第四章 直 視(承前)

「それでも残る。もう少し期限を緩和かんわしてもいいんじゃないか、せめて他の店と同じように。そうお二人は思っていた」
「はい。私もさんも、売れ残りを半値でゆずってもらいます。二四時間以上経ってから食べることも、しょっちゅうあります。うちの子供もしい美味しいって喜んで食べてくれるんです。香辛料に工夫してるから風味もそれほど落ちていません。そんな惣菜そうざい廃棄はいきされると思うといたたまれず、専務に話を聞いてもらったことがあります」
 そう言いながらも、当事者であるしょうのほうをは見なかった。そのせいで真理子の顔が不自然にこわばっているように思えた。
「食品廃棄のことで、平岡ひらおかさんから相談を受けてたなんて聞いてないですね」
 光田みつたが不満げに正太を見た。
「相談なんて受けてへん。ずいぶん前にを聞いただけや。そうやろ?」
 座高が高い正太は、真理子を見下ろす。
「愚痴とはちがいます」
 ぜんとして真理子が言った。
 その様子に驚いたのか、正太の巨体がれた。イレギュラーに弱い性格が動作にけんしている。深読みすれば、店でのいざこざには言及するなと口止めをしていたのかもしれない。
「愚痴いうのは言い方が悪かったけど、相談というほどでもなかった。なあ、平岡さん」
 正太は語尾を強めた。
「私、廃棄をしない方法はないんですかってきました。それで専務は」
「平岡さん、よう考えてしゃべりや」
 正太が大きな声で真理子の言葉をさえぎり、身をちぢこまらせた真理子に向かって、
ぐらさんに関係ないことは、言わへんほうがええ」
 と低い声で釘を刺した。
「小倉さんに関係ないことではありません、専務」
 やはり真理子は、正太ではなくけいろうのほうを向いて話す。
 これは一種の拒絶を表す態度だ。光田が言う訳ありの仲だとすれば、二人の演技ということも考えられる。ただ、正太の驚き方は芝居には見えなかった。精神科医をだますほどの演技力の持ち主でない限り、いまの二人の関係にはれつが生じていると言える。
「平岡さん、ちょっと」
 正太は立ち上がりざまに、真理子の腕を取った。
 真理子はつり上げられ、そのまま立たされる。
「専務、痛いです」
「話がある、表に出よ」
 二人は初めて向かい合った。
「専務。話やったらここでしてください」
 真理子は手を振りほどく。
 正太は真理子の耳元に顔を寄せた。
「夢が消えてもええんか」
 ささやき声だったけれど、慶太郎の耳には確かにそう聞こえた。
 真理子はじっと正太の顔を見つめたまま黙った。くちびるに力が入っているのが分かる。
 ハッピーショッピーの食品廃棄を請け負うくま産業と正太が、真理子を巻き込んで新しい商売を始めようとしていることは、光田から報告を受けていた。そのことと真理子の夢は関連しているのか。
「お二人とも座ってください」
 慶太郎が声をかけ、
「いま夢という言葉が聞こえたんですが。どういうことです?」
 と正太に訊いた。
「そんなことまで言わんとあかんのですか」
 憤然として正太は椅子に座りなおす。
「いえ、小倉さんも夢を持ってこちらで働いておられたようですから。彼女が師と仰ぐ平岡さんの夢ってなんだろうと興味を持っただけです。やっぱり惣菜に関することなんでしょう? 小倉さんと同じように」
 正太の視線を無視して真理子に訊く。
 その際、慶太郎は本来なら食に関することと言うべきところを、惣菜と言い換えた。真面目な性格の持ち主は、間違いを訂正したいという欲求が強い場合が多い。こだわりのある事柄であればあるほど、その欲求は強まるはずだ。真理子が由那の夢を知っていれば、必ず反応する。
「いえ、惣菜ではなく……」
 と、すぐに真理子が訂正してきた。
「惣菜ではない?」
 慶太郎は首をかしげて見せる。
「そうです。由那さんには、駅弁のプロデュースをするという具体的な夢がありました。そのために料理研究家になりたいと。由那さん、大阪の食品会社に勤めていたときの上司といろいろあったみたいで、その人が東京にいるんだそうです。日本一売れるお弁当を作って、その男性に自分の味を認めさせたかったんです」
 由那には、自分の力を認めさせたいと思う人物がいた。
 食品会社の男性上司──。
 山梨のしらが「片思いの方がいます。けれど、その方とのことはもう吹っ切れてるはずだから、それが原因で自殺なんて、絶対ありません」と言っていた。男性上司が、片思いの相手だったと考えるのはあまりに短絡的だろうか。
 どんな事情があったのか分からないが、恋愛はじょうじゅしなかった。しかしその相手に自分の力を認めさせることを目標にしたから、友紀子は自殺はあり得ないと言い切れたのではないか。
「その夢、あなたはどう思います?」
「由那さんなら実現できると、私も応援してました」
 冷えても味が落ちない工夫を惣菜作りから学びたいと、由那はよく口にしていたという。
「お弁当のおかずを想定していたんですね」
「由那さん、冬でも冷えた惣菜をレンジで温めずに食べて、自分の舌で味を確認してました」
「目標があり、それに向かって日々研鑽けんさんできる環境があった。そばにはあなたという尊敬できる師匠がいる。そんな状況で、由那さんが自殺すると思いますか」
「ない、と思います」
 そう言ってから、真理子は自分の言葉を飲み込むように、もう一度深くうなずく。
「でも、遺書めいたメモをのこして亡くなりました」
 慶太郎は、ビニール袋に入った由那のメモの現物を真理子に手渡す。由那の姉、から借りたものだ。
「またそんなもんを」
 そっぽを向いていた正太が、短い首を精一杯伸ばしてのぞき込んでらす。
「由那ちゃん……」
 真理子の手にあるビニール袋が揺れたかと思うと、強く閉じた目から涙が流れ出した。
 真理子がハンカチで涙をぬぐうのを待って、慶太郎は声をかけた。
「お辛いですね。警察からも見せられたと思うんですが、どうしてもここにかえらざるを得ません。この文面があるから警察は自殺を有力視しました。それで、もっとも身近にいた平岡さんに確認したいんです」
「私で分かることでしたら」
 とハンカチを頬を当てたまま、真理子はビニール袋をテーブルに置いた。
「まずはこのメモ用紙ですけど、調理場で使っているものですね」
「そうです。材料や分量、加熱時間をアルバイトやパートさんに伝えるために調理場のボードにベタベタと貼ってます」
「これ、広告の裏ですね」
「それはうちの売り出し広告。新聞折り込みや」
「専務、いまは平岡さんに尋ねてますので」
 慶太郎の注意に、正太はまたそっぽを向いた。外向型の正太は、考えるより先に言葉が口をついて出るようだ。それに反して内向型の真理子には、考えをまとめる時間が必要になってくる。
「日常的にメモとして使っているもので、間違いないですね」
 真理子は唇を軽く噛み、うなずいた。
「次に内容です」
 そう言ってから、
「もう限界です。これ以上は耐えられません。ただ自分が楽になりたいだけじゃなく、支えてくれた人たちのために決心したんです。覚悟を決めて今日のうちに行動に移します。迷惑をおかけすることになるもしれませんが、私の気持ちを分かってください ゆな」
 と慶太郎はそらんじている文言を口にした。
「文面を覚えていらっしゃるんですか」
「何度も読んでいますからね。平岡さんは、この文面をどう思います?」
「刑事さんから見せられたときも言ったんですけど、由那さん、相当思い詰めているなと思いました。同時に強い覚悟を感じます」
 真理子はテーブルのメモを見つめる。
「その覚悟ですけれど、『今日のうちに行動に移します』とあるんですが、この行動を警察は自殺だと解釈した。平岡さんはどう思いますか」
「自殺なんかするはずないと思ってます。ですが、この『行動』が意味するところは、私にも見当がつきません」
 真理子はまた下唇を軽く噛んだ。
「このメモは、読むであろう相手を想定しているように見えます。文面から察するに、これまでに辛いことがあったんだけれど、それを相談していたのか、それを知っている相手だ。だから、『私の気持ちを分かってください』と念を押した」
「先生は、私にてたものだとおっしゃりたいんですね」
「そうとしか考えられない。そしてあなたと小倉さんの共通の悩みは、食品廃棄の問題だということになる。もし遺書だとすると、送る相手はもっとも尊敬する平岡さんの他には考えにくい。文面を見たとき、あなたもそんな気がしていたんじゃありませんか」
 両手でハンカチを握りしめる真理子の手が震えていた。
 真理子の答えを待たず慶太郎は続ける。
「問題は、これが遺書ではなかったとしたら、どうなるかということです。小倉さんが何者かに殺害されたということになる」
 もしメモがなかったなら、えん事故の可能性も警察は考えただろう。それだけこの粗末なメモが重要な役割をになった。
「犯人にとってこれほどありがたいものはありませんよ」
「犯人がメモを書いたっていうんか」
 正太が大きな顔を慶太郎に近づけた。
「警察はすでに小倉さんの筆跡であることは調べていますから、本人が書いたものに間違いないでしょう」
 黙っていられない性分の正太に、仕方なく慶太郎は答えた。
「小倉さんの字です。彼女の文字はよく見て知ってますから」
 真理子は強い口調だった。
「そないなもん、どうやって手に入れたんや。まさか脅して書かせた……」
 と正太はメモに視線をそそぐ。
「それは分かりません。ただもし犯人が強要したのなら、もっと遺書らしくすると思います。こんなチラシの裏ではなく、封書にするとか」
「そらそうや。もっと自殺やと分かるように、はっきりした文面にするわな。先生らが疑念を持たへんように」
「そうなると、このメモの意味するところは何なんだろうということになります」
 明確に自殺を装うために用意されたものではなく、その場にあったものを利用しただけなのではないか。
「私は、メモ以上でもそれ以下でもない、と考えました」
「調理場にあったもんを、犯人が持ち出したちゅうんですか」
「とは限りません。小倉さん自身が持っていたか、ちょうど書き終えたところだったのか、とにかく小倉さんの部屋のちゃだいの上にあった」
「じゃあ、偶然だと?」
「そういうことになりますね。犯人の機転に警察もだまされたんです」
「おっそろしいやっちゃな」
 正太は息を吐いた。
「メモをメモとして見た場合、気になる部分があるんです。まずここにある小倉さんの決心とは何だと思います? 平岡さん」
 黙って慶太郎と正太のやり取りを聞いていた真理子は、
「それは……たぶん」
 と言ってから、なぜか黙ってしまった。うつむき何度も目をつぶるのは、頭の中でさまざまな考えをめぐらせている証拠だ。再び間違いを放置できない真理子の性質を利用することにした。
「話したくないことなら、無理にとは言いません。代わりに、私が勝手に想像したことをしゃべりますね。ちがうと思ったら遠慮なく指摘してください」
 慶太郎は由那のノートを再び開く。
「ここに記された『よだかのこころ』が象徴するように、あなたも小倉さんも、食品ロスで悩んでいた。生き物の命をいただいていることを考えれば、いたんでもおらず、味も変わっていない料理を、ただ一二時間経ったからといって廃棄されるのに我慢ならなかった。一方で店の方針があり、万が一食中毒を出したら、お客様に申し訳が立たない道理も理解できる。まさに板挟み状態だったんですね。ここからは想像です。ことに師匠であるあなたが苦しんでいる姿を見たくなかった。だから店長に進言しんげんしようと決心した」
「正社員の私でも、お店の方針に口出しできないのに、ですか」
「いや、言えないからあなたは苦しんでいたんでしょう? それが小倉さんには耐えられなかった」
「私のために……」
「店の方針と合わへんのやったら、ここをやめたら済むこっちゃないですか」
 正太が投げやりな口調で言った。
「困ります、由那さんにやめられたら」
「ええ?」
「それは専務もよう分かってるはずです」
 真理子の声がうわずった。
「そらそうやけど」
「店にも、やろうとしてることにも必要なひとでした」
 真理子が正太をにらんだ。
「そやから、そのことは……」
 正太がまゆを下げ、唇を人差し指で押さえる。
 そのときまた真理子は唇を噛んだ。どうやら癖になっているようだった。
 慶太郎は研修医時代に、精神科のグループカウンセリングの現場に何度か参加したことがある。そのときの先輩医師のように、成り行きを見守ろうとあえて口を挟まなかった。
 しらけた空気に不安を覚えたのだろう、
「あの専務、いま店長はどこにおられるんですか」
 と光田が訊いた。
「何でそんなことを?」
「ここにきたとき事務所を覗いたんですが、姿がなかったもので」
「今日は終日、仕入れ先の農家さん回りをしてます。親父には、こんなとこ見せられへんさかいね」
 正太はへの字口をして会議室内をざっと見回す。
「そうですか。なら大丈夫だ」
 光田が独り言のような言い方をした。
「何が?」
「熊井さんのことですよ」
「あんた、それは約束違反やで」
 正太は光田を怒鳴り、目は慶太郎を捉えていた。
本宮もとみや先生なら、大丈夫ですよ。職業柄、秘密保持が身にみてるはずですから」
 そんな光田の言葉を受けて、ようやく慶太郎は話す。
「光田さんから話は伺ってます。熊井産業さんと専務が懇意こんいにされていると聞いて、惣菜部の二人が食品ロスに胸を痛めていたことと結びつけると、いま平岡さんがおっしゃった、小倉さんにやめられたら困るという言葉の意味が見えてきます。小倉さんも熊井さんのプラントで作業をされていたんですね」
「ああ、もう、おしまいや。何でこんなことになるんや」
 正太は立ち上がって、両手で頭をかかえた。
「名田さんと熊井という方が、どんな商売をしようと関心はありません。私が知りたいのは、小倉さんがどう関わっていたのかです」
 慶太郎は、正太に腰掛けるよう促した。
 不承不承座り、貧乏ゆすりを始めた正太に、真理子が訊いた。
「専務、もう話してしまってもいいのでは」
「あかん。そんなことしたら、ほんまにすべてがおじゃんになる」
 と正太は取り付く島もない。
「けど、由那さんは、私のために」
「親父に進言したって言うんか。そんなこと僕は親父から一言も聞いてない」
「それは専務も私らと同じ考えやと、店長が知ってるからとちがいますか」
 真理子が食い下がった。
「確かに食品廃棄の問題では、僕と親父は考え方がちがう。そやけど小倉さんから何か言われてたんやったら、いくらなんでも専務の僕に言うはずや。食品を扱ってる店でこのことに無関心な経営者はない。どこもギリギリの薄利はくりでやってるんや。捨てることには、すごい抵抗がある」
 二人の話を聞くうち、正太が何をくわだてているかが、徐々に見えてきた。一二時間での廃棄処分には反対の立場をとりながら、廃棄業者の熊井と連携し、そこに惣菜部の真理子がからんでいる。だとすると廃棄予定の食品を再加工して流通させようとしていると、容易に想像がつく。
 少し前に廃棄処分された食品が流通したことがあった。横流しした会社の代表者も転売した業者も、詐欺罪や食品衛生法違反などで有罪判決を受けている。そんな危ない橋を正太は渡ろうとしているのだ。しかも憎からず思っている真理子を巻き込んでいる。彼の性格からして、そこまで大胆なたくらみができるとも思えない。
 光田の話では、熊井産業の名を出したとき、正太はかなり動揺していたという。おそらく廃棄食材の再加工の件は、熊井が主導権を握っているにちがいない。
 熊井は海千山千うみせんやませんの経営者だと光田が言う。熊井が世間を騒がせた横流し事件と同じてつを踏むはずはない。発覚しない何らかの手立てをほどこし、草創の苦労を知らない二代目が、その熊井の話に乗った。
 危ない話であることを承知で熊井と手を組んだ正太にも、それ相当の覚悟があったはずだ。そうまでしなければならなかった正太もまた、悩める一人の人間だったということか。
 そう思いながら、彼の隣に座る真理子に目を転じた。背筋を伸ばし、りんとしたたたずまいに優しさと強さを感じさせる。体が大きい正太は子供のようにうろたえ、小柄な真理子は母のようにどっしりと構えているように映った。この部屋に入ってきたときと正反対で、主客が入れ替わっている印象だ。
「名田専務、あなたも平岡さん同様、お父さんとの板挟みで辛かったでしょう。しかし専務としてなんとかしなければならなかった。そうですね?」
 クライアントを前にしているような穏やかな口調で慶太郎は訊いた。
「板挟みは、なにも食品ロスのことばかりやあらへん。値引き競争は常にせめぎ合いですさかい」
 一円でも安くしないと他店に客をさらわれる。安くするには仕入れ値か、利益を削るしかない。結局、店はいつも泣く、と正太は不満をぶちまけた。
「それではお店も、専務もへいしてしまいますね。疲れ切った状態のときに、熊井さんから食材の再利用を持ちかけられたんじゃないですか」
「その話はしません」
 正太の首の振り方は激しかった。
「光田さんも言ったように、秘密は守ります。さらに私が守りたいのは、専務のように疲れ切った人の心なんです」
「僕は病気やないですから、お構いなく」
「誤解を恐れず言います。現代人の心は、どこかしら病んでいる。病名のない疾患しっかんを抱えて生きている人が多いと私は思います。それは私もだし、ここにいる光田さんも、さらに専務のお父さんも」
「親父の病は頑固なところですわ」
「そのお父さんを相手にしなければならない専務は、いっそうかたくなにならざるを得なかった。廃棄する食材を平岡さんや小倉さんの料理の腕によってよみがえらせる。そしてあらたに流通させようとした。そのために平岡さんも、その右腕だった小倉さんも必要な人材だった。ちがいますか」
「この前も光田さんに言いましたけど、もう勘弁してください」
 正太は弱気な声を出した。
「先ほどお目にかけた小倉さんのノートの欄外にあった言葉ですが、おおむね時間軸にのっとって書かれています。時間経過とともに心の変化をメモしたんだと思っていい。『よだかのこころ』の後に『もう分からないよ』『私のほうがまちがってるかも』とあるんですが、またその後に『おもしろ、おかしく、おろかしく』『可愛がって、育てて、殺しちゃう』『夢への一歩だと信じよう』と続く」
『よだかのこころ』が、食品ロスに悩む由那の心境だとすれば、その方法についてどうすればいいのか分からなくなったとき、正太から熊井産業との仕事に誘われた。ところが今度は本当にそれでいいのか、もしや間違っているのでは、と迷いはじめる。揺れ動く気持ちを振り払うように、それが『夢への一歩だと信じよう』としたのだ、と慶太郎は言った。
「これらの言葉から察するに、小倉さんは食材の再利用を手放しで喜んでいたわけじゃないってことですよ」
「そんなはずない。あの子も納得してたはずや」
「やっと、小倉さんも再利用に巻き込んでいたことを認めてくれましたね」
 正太に向かって微笑ほほえんだ。
「無理に巻き込んだんやない。そうやな平岡さん」
 助け船を請うような目で正太は真理子を見る。
「先生がおっしゃるように、諸手もろてを挙げて賛成はしてませんでした。でも、由那さんが書いてるように、夢への一歩だからって、お互いに納得させてました」
「そうですか、お互いに……では平岡さん、あなたの夢はなんですか」
「専務さんからは、私の味をブランド化させたいっていうてもらってます。そうなったらいいなと、思ってるんですが、本当は……」
「なんや、ちゃうんか」
 正太には告げていない夢があるようだ。
「本当にやりたいことは何ですか」
 慶太郎に促され、
「病院向けの冷凍食品を作る会社をやりたい、思てます」
 と真理子は思い詰めたような目をして言った。そして、ハッピーショッピーの惣菜部の味を作ったというとうサワの名を出した。七一歳のサワは週に一度しか店に顔を出さないが、いまも味の監修をしているという。
「サワさんが私の師匠です。そのサワさんがおととし足を骨折して入院したとき、病院の食事がよくないとなげいてました。これでは治す気力が出ないって」
 真理子は献立こんだてを確かめ、調理する人にも話を聞いた。すると予算が限られていて、これ以上は難しいという返答だったそうだ。
「私も大学病院の現状はよく知っています。以前から栄養士が困ってました。患者に必要な栄養も確保しづらいと」
「だから廃棄される直前の食材ならコストが削れますし、美味しく再調理したものを冷凍すれば価格も安定するんじゃないかと考えたんです。いまの献立に一、二品加えられればずいぶん変わると」
「確かに病院も助かるし、美味しい食事は、サワさんが言うように治ろうとする気にさせてくれます。なるほど、それで専務の話に乗ったんですね」
「それでも、廃棄したものの横流しは違法ですし、店長に隠れて熊井さんのプラントに行くことに後ろめたさが付きまとってました。何より、食べた人に何かあったらと心配で」
「小倉さんもあなたと同じ気持ちだった。『もしものことがあったら』と記し、亡くなる直近に『やっぱり限界だ』と」
 慶太郎は再びメモの入った袋を手にし、
「そして、このメモの『もう限界です。これ以上は耐えられません』につながった」
 と静かに言った。                                          〈つづく〉