『黙秘の壁』

『黙秘の壁』 序章 塗りつぶされた「犯行」

『黙秘の壁』 序章 塗りつぶされた「犯行」

〔(前略)このようなことが原因でどんどん加藤さんのことがきらいになりました。近くにいたらたたきたい気持ちでした。そして平成二十四年四月十四日に■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■加藤さんは目をあけたまま、息もせず、心ぞうも、脈もとまってしまったため、私たちは心ぞうマッサージをしましたが、心ぞうも脈も動くことなく息もしませんでした。死んだと思った私たちは警察や救急車を呼ぼうと思いましたが、結局呼びませんでした。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■なやんだ結果、私は夫に対して■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■絶対にみつからないようにしようといいました。これは加藤さんの死体をかくして警察にバレなければ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■夫もわかってくれ、夫と一緒に加藤さんの死体をかくすことに決めました。(後略)〕

 私がこのように部分的にマスキングが施された十数通の「じょうしんしょ」や警察官が作成したきょうじゅつ調ちょうしょ一通を見たのは、平成二十六年(二〇一四年)の初夏だった。「上申書」とは、一般的には官公庁や警察などに対して、法的な所定の手続きなどによらず、申し立てや意見を書き述べる書類や報告書のことを指すが、刑事事件の被疑者など本人自らが自身の犯行の様子や反省の弁等を記した供述書のことも指す。一方、警察官や検察官が被疑者らから聴き取りをおこない、被疑者らが署名または押印する供述調書(供述録取書)は、いんめん調書(司法警察員面前調書)やけんめん調書(検察官面前調書)と呼ばれる。私が見たのは大半がマスキングされた一通の員面調書だ。
 なんだ、これは。私は手書きで綴られたこのマスキングだらけの「上申書」などの事件資料十数通を一読して、思わずそう口にしてしまった。冒頭に紹介したのはそれらの資料の断片だ。もう一度全体を通読すると、その黒々としたマスキングの帯には「平成二十四年四月十四日」に何らかの理由で「加藤」という人物が死に至ったこと、その場にいた夫妻が救急車も呼ばず加藤の「遺体」をした経緯が書かれていることがわかった。一通だけ存在した員面調書にもやはり同様の内容が、妻ではなく夫のほうが供述していた。
 十数通の「上申書」の中にはマスキングが一カ所もされていないものもあり、遺体を山中に埋める際の様子が詳細に告白されている。判読できる部分がすべて「事実」かどうかを疑いながら読まなければならないが、自筆で書かれているせいだろう、生々しく、リアリティがある。
 判読できる箇所をつなぎ合わせながら予測すると、マスキング箇所には、どのような方法で加藤が「遺棄」されるに至ったのかということが書かれているようだ。
 私はそれらを読み直しながら無意識にその黒々とした部分を指先でこすったり、天井に向けてかざしてみた。もしかしたら色が薄まったり、透けたりして、隠されている文字を見ることができるかもしれないと錯覚したのだ。
 原本をコピーしたものにマスキングを施し、それをさらにコピーしたのだから見えることはありえない。そんなことはすぐにわかろうことなのだが、ぜったいに明かされまいとする強い意思─それは犯罪行為をおこなった夫妻なのか、法律や制度なのかはわからなかったが─のようなものを黒々としたマスキングから感じて、私は無意味なことをしてしまったのかもしれない。
「加藤」のフルネームは加藤あさという。名古屋市中川区内の漫画喫茶で長らくアルバイト従業員として働いていた、当時四十一歳の女性である。麻子の遺体を遺棄したと供述しているのは、その漫画喫茶を経営していた杉本とものり(当時四十七歳)と妻の(当時四十五歳)である。「上申書」などはその二人のいずれかが書いたものである。

 私が上申書を何度も読んでいる間、麻子の両親である加藤よしろうと加藤は、座卓をはさんで無言で座っていた。
 無言というより、二人もその「上申書」をじっと見つめて、身を硬くしていた。義太郎はあぐらをかき、江美子は正座をしていた。ときどき、二人の視線の先は宙を泳ぎ、深く嘆息をもらした。小柄でせた義太郎はたまに煙草たばこを吸いに台所に立った。江美子は麻子に似ていて面長で、きちんと化粧をして身なりを整えていた。義太郎はまもなく七十歳にさしかかる年齢で、江美子は夫よりも数歳年下だった。
 応接間を兼ねた部屋は仏間と言ってよかった。麻子の仏壇の周囲には麻子が生きていた頃の写真が飾られていた。仏壇まわりだけではなく、部屋の壁がすべて麻子の写真で埋めつくされていた。すべては麻子との楽しかった記憶を蘇らせるのだろう。壁という壁。ガラスケースの扉。元気だったころの麻子の笑顔で埋めつくされていた。部屋中のどこに目をやっても幸せそうな表情の麻子と目が合った。
 床にはらんの花などの高級な花が所狭しと置かれていて、これは江美子がことあるごとに買ってきてぶっとして供えているのだった。江美子がこの部屋の温度を一定に保ち、花の鮮度を保つために冷暖房をなるべく入れないようにしていることはあとで知った。仏壇からは私が焼香した細い煙がゆらゆらと立ち上っている。娘の無事を祈り続けて江美子が折り続けた千羽鶴の束が、仏壇に覆い被さるように天井近くにつり下げてある。
 麻子の遺骨の納められた箱が仏壇の中心に安置されていた。彼女が使っていた白い携帯電話もその横に置いてある。麻子がかたわらにいる気がした。

 平成二十四年に愛知県名古屋市中川区で発生した、当時四十一歳の漫画喫茶従業員だった加藤麻子が命を奪われ、行方不明からおよそ一年後に山中から白骨化した遺体となって発見された「死体遺棄」事件のことを、私はよく知らなかった。しかし、事件の経緯を知る麻子の遺族に近しい人から情報を得て、麻子の位牌と遺骨の前で初めて遺族と面会したとき、真っ先に見せられたのが、加害者夫妻が書いた十数通の「上申書」などの「死体遺棄事件」に関する事件記録の束だった。黒いマスキングが何やら得体のしれない闇の広がりをしているようにも思えた。
 その時点で、杉本恭教と智香子は、加藤麻子の死体を遺棄したとしてたい、死体遺棄罪で有罪判決が確定、両者とも服役に入っていた。
 すべての「上申書」は夫妻がにんそうの段階で、警察官の取り調べに応じて書き記したものである。上申書はそれぞれが別々に書き、指紋がおうなつしてあった。強制的あるいは威圧的な環境下で書かされたものではなく、死体遺棄の刑事裁判でもその点は争われていない。
 智香子は丁寧で読みやすい字体だが、恭教はクセのある字体で、せつな表現や誤字も目立った。十数通の「上申書」と、たった一通の員面調書は夫妻の死体遺棄事件の刑事裁判で証拠として採用されたものである。
 この上申書に書かれているような証言(自供)等がもとになり、麻子の遺体は発見され─証言した遺棄場所は実際の場所とはかけ離れていたが─夫婦は自供から半年後に死体遺棄容疑で逮捕される。警察は捜査のセオリーどおり、しょうがい容疑で再逮捕し、そうけんした。杉本夫妻は死体遺棄と傷害致死の罪を裁判員裁判で問われると誰しも思っていた。
 ところが、検察官は「傷害致死」では、杉本夫妻を嫌疑不十分という理由で不起訴処分にしたのである。
「嫌疑不十分」とは犯罪の疑いは完全には晴れないが証拠が揃わない等、裁判で有罪の立証ができず公判が維持できないと判断されたいわゆる「グレー」の判断だ。ちなみに「嫌疑なし」は、犯罪の証拠がない、犯罪がないことが明白だと検察が判断した、いわば「真っ白」の判断のことをいう。
 この不起訴処分と、マスキングだらけの上申書は大きな関連性がある。
 一つは「傷害致死」罪については嫌疑不十分で不起訴処分にしたため、「上申書」の中の「傷害致死」に該当すると思われる記述は、加害者のプライバシー侵害をかんがみたり、あるいは「死体遺棄罪」には関係がないと検察官が判断し、あらかじめ、裁判所に証拠採用を請求する際か、被害者遺族に開示をする際にマスキングを施したと考えられること。
 もう一つは、杉本夫妻の刑事弁護人が、「死体遺棄」の刑事裁判で検察官が証拠採用を請求してきた上申書や員面調書─どこからどこまでは認めるが、ここからここまでは認めないというふうに─を(検察官と)細かく争ったためであること。つまり、「上申書」や警察官の調書などの何ページの何行から何行目までは認める・認めないと検察官と弁護側が細かく争った結果である。その争った形跡がわかる記録を見ると、「一文字」を激しく争うことが─「傷害致死罪」では起訴されていない被告人に不利になりかねない─「傷害致死」をにおわせる記述は少しでも法廷に証拠として出したくない刑事弁護人の意思がわかる。それが被告人の「人権」を防御することにつながるという弁護行為だ。
 マスキングの理由はこの両方が合わさった結果だろうが、ようは、マスキングをされた部分が不起訴になった傷害致死に該当し、マスキングをされていない部分は死体遺棄に当たる供述だと考えれば理解しやすいと思う。

 私が取材をスタートさせたとき、杉本夫妻は別々の刑務所で服役に入ってすでに数カ月が経っていた。かたや麻子の遺族は、杉本夫妻の出自から事件を起こした動機、麻子との関係など、つまり事件についての情報がほとんどといっていいほど知らされないまま(知ることができないまま)、杉本夫妻に対してそんがいばいしょうせいきゅうしょうを起こした後だった。遺族が知り得ていたのは、マスキングされていない部分から読み取ることができる、死体遺棄の模様程度だった。
 なぜ、どこからも加害者や事件についての情報をほとんど何も知ることができないままだったのか。
 最大の理由は、杉本夫妻が黙秘権を行使したからである。
「死体遺棄」で逮捕された直後から取り調べが始まると─夫婦それぞれに弁護人が付いたあたりから─取り調べに応じていた態度を一転させ、捜査機関の取り調べ段階の当初から「死体遺棄」の刑事裁判に至るまで、黙秘を徹底した。
 罪が確定するまでは「容疑者」のままであることは当然のルールであり、犯罪容疑をかけられた者が自らの利益のために黙秘をするということはいわずもがな重要な被疑者の権利だが、裏を返せば被害を与えた遺族に対して口をつぐむということになる。
 そうなると、被害者遺族にとっては、ただ家族の「死」が転がっている現実を突きつけられるだけで、そこに近づこうとしても、できない。手が届かない。むごい。そう私は思う。
 事件について少しでも情報を得るために、民事訴訟提起後に加藤麻子の遺族代理人の平野よしみち弁護士は、不起訴となった「傷害致死」の資料一切合切をえつらんとうしゃしてほしいと事件記録を管理する保管検察官(第一審の裁判をした裁判所に対応する検察庁の検察官)に対して申請したが、開示されたのは、積み上げると数十センチになる「監禁」─当初、監禁容疑で警察は捜査をしていたことがうかがえる─と「死体遺棄」の実況見分調書等の記録だけだった。肝心のマスキングされる前の上申書や調書の類は何も出てこなかった。
 杉本夫妻は「死体遺棄罪」でしか起訴されなかったため、それに関する事件記録しか入手できず、「傷害致死」に関する不起訴記録は何も出てきていなかった。不起訴事件の事件記録は原則的に開示されないのが実態である。
 したがって、「死体遺棄」の刑事裁判けいぞく中に、被害者保護法にもとづいて入手したマスキングだらけの「上申書」十数通と員面調書一通などの情報しか被害者遺族にはもたらされなかったのだ。
 杉本夫妻がどうして加藤麻子を死に追いやったのか、どうして遺体を遺棄したのか、夫婦と麻子の関係はどんなものだったのか。そもそも杉本夫妻はどこの何者なのか─こんなことがいっさいわからないまま、麻子の遺族は民事訴訟を起こし、弁護士らと共に懸命に打開策を探し始めていた。民事裁判を通じて、せめて少しでも事件の「断片」を知りたい。そして、それは、民事裁判で、娘の命を奪い死体を遺棄したという─つまり刑事では「傷害致死」と「死体遺棄」両方の責任─を損害賠償額というかたちで認めさせる有力な証拠となる。遺族の闘いは結果、不起訴事件ゆえにマスキングされたり、隠されることになった「不起訴記録」全体を手に入れる方向に焦点化されていく。

 はたして隠された不起訴記録は開示されるのか、否か。この国の司法制度と、被害者遺族はどう向き合っていったのか。

 一人娘の命を奪われた理由すらもわからない絶望的な状況の中で、麻子の遺族は心の傷口をき出しにさせたまま、先の見えない闘いに挑み続けた。こう書くと加害者や法制度とかんぜんと立ち向かう被害者遺族を連想するかもしれないが、違う。遺族は精神の疲弊の極みにあり、時間だけがただ残酷に過ぎ去っているのが現実だった。一方で、加害者夫妻は二年二カ月という短期の懲役刑に服していて、社会復帰するまでの時間を刻んでいた。刑期をつとめあげれば何事もなかったかのように「市民権」を得て、社会生活に戻ることができる。
 加藤麻子はなぜ、死んだのか。
 私は月刊誌『潮』誌上で十一回にわたり、彼女の生きた人生の断片を少しでも拾い集め、随時報告をしていった。取材はときに思わぬ方向に展開を見せたが、私は麻子に導かれたのかもしれないとその都度思ったものである。

『黙秘の壁』アマゾンでの購入はこちら
楽天ブックスでの購入はこちら
★「潮WEB」無料アプリのダウンロードはこちら→ http://www.usio-mg.co.jp/app
top
  • 連載一覧
  • 著者一覧
  • カテゴリ一覧
  • ランキング
  • facebook
  • twitter
Copyright © 2015 USHIO PUBLISHING CO.,LTD. All Rights Reserved.