた。

「仏の道」紀行のはじまり

 平べったいので、うどんよりきし麺に近い。山椒とスパイスが効いたひき肉入りのソースは、じゃじゃ麺のような味がする。
「失礼ですが、先生はおいくつですか」
「62です」
「お若いですね。青年のようだ」

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ビャンビャン麺

 王さんは麺をすすりながら、珍獣ちんじゆうでも見るような目を向けている。
 驚きながらも面白い奴だと思ってくれたようで、真剣に付き合ってやろうという目の色になっていた。
「あの、安部さん。ひとつ提案があるんですが」
 T君はどうやらこのタイミングを待っていたらしい。それなら拙誌で「仏の道」紀行をそろそろ始めてみたらどうですかと言い出した。
「幸い西安から敦煌までは、三蔵法師や羅什らじゆう師がたどった道でもあります。今度の旅を前半とし、天山南路を後半とすれば、仏教伝来の道の大半をたどったことになります」
「しかし、まだ勉強が足りないしね」
「資料などはこちらでそろえます。それに分からないことがあれば、専門の方にアドバイスしていただきますので」
 T君はビャンビャン麺になど目もくれず、さあやれ、ほらやれと迫ってくる。そして最後の決め手が次の一言だった。
「ボクも出張で来ていますから、手ぶらで帰るわけにはいかないんですよ」
 そうだろうね。それはその通りだ。私は深く納得し、
「それじゃあ、勉強のつもりで書くよ。よろしく頼む」
 後先も考えず、そう答えてしまったのだった。(つづく)

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