メリー



「ぜんぜん終わんねー」
 男はひとり、部屋の中でためいきをつく。領収書をノートに貼って、パソコンに費目を打ち込み金額を記す。その作業を、もう何時間も繰り返していた。
 集中力が切れるたびに、SNSを覗きに行く。



 ――領収書に埋もれてますw
 ――まあ、まだあせる時間じゃないよなwww



 SNSには同じ確定申告仲間の言葉が並んでいる。それをぼんやり眺めてから、またエクセル画面に戻ってきて数字の入力を再開する。
 と、入れた金額を確認していたときだった。男は不意に目のさっかくおそわれた。
 画面の〝¥〟という記号のひとつが〝羊〟という字に見えたのだ。
 うわー、疲れてんなぁ……。
 男は目頭をぎゅっとつまんだ。そして、もう一度画面を見直した。
 しかし、〝¥〟は〝羊〟のままであり、それどころか、画面上を上下左右に動きはじめたのだから目を見開いた。おまけに 〝羊〟はその右隣に、先ほど金額として入力した数字を従えたまま移動していた。
 男は何がなにやら分からないまま、慌てて〝羊〟と数字を選択してデリートを押した。通常ならば、それで消えてくれるはずだった。が、どういうわけかそれらが消えることはなかった。ファイルを閉じて別の画面に切り替えるも、変わらず同じ場所に残ったままだった。
 ソフトのバグだろうか……。
 こういうときはネットで検索するに限ると、男はさっそく調べはじめた。
「エクセル、¥、羊……」
 するとすぐ、こんな記事が引っ掛かった。



 《なぞの〝羊〟が多数出現》



 クリックすると記事が開いた。


  • 《コンピューター上に謎の〝羊〟が出現している。
     この〝羊〟は、まるで生き物のように振舞い、画面上を動き回ることが確認されている。専門家の話によると、コンピューターに打ち込まれた〝¥〟の一部が突然変異したものと見られるものの、現時点では消去できないということ以外に詳しいことは分かっていない。
     また〝羊〟は、もともと〝¥〟の隣に表示されていた数字と一緒になって移動することも判明している。同じく消すことはできないが、この数字は時間が経つにつれて増えたり減ったりするようだ。それが何を意味するのかは不明である。
    〝羊〟の今後の動向に注目したい――》



 男は改めて、画面上をのろのろ動く〝羊〟を見た。まさしく記事と同じ現象が起こっていて、思わずその記事のリンクを貼ってSNSで呟いた。



 ――ちょww おれのパソコンにも羊キターーーwww



 その日から、男の生活に謎の〝羊〟が加わった。
 無論、パソコンをつけない限りは〝羊〟を目にすることもない。が、ライター業がなりわいの男は、仕事道具を使わないわけには当然いかない。
〝羊〟はパソコンを立ち上げると画面のどこかに必ずいて、原稿を書いたりネットをいじっていると、自ずと目に入ってきた。最初のうちは気になって、つい目で追ってしまった。



 ――ほんと羊が邪魔なんですけどwwwww



 が、しばらくすると慣れてきて、さほど気にはならなくなった。〝羊〟が連れている増減する謎の数字も、考えるのが面倒になって放っておくことにした。
 そんなある日、男がネットをだらだら眺めていると、こんな記事が目に入った。



 《謎の羊は新通貨》



 記事の中身はこうである。


  • 《巷に出現していた〝羊〟の正体が判明したと、この日、日本通貨研究機構が発表した。同機構によると、〝羊〟は〝¥〟が変化して生まれた新しい通貨記号であるという。そして〝羊〟の隣に寄り添うようにして存在している数字は、その〝羊〟の飼い主が保持している仮想通貨の金額だということも分かった。
     これを受け、同機構はこの新通貨の名称を〝メリー〟と命名。現在、メリーに対応した新規サービスの開発を急いでいる。
     メリーは、単に〝¥〟がふんしょくしただけの仮〝装〟通貨に過ぎないのか。あるいは時代を変える通貨となるのか。注目は高まるばかりである――》



 男は、自分のパソコン上で動いている〝羊〟と数字を見ながらこう思う。
 すると、だ。自分は期せずして、新しい通貨を手に入れることができたわけか。何もしていないのにお金がもらえるだなんて、夢のような話じゃないか。
 けれど、いくら通貨を持っていようと、使えなければ意味がない。まあ、あまり期待はせずに放っておくか……。
 ところが、事態は想像以上のスピードで展開する。程なくして、件の研究機構がメリーに対応したWEBサービスを立ち上げたのだ。
 それを知った男は、さっそくサイトを訪れた。
 サイトには羊を模したキャラクターがいて、吹き出しで使い方の説明をしてくれた。
 その手順に沿って、男は画面の「メリーを読み込む」というボタンをクリックした。くるくるとアイコンが回ったあと、画面に数字が現れる。それは、自分の〝羊〟の隣の数字がコピーされたものだった。
 次に男が「サイトに適用する」というボタンを押すと、〝羊〟の隣の数字がゼロになり、代わりにサイト上の「メリー残高」というところに同じ値が反映された。そして「完了」という字が表示され、無事にメリーの移行作業が終わったことを教えてくれた。
 説明によると、あとはポイントを使う要領で、このサイトでメリーをいろいろなものと交換できるということらしい。実際にサイト上には食料品や雑貨品が一覧になって並んでいて、どれもメリーと交換できるようになっていた。
 男はメリーで、どの品を手に入れようかと迷いはじめた。
 しかし、そこでふと立ち止まった。
 メリーを得たのはいいけれど、〝羊〟の隣の数字はゼロになった。ということは、いまの残高を使ってしまうと、メリーはなくなってしまうということだ。棚ぼた的に手に入れたものではあったが、そう考えるとなんだかしい気がしてきた。
 と、しばらくちゅうちょしているうちに〝羊〟の隣の数字が変化していることに気がついた。ゼロだったはずのものが、いつの間にか少し増えていたのだ。
 そういえば、と男は思う。これまでにも数字はときどき増減していたな、と。つまりはその要因を知ることで、メリーは増やしたり減らしたりできるのではないだろうか……?
 その問いに答えてくれる記事が流れてきたのは、間もなくしてだ。



 《メリーの増やし方》



 目にした途端、男はすぐに飛びついた。
 記事にはこんなことが書かれていた。
 メリーの増減は、〝羊〟の食事と相関関係があるというのだ。〝羊〟がエサを食べるほど、メリーは増える傾向にある。逆に飢えがつづくと減っていき、マイナスになることもあるらしい。
 そして肝心のエサ――〝羊〟が好んで食べるのは、ネット上に生えている草だと書かれていた。そう、〝羊〟はネット用語で「笑い」を表す「クサ」という字を食べていたというわけだ。
 言われてみれば、思い当たる節があった。最近、自分のSNSで、前ほど「w」を見かけなくなったなと感じていたのだ。
 なるほど、あれは自分の〝羊〟が「w」を食べていたからだったのか――。
 男はメリーを増やすべく、〝羊〟を連れてネットの草を探し求めるようになった。
 SNSやまとめサイト、掲示板などで良い場所を見つけると、そのページを開いて放っておいた。すると〝羊〟が草のほうへと近づいていき、モソモソとそれを食べていく。〝羊〟は食欲おうせいで草はすぐに消えていき、スクロールしてしょっちゅう場所を移動してやらねばならなかった。
 そうして男は、ネット上の遊牧民のような生活をしはじめた。草を求めて移動をし、〝羊〟に食べさせてはまた移動を繰り返した。



 ――メリーがあれば働く必要なくね?wwwww



 その草もまた、投稿した矢先に〝羊〟がすぐに食べてしまう。
 男のメリーはどんどんまり、それを使ってサイト上で様々なものと交換した。メリーと交換できる品の種類も、爆発的に数を増やした。
 男にとって、円などもはや不要だった。円がなくともメリーだけで暮らせるのだから。
 事実、すでに男は仕事を辞めてしまっていたが、不自由なことは何ひとつなかった。家にこもり、メリーで得られる品々だけで充実した日々を過ごすことができていた。
 そして、そんな暮らしを送っているのは男だけに限らなかった。



 《メリーではじめる遊牧生活》



 至るところで、悠々自適の遊牧生活が紹介されはじめていた。
 ネット遊牧民の数は増え、男もネット上で、ひんぱんに他の〝羊〟飼いとそうぐうするようになっていた。厳密に言えば相手の〝羊〟が見えるわけではなかったが、目の前で消えていく草を見れば、そこに誰かの〝羊〟がいることは明らかなのだ。
 〝羊〟の数も激増する一方だった。
 新しく〝羊〟を手に入れる者に加え、すでに飼っている者も追加でそれを手に入れたがった。〝羊〟が多いほど実入りも大きいのは当然で、多頭飼いをしない手はない。
 人々はこぞって〝羊〟を増やすことに熱中した。
 そして私腹をやすべく、新たな草原を求めて旅に出た――。

   *



 男はもう、何日もネット上を彷徨さまよっていた。かたわらの〝羊〟はせ細り、ほとんど動くことはない。彼自身もまた、久しくまともな食事にありつけてはいなかった。
 それでも男は草を求め、彷徨いつづけるほかはない。それ以外の手段で食っていく選択肢は、とうの昔に失っていた。
 男は弱々しく顔をあげると、何とか少し前へと進む。
 草という草が食べ尽くされたあとに残るのは、不毛の大地だけである。
 彼の目の前には、無数の〝羊〟のなきがらと、かつて通貨だった数字の破片のみが転がる、果てしない砂漠が広がっている。
                         (完)

 採用させて頂いた方
  ・ゆたさん
  (お題「仮装通貨」)