あの日の花火
久しぶりに地元の花火大会に行かないか。
仕事で上京してきた友人と飲んでいると、そんなことを不意に言われた。
おれは少々困惑しながら彼に尋ねた。
「地元って……どの花火大会?」
「三津の港祭りだよ」
「三津の……?」
おれはますます混乱した。
その花火大会のことならば、よく知っていた。
毎年夏になると地元の港で開催されてきたもので、遠方からも多くの人が訪れて、盛大に賑わう祭りだった。
かき氷屋、唐揚げ屋、お好み焼き屋。
歩行者天国になった道路の両脇には屋台が犇めき合っていて、人気店には長蛇の列ができたりする。おれは祭りの雰囲気に酔いしれながら、団扇を片手に人混みの中をゆっくり歩いて回るのが好きだった。
しかし、それも過去の話なのである。
運営側の人手不足や予算の都合で花火大会は数年前に取りやめになり、惜しまれながらも歴史に終止符が打たれていたのだ。
その花火大会に参加することなど、できようはずがない……。
そんなことを思っていると、友人がスマホの画面を差し出した。
「これ、見てみなよ」
そこにはサイトが表示されていて、こんな文言が書かれていた。
――第五十回記念大会を完全再現! 三津の港祭り!
その横には、八月の日付が記されていた。
「なんでもさ、昔の花火を再現するらしいんだよ。五十回目だから、いまからちょうど十年前のときのやつだな」
「十年前……」
「おれらが中三のときってこと」
「ちょっと待ってよ」
そこでおれは堪らず言った。
「さっきからどういうこと? 三津の花火大会はなくなったよな? 再現って、一夜限りの復活とか、そういうこと?」
「復活っちゃあそうだけど、最近出てきたARの花火大会だよ」
「AR……?」
尋ねると、友人はちょっと虚を突かれたような顔になった。
「あれ? 知らない? AR花火」
「ARって、あのAR?」
友人は頷いた。
「隅田川でも導入されたって全国ニュースにもなってたじゃん」
「へぇ……」
「へぇって、東京にいるのに知らないんだな。まあ、仕事が忙しいか」
ともかく、と友人はつづけた。
「せっかくだから、帰ってこれるなら帰ってこいよ。待ってるからさ」
そして話題は別のことへと移っていった。
友人の話を思いだしたのは、しばらく経ったある日のことだ。
AR花火、か……。
ちょっと調べてみようかと、おれはスマホを手に取った。
検索すると無数の記事が現れて、適当なものをタップする。そこには、こんなことが書かれていた。
――AR花火とは、拡張現実、通称ARの技術を使ったデジタル上の花火である。スマートフォンなどで専用のアプリを立ち上げて空中に向かいカメラを翳すと、現実の景色を背景にしたデジタル上の花火が現れる。近年、これを活用した新たな花火大会が注目を集めている。
「デジタルの花火ねぇ……」
おれは呟く。ずいぶん安っぽそうな感じだなぁ。そんなことを考える。
しかし、その思い込みはすぐに見事に裏切られる。ネットを検索しているうちに、実際の画像を目にしたのだ。
それは、くだんの隅田川の花火大会の様子を写したものだった。ビルの隙間に浮かんだ花火は、チープなものではまったくなかった。むしろ、何度見ても高精細のカメラで写した本物の花火のようにしか見えず、本当にこれがARなのかと疑いを抱いたほどだった。
隅田川の花火大会では、二年前からAR花火の打ち上げパートが導入されたと書かれていた。WEBにアップされている種々の画像は、その打ち上がったAR花火をスマホでキャプチャしたものらしい。
様々な記事の中には、開発背景に触れたものも散見された。
それらによると、どうやらこういうことらしい。
何事にも苦情が入ってばかりの昨今だが、その毒 牙がついに花火大会に向けられた。一部の人から、打ち上げ花火は騒音だ。近隣住民は迷惑している。そんな声が上がるようになったのだ。
ついには花火大会の中止を求める運動がネットを起点として勃勃発し、事態は少しずつ大きくなった。
「盆踊りを見ろ。あっちのほうが進んでるじゃないか」
反対者たちは、先行する事例を掲げて嚙みついた。最近出てきた、音を出さない〝無音盆踊り〟のことである。
この盆踊りでは、スピーカーから音は出さない。その代わり、参加者たちはイヤホンで音頭を聞きながら櫓の周囲を回るのだ。傍から見ると異様だが、当人たちにとっては同じ盆踊りをしていることに変わりない。そしてこれなら、夜間でも騒音問題は起こらない。花火大会も、これに倣えというのだった。
その主張が聞き入れられた……からかどうかは分からない。が、結果として誕生したのがAR花火というわけだ。
花火を見にきた観客は、空に向かってスマホを翳すだけでいい。すると位置情報を元にして花火の見え方が割りだされ、自分のいる位置から見えるべき花火の画像が映しだされるという具合である。
――雨天でも決行されるので、天気を気にしてヤキモキすることがなくなりました。
そんな書きこみも目について、なるほどなぁと思わされた。
――煙も流れてこないし、事故の心配もないのがいい。
そういう点を評価する声も多くあった。
鑑賞方法も様々だった。
――うちの子供は花火の音が苦手でしたが、音量を下げたら泣かないようになりました。
観客は自在に音量を変えられるので、中にはミュートにして花火の光だけを楽しむ人や、自分でチョイスした音楽をイヤホンやヘッドホンで聴きながら花火を見る人もいるらしかった。
離れた場所に居たとしても、タップひとつで画面を拡大して鑑賞できる。録画も容易にできるので、あとから家で何度も花火を楽しめる――。
一方で、批判の声も多く見られた。
曰く、古き良き日本の伝統が壊される。
曰く、粉い物には真の価値は宿らない。
たしかに分からないでもないなぁと、おれは思う。けれど、少し冷静になってみるとそうでもないのかなぁと思い直す。
伝統とは壊して築いていくものだし、紛い物だと決めつけず、別物だと思ってみれば新たな価値も宿りうるのではないだろうか。プラネタリウムがいい例だ。電子音楽もそうだろう。
調べるうちに、花火デザイナーという職種があることも、おれは知る。打ち上げる花火の色や形、光の具合をデザインするような人たちだ。
彼らはスタンダードな花火のさらなる見せ方の追求はもちろん、変わり種の開発も手掛けていた。
まるで夕空のように、藍色からオレンジへのグラデーションが美しい花火。空中でねずみ花火のように渦をまく花火。虹の形やキャラクターの形をした花火。
理論上はどんなものでも作れてしまうが、リアルな花火とあまりに乖離しすぎると興醒めする人が増えるらしい。そのギリギリのところを狙うのが、花火デザイナーの仕事なのだ。
彼らのたゆまぬ努力によってAR花火は広がりの一途をたどっていて、最近では普通の花火大会が開けない場所での会も催されるようになっている。
東京駅の上空で。スカイツリーのすぐそばで。飛行機の飛び交う空港で――。
夢があるなぁと、おれは思う。
自分も俄然、この新しい花火を見てみたくなっていた。
手帳を開いて、例の花火大会の日の都合をたしかめる。
帰省できるなと確認すると、すぐに便の予約をした。
「すごい人だなぁ……」
屋台に挟まれた道を歩きながら、おれは呟く。
「でも、まさにこの感じだったよなぁ……」
懐かしさに、なんだか若返っていくような感覚になる。
隣にいる友人が口を開いた。
「ほら、あんな屋台が出てるよ」
見ると、〝充電屋〟と書かれた屋台がそこにあった。ケーブルの束が伸びていて、たくさんのスマホが差されている。
「ARの花火大会ならではだな」
笑う友人に、おれも微笑む。
一通り屋台を見て回ると、おれたちは座れる場所を探して歩いた。
なんとかスペースを見つけて腰を下ろしたのと、花火開始のアナウンスが流れたのは同時だった。
「ただいまより、花火の打ち上げを行います」
おれは慌ててスマホを掲げる。
「お手元の準備はよろしいですか? それではみなさん、カウントダウンをお願いします! 十、九、八、七……」
六、五、四、三、二、一……。
刹那、花火が打ち上げられる音がして、画面の中をひゅるひゅるひゅると光の筋が昇っていった。
次の瞬間。
夜空に大きな花火が咲いて、遅れてドォンと音が鳴った。
おおっという歓声に包まれて、それを合図に花火大会がはじまった。
大輪が次々と夜空を彩る。
色とりどりの小ぶりの花火が咲き乱れる。
しだれ柳が闇夜に尾を引く。
これだ、この感じだ、と胸が高鳴る。
花火のデータは、当時の打ち上げ記録を元にして作られたものであるらしい。再現されるのは花火の種類や打ち上がっていく順番だけに留まらない。打ち上げられたときの角度、それに風の強さや風向きなどの当時の気象条件も可能な限り織り込まれ、花火が打ち上がるのである。
「あー」
という残念がる声が会場に響く。ニッコリマークの形の花火が打ち上がった、のだけれど、歪んだ形になったのだ。
ところどころで、カシャッ、カシャッ、とカメラのシャッター音がする。カップルたちは二つのスマホをくっつけ合って、大きな画面で花火に見入る――。
そのときだった。
「あれっ?」
友人が自分のスマホを指差した。
「なぁ、もしかして……これってあいつなんじゃない?」
見ると、画面の隅にはコメントがたくさん並んでいた。タイムラインが表示されるモードになっていて、観客が書きこんだコメントがリアルタイムで流れるようになっているのだ。
その中に、あるユーザーネームが表示されていた。それは、中学のときに仲がよかった別のひとりがネットでよく使っていた名前だった。
友人はすぐに連絡を取る。しばらくすると手を振りながら、そいつが来た。
「奇遇だなぁ……てか、おれも誘えよっ!」
笑うそいつに謝りながら、おれは言う。
「奇しくも、十年前の再現だなぁ……」
いつしかおれは鮮明に思いだしていた。
十年前のあの夏の日――おれたち三人はここへ来て、花火を一緒に鑑賞したのだ。思い切って誘った女子に断られ、みんなで慰め合いながら。
あのとき食べた、アイスの味。
ふざけて買った、ペンライト。
奪い合うように食べ合った、フライドポテト。
そして。
はみ出んばかりに夜空に広がる、大花火。
「そういえば」
友人が不意に口を開いた。
「これってさ、花火以外にも当時の感じを再現できる機能があるって、知ってた? 何でも、観客も十年前にタイムスリップできるとか」
「どういうこと?」
「まあ、遊びみたいなもんだろうけど。ほら、このボタンで……」
友人が操作するスマホを、三人で顔を揃えて覗きこんだ。
そのとき、花火を映していた画面が切り替わり、人影が急に現れた。自撮り用のインカメラになったらしいことが分かった直後、友人が言う。
「映った人の昔の顔を予測して、画面に出してくれるんだって」
その瞬間に、大きな花火が打ち上がる。
画面に映りこんでいたのは、赤や緑の花火の明かりに照らされた、あどけない表情をした少年たちの顔だった。
(完)