八人の侍・上

 今日も二人でにらみ合っている。
 和彦かずひこのやっている『小堀こぼりじゅく』に通う、中学二年の弘樹ひろきと小学六年の隆之たかゆきだ。
 時計はそろそろ七時。塾の終了時間はとっくに過ぎ、部屋に残っているのは和彦を交じえた三人だけだ。
「弘樹に隆之。睨み合いにも、そろそろきたんじゃないか。ここいらで手打ちにして、やめにしようじゃないか」
 ながづくえを間にして睨み合う二人に、和彦は両手をたたいて柔らかな声を出す。
「俺はお前らが睨み合いを始めたときから、ずっと時計を見ていたんだが、なんと一時間二十分だ。それだけの間、集中力を保つというのはなまはんな人間にできることじゃない。いや、たいしたもんだ」
 和彦は感心したような声をあげ、
「そして、前にもいったように、お前たちがいがみ合うのは二人とも落ちこぼれで、不良であるという共通項があるからだ。それはわかるな」
 弘樹と隆之の顔を交互に見ると、二人がわずかにうなずくのがわかった。
「共通項でいがみ合うのなら、仲よくなれるのも共通項だ。つまり、二人が仲よくなれる要素は充分にあるということだ」
 また二人の顔を見回すが、今度はうなずく気配はまったくない。
 そういうことなのだ。アウトロー的な要素を持った人間に、いくら理屈を言葉で説いても聞く耳は持ってくれない。和彦の問題児に対する教育の限界がここにあった。そして、こうした要素を持った人間は、一定のパーセンテージでいつの時代にも必ず存在するというのも事実なのだ。弘樹も隆之も、ごく普通のサラリーマン家庭の子供で、グレる要素はどこにも見当たらなかった。
 和彦の頭にひとつの言葉がおどっていた。
『力なき正義は無能であり、正義なき力は圧制である――』
 これは『人間は考えるあしである』の言葉で有名な、十七世紀のフランスの哲学者で物理学者でもあるB・パスカルの主張だった。和彦は元々非暴力主義だったが、弘樹や隆之と接するたび、そして、近頃のはくりょうかい横暴おうぼうを見るたびにこの言葉を思い出した。
「お前たちは、この町内に住んでいるげんという名前を聞いたことがあるか」
 唐突とうとつに源次の名前を口にした。
 とたんに二人が同時にうなずいた。
うそか本当かは知らないけど喧嘩けんかの名人で、となり町の半グレをボコボコにしているといううわさを聞いた」
 すぐに弘樹が口を開き、
「その噂は僕も聞いたことがある。ナントカっていう格闘技の名人で、むちゃくちゃ強いって」
 目を輝かせて隆之もいう。
「羽生源次は俺の親友だ。今度ここに連れてきて、お前たちに会わせてやろうと思うが、どうだ」
 何でもない口調でいうと、
「本当!」
 二人が体を乗り出してきた。
「本当だ。あいつは俺と同じ年寄りのくせに、とてつもなく強い。あっというまに、アメリカ兵数人を気絶させ、さらに海兵隊のヘビー級ボクサーのチャンピオンを、空中高く投げ飛ばして悶絶もんぜつさせたこともある」
 そのときのことをざっと二人に話してやると、二人の目の輝きは頂点に達した。
 やはり、この手の人間は強い男が好きなのだ。それも途方とほうもなく強い男が……と考えてみて翔太しょうたも源次のファンだったことを思い出した。どうやら男という生き物は、おしなべて強い人間が好きなようだ。
「いつ、羽生さんを、ここに連れてきてくれるんだ、先生」
 勢いこんで弘樹がいった。
「近いうちに必ず連れてくる。だから、心配はいらん」
 教育者としてこの方法は、あるいは間違っているのかもしれなかったが、こんな方法しか通用しない相手もいるのだ。だからここは……それに和彦には心の奥にしまっておいた遠大えんだいな計画があった。
 和彦はほぞを固めた。
「きっとだよ、先生」
 念を押すように隆之がいった。
「ところで、弘樹。ひとつきたいことがあるんだが」
 和彦の目が弘樹を凝視ぎょうしした。
「お前と隆之は年がら年中睨み合っているが、それでも手だけは出さないのはなぜだ。俺はそれが不思議でしようがない。どうだ、正直に教えてくれないか」
「それは、あれだよ」
 弘樹はちょっと口ごもってから、
「隆之はまだ小学生だから、そんな弱い相手に手を出したら、俺の名前がすたる。そんな恥ずかしいまねはできるわけがない。それに……」
 とたんに隆之のほおがぶっとふくれるが無視をきめこんで、
「それに、何だ」
 たたみこむように和彦は言葉を出した。
「それに隆之は、この塾の……」
 それだけいって弘樹は黙りこんだ。
「この塾の仲間か。そういうことなんだろう、弘樹」
 うれしそうに和彦が口を開くと、
「まあ、その、何ていうか、どういったらいいのか」
 がらにもなく弘樹は照れたような素振りを見せた。
「そうかそうか、なるほど、なるほど」
 和彦は一人でうなずき、
「それにもうひとつ。弘樹の学校にも不良は他にいるだろうが、なぜそいつらとつるまずに、お前はこの塾に通ってくるんだ」
 真剣な表情で訊いた。
「俺はワル同士が群れるのは嫌いだから、卑怯ひきょうなような気がするから。だから俺は、いつも独りで」
 かすれた声で弘樹はいった。
「そうか。ワル同士が群れるのは卑怯か。なるほど弘樹のいう通りかもしれんな」
 和彦は嬉しそうにいい、
「それにしても、弘樹。お前はけっこう侠気おとこぎのある人間なんだな」
 思わず体を乗り出して、弘樹の肩をぽんと叩いた。とたんに弘樹の顔がうっすらと赤くなった。
「よし、それならもう帰れ。羽生源次は近いうちに必ず、ここに連れてくる。約束するから心配するな」
 こういって、和彦は二人を送り出した。


 集合場所の『のんべ』に行くと、奥の小あがりにすでにみんなはきていた。声をかけておいた、山城組やましろぐみ冴子さえこ成宮なりみやも顔を出していてさかりが始まっていたが、源次の顔だけはまだ見えない。
 挨拶あいさつをして和彦もその席に加わり、
「お呼び立てして申しわけない。事がきんきゅうを要してきたので」
 隣に座っている、冴子と成宮に頭を下げる。
「いえ、ここいらで適切な手を打たないと、大変なことになりますから」
 すぐに真剣な表情で冴子は言葉を返し、成宮も頭を下げてくる。
「ところで源ジイがまだきてねえんだが、あの野郎、また発作でも起こしたんじゃねえだろうな」
 心配そうな声を洞口ほらぐちがあげた。
「そんな話は、まったく聞いてないが」
 という和彦の声にかぶせるように、
「源ジイ、どこか悪いんですか。ひょっとして病気なんですか」
 冴子が腰を浮かすようにしていった。
 えらく真剣な顔だった。その冴子の顔を成宮が凝視していた。これも真剣な顔だった。これはひょっとして。和彦は胸の奥で、あれこれと考えをめぐらす。
「病気というほどのものじゃなく、単なる持病のようなもんですから。我々はもういぼれですから、様々な持病があちこちに。困ったもんですけど、こればっかりは」
 がんの話を、ここでぶちまけるわけにはいかない。和彦はことさら笑顔を見せて明るい口調でいう。
 そんなところへ、ようやく源次がやってきた。元気そのものの様子だ。
「悪い、悪い。治療所を閉めようとしたところへ、年寄りが腰が痛くてたまらねえといってやってきてよ。まさか追い返すわけにもいかねえからそれでよ。年寄りなんてえやつは辛抱しんぼうが足らねえというのか、図々ずうずうしいというのか、まったく困ったもんだ」
 源次の言葉に、みんなの口からしっしょうがもれる。
「何だよ。わしは何か、妙なことでもいったか」
 きょとんとした表情を浮べ、源次は体をずらして席を空けるかわの隣に座りこんだ。ちょうど冴子の対面にあたる位置だ。
「じゃあ、役者が勢揃せいぞろいしたところで、改めて乾杯かんぱいでもしようか」
 洞口のおんで、みんなはビールの入ったコップを上にかかげる。むろん、はしっこに座っている翔太ときりはウーロン茶ではあるが。
「なら、俺のほうから、今夜の緊急集会のしゅを説明させてもらうから」
 口についたビールの泡を手の甲でぬぐって、洞口が口を開いた。
「さっき少し話をしたように、白猟会の連中がこの商店街に対して表立った動きを見せ始めた。その動きというのがミカジメ料、つまり用心棒代の徴収なんだが、これをいったいどうするのか。そこで和ちゃんとも相談してみんなに今夜、ここに集まってもらったんだが」
 小さないきをひとつもらしてから、洞口は口を閉じた。
 白猟会がミカジメ料の徴収に動き出したのは、半月ほど前からだという。
 対象は『昭和純情商店街』で営業をしている、すべての飲食店とゆう場。洞口の聞きとりでは一軒あたりの額は三万円から十万円ほどで、これはむろん月額である。
 特に問題なのが実際にこのミカジメ料の徴収に回っている実動部隊の連中がすべて、二十歳以下の未成年だということだった。
 連中は店の主人に話をつけるとき、
「俺たちはまだ未成年で、もしワッパをかけられたとしても重罪にはならねえ。たとえ、おめえたちをなぶり殺しにしたとしても、俺たちは死刑にはならねえってことだ」
 こう、うそぶいて商店主たちをふるえあがらせているということだった。このため、渋々しぶしぶではあるが白猟会のほうに、ミカジメ料を納め出している商店主たちも出始めていた。
「少年法って、凶悪犯が増えたということで、改正されたんじゃなかったですか。確か私の記憶では二度にわたって」
 を唱えるように川辺がいった。
「川辺のいうように刑事処分の可能年齢が、二十年ほど前には十四歳以上、十年ほど前にはおおむね十二歳以上と改正されたのは事実だが、いずれにしても未成年に対しては罪一等を減ずるという考え方は今でも生きている」
 すぐに和彦は口を開き、
「それに選挙権だけは十八歳以上ということにはなったものの、成人年齢の規定はいまだに二十歳ということで、これはなかなか変らないというのが現状だ」
 んで含めるように、つけ加えた。
「そういうことだ。だから、よけいにタチが悪いともいえるんだがよ。去年の暮れの新聞だったか、大阪の半グレ集団が暴力団からミカジメ料の取り立てを受けっているという記事が載ってたこともあったな」
 うんざりした顔で洞口がいう。
「ここの商店街は、これまでそういったものを、どこかに納めていたんでしょうか」
 今夜初めて翔太が口を開いた。
「十年ほど前までは、この辺り一帯を仕切るヤクザ組織に納めていたんだが、例の暴対法の強化でヤクザも簡単にはそういうことができなくなって、今はほとんど自然消滅の状態だったんだがよ」
 これも洞口がよどみなく答える。
「相手が半グレ集団では、暴対法もなかなかりょくはっできませんからね」
 つぶくようにいって翔太は宙を見上げる。
「金を取られた商店の人たちが、警察に被害届けを出せば、それなりの効果はあるはずだが、結局はざいですんでしまうだろうな。そして、そのあとに……」
 言葉を切って和彦は隣の冴子を見る。
報復ほうふくですね。いわゆるお礼参りで、何人かの店主さんたちは危害を加えられることになるでしょうね」
「ミカジメ料に、お礼参りか。何だか死語に近いような言葉じゃん」
 冴子の言葉に抗議するように呟いたのは、これまで黙って鳥の唐揚げを頬張っていた桐子だ。
「あっ、でもいいのか。何たってここは昭和純情商店街なんだから、ぴったりといえばぴったりの言葉ともいえるじゃんね。だとしても、アナログ世界満開ってかんじではあるけどね」
 何となく冴子に対して対抗意識を燃やしているような、桐子の言葉だった。
「死語だろうがアナログだろうが、私たちのぎょうも含め、これが現実なんだから仕方ないですよ、桐子さん」
 柔らかな口調でいってから、じろりと冴子は桐子をにらんだ。
 その瞬間、何の特徴もなかった素直な冴子の顔がしいものに変った。不可思議だったが美人に見えた。
 川辺が両目を大きく見開いた。
 翔太の目も冴子の顔にくぎづけだ。
 隣の桐子のほうは……首をがっくりと前に倒している。何とまあ、わかりやすい性格というか――。
 和彦は、こほんとひとつ咳払せきばらいをして、
「ところでその後、山城組に対する白猟会のちょっかいのほうは」
 よく通る声で訊いた。
「ありますよ。腕の骨を折られて医者通いをしている若い衆が一人。もちろん、テキヤのメンツにけても警察に届けるようなことはしませんでしたが」
 答えたのは組の若頭を務める、成宮とおるだ。
「腕を折られたのか」
 身を乗り出したのは源次だ。
「はい、それにあねさんが」
 という成宮の声にかぶせるように、
「一人で歩いているときに白猟会の三人の連中に襲われ、車のなかに押しこめられそうになりました」
 冴子は何でもないことのようにいうが、傍らに座る成宮の顳顬こめかみの血管が大きくふくれあがった。そんな二人の様子をうわづかいに桐子が見ていた。
「でも私には、これがありますから」
 冴子はおもむろに上衣の左脇に右手をいれて何かを取り出した。一振りした。ガチャリという音とともに、それは六十センチほどの長さに伸びた。
特殊とくしゅ警棒です。これがある限り、そう簡単にやつらの自由にはさせません。こう見えても私、中学生のころから剣道をやっていて腕は三段ですから」
 恥ずかしそうにいってから、ぱっと笑った。
 まるで花が咲いたような笑顔だった。
 文句なしに可愛かった。
 とたんに背中を丸めて桐子がしょげた。
 白猟会の頭が冴子にしゅうしんする気持が、和彦にはわかる気がした。そして冴子の隣に座る成宮の気持も……。
「すごいな、姐さん。その細い体で剣道三段なのか。いや、たまげたな」
 感嘆かんたんの声を源次があげた。
「わっ!」
 珍しくはしゃいだ声をあげたのは、当の冴子だ。
「源ジイ、めてくれるんですか。源ジイにそういわれるのが、私いちばん嬉しいです。武術の達人の源ジイに」
 文句なしに可愛かった冴子の顔が、途方もない美しさに変化した。これは……かたわらの成宮に目をやると、顳顬の血管がさらに太くなっていた。
「状況報告はそれぐらいにして、あとはその手を伸ばしてくる白猟会に対して、どう対処するかということだが」
 洞口が叫ぶようにいい、卓子テーブルの上のコップを手にしてごくりとビールを飲んだ。
「対処方法は三つですね。ひとつは話し合い。もうひとつは警察に任せること。そして最後が力で押えつける。どう考えても、この三つしか方法はないですね」
 理路整然と川辺はいった。
「そう、対処方法は三つ。そして、その三つのうち、どの方法を取るかということなんだが、これが――」
 和彦は唇を噛みしめる。
 どの方法を取っても万全といかないのは明白だった。が、和彦にはひとつの思惑おもわくがあった。みんなに反対されても、この方法を取るつもりだった。
「山城さんのところは、どの方法がいちばんいいと思っているんですか」
 いつもなら、こんなときには積極的な発言はしない翔太が珍しく声をあげた。その翔太のセーターの左脇を、桐子の右手がしっかり握りこんでいるのが目に入った。これは多分、翔太の気持が冴子に行かないようにする、桐子のにくの策――。
「みなさんには申しわけないですが、私たちは三番目の方法を。これだけコケにされて黙っていては組としての面目が立ちません。私が先頭に立って白猟会と一戦を交えるつもりですが、もちろん素人のみなさん方に迷惑が及ぶことはこんりんざいけるつもりでいますから。ねえ、姐さん」
 成宮は落ちついた表情でこう答えて、冴子の言葉を待った。もう、顳顬の血管は膨らんではいなかった。
「はい。はぐれ者の相手は、はぐれ者。これはもう、江戸の昔より決まっているぶんりつのようなものですから。私たちが命を張ってみなさん方をお守りいたします」
 口上を述べるように冴子はいった。
「そいつは、いけねえ」
 大声を出したのは源次だ。
「わしは以前、姐さんと若頭に向かってこういったはずだ。もし、山城組に危機が迫ったら、わしと若頭の二人で命を賭けて対応する。こう明言したはずだが、違うかな姐さん。忘れたとはいわせねえがよ」
 源次の目が冴子の顔を睨みつけた。
 睨み返すかと思ったら意外なことに、
「はい、その通りです」
 やけに素直な声で冴子はこう答えて、源次の視線をそっと外した。
「だったら、わしと若頭の二人で白猟会に殴りこめばいい。そうすれば、余分な人死にも出んはずじゃからの」
 人死にと源次はいった。
「どうじゃろうかの、若頭」
 源次の問いかけに、
「源次さんと二人というのなら、私のほうにぞんはありません」
 成宮は源次の案に同意した。多分、冴子の身の安全を心配してのことに違いない。
「相手の人数は二十人から三十人と聞いたが、源ジイと若頭の二人だけで勝てるのか。勝算はあるのか」
 重い声を和彦は出した。
「数は問題じゃねえ。要は白猟会の頭の、あの馬鹿でかいクソ野郎をぶっこわせば、それで終了になる。頭が壊されれば、あとの連中は逃げにかかる。そういうことだとわしは思うが。なあ、若頭」
 源次は成宮に同意を求める。
 今日はいやに成宮を立てている。
「私も、そう思います」
 短く成宮は答えを口にする。
「なるほど」
 と和彦は呟くようにいい、
「この言い分に翔太君はどう思う。賛成なのか反対なのか。正直なところを聞かせてくれないか」
 のうめいせきな翔太の意見が聞きたかった。その結果によっては……。(つづく)