第三章 罪責感〈承前〉

「いじめる?」
「そうじゃないですか。大手は生産者や下請け、いや孫請けの業者さんに圧力をかけてコストカットをいてる。それが可能なんは大量に仕入れられるからや。利益率が低くなっても見た目の取引額は大きい。安定収入にかれてみんな涙を呑んでる。生産者はいつも泣いてるんや」
「ちょっと待ってください、専務さん。話を大きくしないでくださいよ」
 光田みつたまゆの両端が下がった。
「うちみたいな店は、風評だけでつぶれる。いま、つぶれるわけにはいかへんのです。親父がお客さんを大事に思ってるのと同じ気持ちで、従業員とも接してることは、僕が一番分かってますんや。そやからパワハラなんて絶対ありません。熊井くまいさんのことは……お願いです、いまは、いまは見逃してください、この通りです」
 テーブルにひたいがつくほど頭を下げた。尻に押された椅子が音を立てて床をこすった。
「やめてください、専務。頭を上げてください」
「将来がかかってるんです」
 真理子ま り この夢も──。
「私はハッピーショッピーをどうこうしようとしているんじゃないんです」
「いや、そんな小さなことやなく」
「小さい?」
「……とにかく熊井さんに迷惑がかからないようにしてくれるなら、どんなことでも言うことをききますさかいに」
 テーブルを見たまま言った。
「そうですか……分かりました。ただし条件が二つあります」
「条件?」
 正太しょうたは顔をあげ、光田を見た。
「熊井産業と何をされているのか、一番最初に私に話してもらいたいんです。他の誰よりも早く。分かりますよね」
「分かりますけど、僕の一存では」
「熊井さんに話して了解を得てください」
 光田はぴしゃりと言った。
「分かりました。もう一つは?」
小倉お ぐらさんのことをさらに知りたいんです。彼女をよく知る方を取材したい」
「よく知る?」
 正太はコップの水で口を湿らせる。
「小倉さんが師匠と仰いでいた平岡ひらおかさんと、警備員で同じアパートに住む桑山三郎くわやまさぶろうさんです。専務から取材に応じるよう説得してください。何度もアプローチしているんですが、お二人ともあなたを通してくれの一点張りでして」
「これ以上、二人に何が聞きたいんですか」
「小倉さんが自殺したのだとしたら、平岡さんと店長との間で板挟みになっていたことが原因かもしれない。桑山さんはある意味小倉さんを公私にわたって知る人間だ。他殺と考えると、小倉さんの周辺で起こったトラブルを知っている可能性があります」
「そんなん警察が調べてますやろ。いまさら光田さんが聞かはっても」
「警察とは観点がちがいます。私の取材は犯人探しが目的ではありませんからね。小倉さんは、なぜ死ななければならなかったかが知りたいんです」
 そのためには人物を掘り下げる必要があるのだ、と光田は言った。
「その結果、うちの店に不利になることも書くんですやろ?」
「嘘は書きません」
 寝癖ね ぐせねた髪を、光田はで付けた。
「大手を突けば、ハラスメントが見つかるんとちがいますか。泣いてる従業員かているやろし、表に出てきてないだけで小倉さんみたいな不幸かてあるかもしれへん。小倉さんにこだわる理由はなんです?」
「いま専務がおっしゃったように、表に出てきたからです。森にはたくさんの木の実があるでしょう。でも森に入らなくても目の前に木の実が落ちているのに拾わない手はない。記者とはそんなものです」
 光田の口元がほころんだ。
「店がつぶれて、ぎょうさんの人間が職を失うかもしれへんのに?」
「すでに小倉さんは亡くなっている。それに、専務は店が風評によってつぶれると思っていらっしゃいますが、必要とされるものはそう簡単になくなるとは思えません。現に私がお見受けする限り、いまもハッピーショッピーの惣菜そうざいの前には多くのお客さんが集まっているじゃないですか。新聞で惣菜を作っていた女性が自殺したというニュースを読んでいても」
「それは平岡さんが頑張ってくれているからであって」
「そうなんでしょうね。その平岡さんのためにも、小倉さんの死の真相が明らかにされたほうがいいと思います」
 真理子と親父との板挟みだったのでは、と言う光田の言葉が脳裏のうりを横切る。
 由那ゆ なが亡くなってからの真理子に元気がないのは、正太も気づいている。真理子の息子、真一しんいちが「疲れ切っている」と言っていた通りだ。店だけでもてんてこ舞いなのに、その上熊井のプロジェクトの正念場だったから、体力的にはとても辛い状態が続いている。
 夜中、台所で泣いてたん知ってるんやで、僕──。
 そう言ったときの、真一の悲しそうな目を思い出す。
 真理子にとって由那は単なる優秀な助手ではなかった。正太は二人の結びつきを理解できていなかったのかもしれない。
 光田の思っているように、親父との板挟みで由那が悩んでいたとすれば、真理子が責任を感じたとしてもおかしくない。自分との交際の申し出を受け入れてくれないのもそのためかもしれない。
「話をく場に、僕がいてもええですか。監視するということやなく、付き添ってやりたいんです」
「構いません」
「それで、ほんまに熊井さんの件は……」
「専務が話してくれるまで、追及しません」
 光田は、もう真理子を見張るようなことはしないと言った。
 正太はホテルを出てから、真理子に電話をかけ、近々光田からの取材があることを告げた。そして親父と真理子との板挟みで由那が死んだと思っているようだと説明し、それを否定してあくまで店とは無関係をつらぬくよう指示した。
 真理子の声は震えていた。
「大丈夫、一緒にすべてを乗り越えよう」
 正太は、自分に言い聞かせるように言った。

第四章 直 視




     1




 慶太郎けいた ろう棚辺たなべ春来はるきを診察してから、もうすぐひと月がとうとしていた。
 その日慶太郎は、春来と母の春美はるみとの同時面談を行うことにした。
 三度のカウンセリングで、量は少ないが食事をするようになった、と春美は安堵あんどの表情を浮かべた。
「そうですか、それはいいですよ。お母さんが、いまも送り迎えを?」
 娘の春来を観察しながら春美に尋ねる。
「そうしています」
 春美はそう言って、
「そのほうが私もこの子も安心ですので」
 と娘を見た。
「可能なかぎり、そうしてあげてください。じゃあ日誌を拝見しましょうか」
 慶太郎は春美に春来の症状を書き留めるよう頼んでいた。
 日誌を受け取り、ざっと確認する。春来の体調や感情の起伏を五段階で数値化してもらっていて、点数だけを目で追った。五はないけれど、一や二もない。母親の希望的観測もあるのだろうが、平均すると四に近い評価だ。
「春来さん、学校はどうです。変わりないかな」
 慶太郎は日誌から顔を上げて訊いた。
「変わり、ですか」
「うん。友達と話すことが億劫おっくうになってるとか、好きな科目だったのに気乗りしないとか」
「それは、ないです」
「眠れている?」
「前よりは」
 夜中に目を覚ます回数が減ったと春来が言い添えた。
「それはよかった。体調はどうかな、だるいとかはない?」
「うーんと……」
 春来はこの間の自分の生活を振り返っているようだ。
 あせらずに答えを待つ。
 春来の声には張りがあり、血色も良くなっていた。これまでのような固さはなくなっているし、表情も豊かになりつつある。
 精神的な苦痛をもたらす引き金になった電車に乗っていないことや、自分の苦痛を分かってくれる他人、つまり慶太郎が近くにいることが効いてきているようだ。ただそれだけでは不十分だ。今後電車に乗らず、ずっとクリニックに通うわけにもいかない。
 由那に関係する事柄を見聞きするごとに、何らかの反応を起こすだろう。そこが体の傷とは異なるところだ。
 ならばすべてを忘れてしまえ、という人がいるが、そんなことができるなら精神科はらない。ことに苦痛を覚えるような衝撃的な記憶は、長期記憶として大脳だいのう皮質ひしつにしっかりと刻まれている。由那が自分に向かって手を振った姿を忘れることなど、不可能に近い。
 ただ最近の研究で、脳は記憶をグループ化して保存しているようだと分かってきた。例えば、いやな思い出というフォルダの中に、過去の失敗やそのときの状況、匂いや音など様々な情報が関連づけられ、一グループとして保管されている。このいやな思い出のフォルダの中に、少しでも安心できる材料や勇気づけられる事柄、優しい言葉を加えられれば、辛さは薄められていくはずなのだ。
 いま春来の脳内の由那についてのフォルダは、自責の念でいっぱいになっている。その結果、食事ができなくなり、眠れず、電車が怖いというマイナスイメージしか関連づけられていない。
 慶太郎が由那の死を調べていることが、春来に自分を信じてくれる人間の存在を印象づけている。それが、食べても吐かなかったこと、以前よりは眠れていること、勉強に支障が出ていないことなど、好転につながっているようだ。
「しんどい、とかあまり口にしないような気がします」
 と答えたのは春美だ。春来の長い沈黙に耐えかねたのだろう。
「分かりますが、いまはお嬢さんに尋ねてますので」
「すみません」
 春美は背を丸めた。
「どこか痛いところとかあるかな?」
 一旦途切れた思考をつなぐ言葉を、慶太郎は春来に投げた。
「足がちょっと」
 春来は、初診のときと同様に左足に目を落とす。
「足が痛いの?」
「痛みはないんですけど、前より重いかも」
「それは心配ないです。ダンスの練習を再開すれば、回復するから」
 由那のエールによって、ダンス教室に行く決心をしたのに、由那の死が原因で通えなくなった。これではダンスもマイナスイメージにつながってしまいかねない。
「ダンスの練習……」
「スポーツでも一緒でね、ちょっと離れると動きが悪くなる。だけど体はちゃんと覚えているから、やり始めると案外早くかんが戻ってくるんだよ」
「先生、何かスポーツをしてたんですか」
「剣道をね。いまは木刀ぼくとうの素振りくらいしかできないけど。何度かブランクがあってね。だけどやり始めると、結構動けた。人間の脳と体ってよくできてるんだ。しかし焦りは禁物です。踊りたい、と思うまで待とう」
「そう思えるようになれるのかな」
 春来はうつむいた。
「大丈夫。ダンスはいいなって、好きになったときのことを思い出す。そうすれば、誰かがやめろって言っても踊るよ、きっと」
 慶太郎は笑って見せた。
 その後、母親には待合室へ移動してもらい、一人診察室に残った春来の表情をうかがった。母娘の関係に変化があるかを確認するためだ。
 初診のときは、自分にかまいすぎる母親を煙たがっていたけれど、いまは出口に向かう春美へ優しいまなざしを送っている。依存傾向が生じてきているのは、それほど悪いことではない。むしろ信頼関係の再構築の好機ととらえるべきだ。
 由那の死によって不調をきたしたが、優しすぎる春来の性格を変えることなくプラスに転じてやらねばならない。
 約二十分ほどやり取りして、終わろうとしたとき、
「先生、小倉さん、しんどかったのかな」
 と春来が聞いてきた。
「どういう意味かな」
「毒を飲まされたんでしょ?」
「気になるの?」
 質問を問いで返す。春来が何を問題視しているのか、その輪郭りんかくをはっきりとさせるためだ。
「毒ってにがいんでしょ、不味ま ずかったら吐き出すんじゃないですか。でも飲んじゃった。私、そこが分からなくて、いろいろ考えたんです」
「そうだね、小倉さんが口にしたものは苦みがあっただろうし、けっして美味しいものじゃない。確かに吐き出したほうがよかった」
 春来は、由那に感情移入している。それこそ吐き出させないと、精神的な負担になる。回復のきざしが見えているときこそ要注意だ。
「ですよね。この間、風邪の引き始めでしんどかったとき飲んだお薬、とても苦くて。でもママが飲めっていうから」
「苦かったけど、飲み込んだんだね」
「うん、目をつむって一気に。不味くて吐き出しそうになったけど、治りたかったから。それにママが息を止めて見てたし、辛そうな顔で」
「ママに気をつかったってことか」
「苦いのは私のほうなのに。それでね、小倉さんもお薬だと思って我慢したんじゃないかなって思った」
「それで小倉さんがしんどかったんじゃないかと?」
「早く治りたかったら、飲んじゃうでしょう」
 犯人が薬だと言って由那をだましたと、春来は真顔になった。
「春来さんがお母さんから渡されたお薬を飲んだのは、信頼関係があるからだね。仮に小倉さんに毒を飲ませた犯人がいたとして、そのひととの関係は分からないけれど、無理矢理飲まされたのでもなく、毒だと気づかず一息で飲んでしまったわけでもない、第三の可能性が出てきたってことか。調べてみるから、その件は先生に預けてくれるかな」
「本当ですか」
「先生も、小倉さんをあんな目にわせた人間を許すわけにはいかない。その気持ちは春来さんと同じです」
「死ぬとき、小倉さん苦しんだの?」
 と春来の顔面がゆがむ。
「先生にも分かりません。だから真相を調べて無念のたましいを救ってあげたい」
 春来が小さくうなずくのを慶太郎は確かめて、診察終了を告げた。
 春来を見送り、デスクに戻ってカウンセリングの所見しょけんを入力する。
 春来は、由那の死に様を想像して哀れみ始めている。自分の背中を押してくれた強い女性像が崩れつつあるということだ。たとえ由那にエールのつもりはなくても、春来にはそう思い込ませるべきなのか。慶太郎は迷っていた。
 キーボード上で指がさまよう中、光田からの連絡が入った。
「そうですか、それは助かる。じゃあアポが取れたら教えてください」
 慶太郎は卓上のメモに、桑山三郎、平岡真理子と記した。




      2




 慶太郎と光田は、ハッピーショッピーの中にある会議室で正太と真理子がくるのを待っていた。
「どうしても名田な ださんは同席するんですね」
 と隣の光田に聞いた。
「仕方ないですよ」
 二人は訳ありだからとささやき、光田は下卑げ びた笑みを浮かべた。
「そのことだけど、あなたから報告されたとき信じられなかった。本当なんですか」
「男女のことは分かりませんが、夜遅く自宅を訪問する仲だってことは確かです」
「新しいビジネスのために、送り迎えをしてるだけかもしれないですよ」
 夜遅くに女性の一人歩きは危険だ。由那があんなことになった上に真理子の身に何かあったら、ハッピーショッピーの管理責任が問われる。
「距離感ってのがあります。車から降りて、家の玄関までのわずかな距離でしたが、並んで歩く二人の距離。先生ならお分かりのはず」
「ようするに見た感じってことですね」
「記者の直感、お疑いですか」
 光田の質問に応えようとしたときドアがノックされた。正太の大きな身体が現れ、その陰に小柄な真理子が見えた。
本宮もとみや先生?」
 正太が顔を突き出して、立ち上がった慶太郎を見た。
「驚かれるのも無理はない。光田さんに取材をお願いしていたのは私なんです」
「どういうことなんですか」
 正太は真理子を席に着かせると、自分も椅子に座った。
「小倉さんの友人として、彼女の自殺に否定的だったことは、すでにご存知ですね」
 由那の部屋を整理しているとき、慶太郎と垣内かきうち刑事とのやり取りを正太は聞いていた。
「けど、何で新聞記者を」
「ひとの命に関係することがらです。正確な判断を下すためには、多くの情報を得る必要があった。一介の精神科医の調査などたかがしれてますので」
 光田とはこの件で初めて知り合い、互いの利害が一致したと言った。
「利害って。こっちはえらい損してるのに」
 正太の左の頬がピクリと動いた。
「名田さん、私は小倉さんのことがもっと知りたい。ただそれだけなんです。その結果、例えば小倉さんに不利な事実が出てきたら、それはそれで受け止めて、彼女のお姉さんにもそのまま伝えます。このお店をきゅうだんするつもりなど毛頭ありません」
「そんなん信じられませんね」
 正太は光田に視線を向けた。
「信じてもらう以外ないです」
 光田がカーナビのような機械的な言い方をした。
「もう勝手にしてくれ」
 正太は体ごとそっぽを向いた。
 正直なボディーランゲージだ。これまでの言動から判断して、この体型に多いそううつ気質のようだ。基本的に温厚で優しいが、感情の起伏は激しい。
 いまもそうだが、部屋に入ってくるとき、我々の視線から真理子を守ろうと巨体を利してたてとなっていた。光田が言うように、正太の真理子への想いを感じないでもない。
 慶太郎は真理子に目を転じる。顔立ちは素朴な印象だが、引き締まった口元、テーブルを見つめる鋭い目に意志の強さを感じさせた。白を基調とした清潔なシャツ、まとめ上げた髪、短く切った爪に食品を扱う気構えもある。
「初めまして、駅近くで精神科クリニックを開設してる本宮慶太郎と言います」
 真理子が会釈えしゃくで応える。
「小倉さんがいなくなって一番困っていらっしゃるのは、平岡さんではないですか。大変でしょう?」
 正太にも聞こえるよう、慶太郎は大きめの声で言った。守りたいものへの気遣いを見せることで、正太の気持ちをやわらげたかった。店に対立構造が存在するとすれば、彼から聞き出すしかないからだ。
「他の人に小倉さんと同じことを望むのは無理です。彼女は本当に優秀でしたから」
 しっかりした声だ。
「小倉さんの持ち物の中に、何冊かのノートがありまして、そこにはあなたへの尊敬の言葉がつづられています」
「由那さんが私のことを」
 真理子の眉が動いた。
「ええ。そこに記された内容で、平岡さんという方がどれほど食に対してこだわりを持っておられるかを知ったんです。今度は平岡さんの言葉で小倉さんを知りたいと思ってここにきました」
「由那さんが思っていてくれるほど、私は立派ではありません。それにうちに招いてご飯を食べることがあっても、プライベートな話はほとんどしてないんです」
 つい新しいレシピの話になってしまうのだ、と真理子は苦笑いした。
「仕事の話で結構です。とくに食品ロスについて、どういった考えを持っていたのかが知りたいんです。ちょっと待ってください」
 慶太郎は由那のノートをテーブルの上に置く。付箋ふ せんを貼った場所を開き、これらは創作料理のレシピの欄外にあったメモだと告げて、ゆっくり読み上げた。
「『やっばり凄いひとだ』『情熟がちがう』『あの舌には勝てない』『また残っちゃったか』『いたんでないし、美味しいのに捨てる、捨てる』『よだかのこころ』『もう分からないよ』『私のほうがまちがってるのかも』『おもしろ、おかしく、おろかしく』『可愛がって、育てて、殺しちゃう』『夢への一歩だと信じよう』『もしものことがあったら』『やっぱり限界だ』」
 一拍おいて、慶太郎は真理子の表情を窺う。
「由那さんが、そんなことを書いていたんですか」
「見てください。付箋がつけてあるページです」
 ノートを真理子のほうへ向け、差し出した。
 真理子は、手を伸ばして引き寄せるとすぐにページをった。彼女の目はメインのレシピにはめもくれず、欄外をせわしく動く。どの言葉を読んでいるのか、唇の動きで分かった。
「いかがです、何か引っかかった言葉がありました?」
 しゃくするように黙読する真理子に、声をかけた。
「由那さんらしくない気がします」
「らしくないとは、どういう意味ですか」
「激しい感じ……」
 ノートを見たまま、真理子は言った。
「こんな言葉遣いではないということですか」
「殺すなんて恐ろしいことを言う子やないです」
「気持ちの優しい女性だったってことですね。そこに『やっぱり凄いひと』『情熟がちがう』『あの舌には勝てない』っていうのはすべて平岡さんのことで間違いないでしょう」
「買いかぶりなんです」
 真理子は激しく左右に頭を振る。それでも髪はほつれない。
「『いたんでないし、美味しいのに捨てる、捨てる』というのは、平岡さんならどう解釈します?」
「惣菜の消費期限は通常二四時間くらいです。でもハッピーショッピーは店長の方針で一二時間に設定してあります。だから、残ってしまうと自分たちで食べたり、それでも追っつかない場合は……」
廃棄はいきされるんですね」
「それについては私も、由那さんも身を切られるような思いをしてきました。ここにあるよだかの話も、聞いたことがあります」
「宮澤賢治の童話ですね」
「そうです。私たちにできることはないかと、よく話し合いました。そして売れ残らないように美味しくする以外にないと。原価制限のある中、必死だったんです」
 真理子が険しい目を慶太郎に向けてきた。                                〈つづく〉