新入社員

 新入社員が私の部署に配属された。中途採用で、いつもニコニコしているやつだ。
 私は、そいつが仕事に慣れるまでの指導係を任された。しかしそいつは、じつに厄介なやつだった。
 仕事がまったくできないのだ。
 そもそも、うちの会社で求められるスキルを、何ひとつとして身につけていなかった。聞くと、前の会社では、まったくの畑違いの仕事をしていたのだという。
 中途採用で力のない者をとるなんて、聞いたことがない。今年の人事は、いったい何をやっているんだ。
 コネ入社だろうかともかんったが、どうも違う様子だった。よほど人をきつけるものがあったのだろうか。
 それにしても、ただでさえ忙しいのに、なんで自分が素人のお守り役を引き受けないといけないんだ……。
 私はぶつくさ言いながらも我慢して、粘り強く指導した。
 けれど、その粘りが報われることはなかった。いくら教えても、そいつのスキルはまったく向上しなかったのだ。だんだんイライラが募ってきて、思いきり叱りつけてやりたい衝動にもしばしば駆られた。しかし、あいきょうだけはあるやつなので、いざそいつを前にすると調子を外され下手に怒ることができなかった。
「まあ、少しずつ覚えていったらいいからさ」
 気がつけば、つい優しい言葉でフォローしている自分がいるのだった。
 そして、事態は悪い方向へと転がっていく。
 仕事ができないだけなら、まだよかった。困ったことに、やがてそいつは人の仕事をじゃしはじめたのだ。
 たとえば、私がデスクで書類を作成しはじめる。するとそいつは、タイミングを見計らったかのように近づいてきて、話しかけてくる。私はそのたびに仕事を中断せざるを得なくなる。
 最初こそ、適当にあしらっていた。周りの雑音にまどわされず己の仕事をかんすいするのが、プロというものだろう。
 しかし、あまりにもしつこいので、つい一度、話に耳を傾けてしまった。
 これがいけなかった。
 話をよく聞いてみると、あろうことか、おもしろかったのだ。内容は大したことなく、すぐに何かに役立つようなものでもなかった。それなのに、どんどん話に引きこまれる。
 変わった友人のエピソード、旅行先での思い出話、流行りのジョーク。
 ブラックなものからユーモラスなものまで、世代間のへだたりもなく、そいつは幅広いネタを次々と繰りだし楽しませる。
 しかし、と、私は不意に正気になる。いったい何をやっているのかと。
 飲み会でのことならばともかくも、ここは飲み屋ではなく会社なのだ。
「ほらほら、おしゃべりの時間は終わりだ。早く自分の仕事に戻りなさい」
 そいつを席に追い返し、私も慌てて仕事に戻った。
 が、しばらくすると、そいつは再び私に声をかけてきた。無視しようとしたものの、先ほどの楽しさがよみがえってきて少し耳を傾ける。ついつい惹かれ、どんどん夢中になっていく――。
 この悪循環は、程なくして日常の出来事としてすっかり定着してしまった。
 仕事は遅々として進まずに、私の悩みの種になった。
「これは良くない、良くないぞ……何とかしないと」
 そんなことを思っていると、もうそばにそいつが来ている。
「なんだ、びっくりしたなぁ……」
 そうつぶやいた瞬間には、すでに口を開いている。耳を傾けると、この日は今シーズンのプロ野球の順位予想について話しはじめた。
 普通なら、雑談はやめろといっしゅうしてしまうだろう。それに、先の分からないことを延々と議論するなど、こっちょうだ。そんな時間があるのなら、もっと生産的なことに貴重な時間を使うべきだ。
 と、普段ならばそんなことを言うのだろうが、困ったことに、私は野球だけには目がないたぐいの人間なのだ。順位予想をさかなにすれば、いつまでだってうまい酒を飲みつづけられる。
 そんな私が、話に身を乗りださないはずがないではないか。しかもそいつは良いタイミングで意見を求めてきたりもし、話はどんどんはずんでいった。
 ある選手のマニアックなモノマネに腹をよじって笑い転げ、私は椅子に頭を打ちつけた。そのときになって、ようやくハッと我に返った。
「こんなことをしている場合じゃなかった! 仕事だ、仕事!」
 私は、そいつの首根っこをつかんで席まで追いやる。きちんと座らせ、自分のデスクに慌てて戻る。
 が、腰を落ち着けたその直後、私は声をかけられる。振り返って、ぎょっとする。せっかく苦労して座らせたのに、そいつがもうやってきていた。そして、こちらが怒るよりも早くしゃべりはじめる。
 今度は、芸能人の色恋の話だった。
 他人の恋愛なんて、どうでもいいよ。
 そう思いながらも、一応、耳を傾ける。それはテレビでよく見る女優のことで、好印象を持っていた分、自ずとうま根性をくすぐられる。
 彼女がまさか……でも、たしかにしんぴょうせいは高そうだ。いやいや、実際、ありうる話ではなかろうか。
 すっかり夢中になってしまって、気がつくと陽が傾いていた。私は、またしても術中にはまってしまったのだった。
 こんなことではらちがあかない……。
 あるとき私は意を決し、初めてそいつに強く言った。
「重要な仕事をしてるんだ。絶対に話しかけないでくれ」
 すると意外にも、そいつはすまなさそうな顔を見せ、すぐに頭を下げて非をびた。自分の間違いを素直に認められるとは、好感の持てる良いやつだな。私は清々しい気持ちに包まれながら仕事にかかった。
 効果はすぐに現れた。その日から、そいつに話しかけられる頻度が減ったのだ。いや、もはや近寄ってくることすらなくなって、遅れていた仕事もウソのようにはかどった。
 しかし、しばらくするとだんだん物足りなさを感じてきた。一切話しかけてこないとなると、それはそれでなんだか寂しい。声が恋しくなってそわそわし、仕事の効率も落ちてきた。
 私は席に近寄って、思わず言った。
「おい、なにも会話をゼロにしろと言ってるわけじゃないんだぞ」
 そう言ってはみたものの、そいつの態度にはまだ遠慮が見え隠れしていた。時たまこちらの様子をうかがっているにもかかわらず、結局こちらにはやって来ず、ほかのやつとばかり話しているのだ。楽しそうに談笑する姿が横目に映ると、気になってしょうがなかった。
「おい、なにを遠慮してるんだ。もっとおれに話しかけてこいよ! 仕事ならなんとかなるさ。楽しくいこうじゃないかっ」
 私が言うと、そいつはパッと笑顔になった。
 談笑の日々が再開する。
 ある日、私は上司に呼ばれ、仕事のしんちょく具合のことで怒られた。
「ちゃんとやってくれないと困るじゃないか」
 私は、にわかに目を覚ました。非があるのは自分じゃない。あいつこそが原因なのだ。
 ついに私は、そのたいな勤務態度を上司に洗いざらい打ちあけた。
「仕事をしないで、しゃべってばかりいるんです。人の仕事まで邪魔してきます。どうにかしてくださいよ」
 だが、まったく聞き入れてもらえなかった。
「あんな良いやつは、そうはいないよ。そんなことより、自分の仕事にはげみなさい」
 得意の弁術をもってして、すでに上司に気に入られているのだ。
 私はしぶしぶ席につき、仕事にかかる。その矢先、どこからともなくそいつがすり寄ってきて、話しかけてくる。笑わされ、楽しくなり、仕事のことなどどうでもよくなる。時間だけが過ぎていく。
 やっと解放され、仕事に戻る。が、笑ったいんで思うように集中できない。
 パソコンの画面をながめていると、笑い声が聞こえてくる。見回すと、あいつが上司と談笑している。
 楽しそうだなぁ……。
 ダメだ、ダメだ。いまが仕事を進めるチャンスじゃないか。
 でもまあ、いいか、ちょっとくらい……。
 私も輪に加えてもらい、上司を囲んでしゃべりはじめる。
「いや、さっきはすまなかった。案外きみも話せるやつだな」
 私も上司に気に入られ、それ以来、仕事の遅れをとやかく言われることもなくなった。そいつが仲介してくれたおかげといえるだろう。今度、飯でもおごってやろう。
 楽しい日々が過ぎていく。
 そのうち、そいつが席を外す頻度が増えてきた。フロアを見渡しても見当たらず、いったいどこに行っているのだろうと首を傾げた。
 あるとき後をつけてみると、どうやらほかの部署に出入りして、いろいろな人としゃべっていることが判明した。
 交友関係を広げるのは、ビジネスパーソンとして素晴らしいことだ。しかし、私としては話し相手がいなくなると寂しくなる。
 だからといって、無理に行くなとは言えやしない。気分を害され会社を辞められでもしたら、寂しいどころでは済まなくなる。
 葛藤の末、私は良い解決策を思いついた。
 こういうときは、自分から動くことこそ重要なのだ。私は、積極的に自分から新しい話し相手を求めるようになっていく。
 はじめは自分に自信がなかった。もともと、話が上手なほうではなかったからだ。
 けれど、すぐに要領がつかめてきた。あいつのおかげで、気づかぬうちに私も興味をそそるおもしろい話ができるようになっていたのだ。
 ちょうの仕方。間のとり方。ユーモアセンス。
 私が声をかけると相手は仕事をする手を止めて、必ずこちらの話に聞き入ってくれる。狙って笑いをとれるようになり、話術で人の感情を操れるようになっていった。
 私は、すっかり会社にいる時間が楽しくなった。以前は仕事に追われ、どこかさつばつとした時間を過ごしていた。それがこんなに変わるだなんて、これもすべて、あいつのおかげだと感謝した。
 仕事をする時間は減っていったが、一向に気にはならなかった。おしゃべりし、楽しむことが先決だ。
 その空気は周囲にも伝播していき、しばらくすると、社内は人々の談笑であふれるようになっていった。みんなが、人を引きこむ魅力あるトークに長けてきたのだ。
 社長までもがそうだった。苦痛でしかなかった朝礼の挨拶は、いまやおもしろくて仕方がなく、眠る暇など皆無だった。もっとも、楽しいだけで頭には何も残らない。
 会社の業績が傾きだしても、雑談に夢中で誰も気にするものはいなかった。程なくして、会社はあっけなく倒産した。
 ある朝、社長は社員を集め、その旨をおもしろおかしく話してみせた。
 みんな動じることはなく、それをネタにすぐさまおしゃべりを開始した。私も社長の身振り手振りの真似をして、エセ漫才を隣のやつにろうする。あちらこちらで笑い声が絶え間ない。
 やがて社員たちは再会を誓い、新しい明日へと向かって別れた。
 最終出社日、私が荷物をまとめていると、部下のあいつと出くわした。
「おお、元気にしてるか? これからどうするんだ?」
 たずねると、そいつはすでに新しい職場を見つけているのだと言った。何でも、次で六度目の転職らしい。私は転職の先輩としてのアドバイスをもらい、励ましの言葉をかけてもらう。ふつふつと、やる気が満ちる。
 翌日から、私もさっそく職場探しに着手した。
 仕事内容は何でもよく、待遇などもどうでもよかった。社員同士が楽しく語らえる場。それさえあれば十分ではないか。それに、もし環境が良くないならば、自分で変えればいいだけのことなのだ。その方法は、すでにあいつに教わっている。
 まずは面接からはじめなければならないが、どうってことはないだろう。そのための技量はすでに身についているのだし、愛嬌と話術、これさえあればどこでだって通用するに違いないのだ。

                          (完)

 採用させていただいた方
  ・ありんこさん
  (お題「ごみ専門店」)