恋文・上

 奥の小あがりだ。
 独り身会のメンバーは、今夜も居酒屋『のんべ』に集まっている。
 まずはみんなで乾杯だ。かずひこたち、おっさんたちはビール、しょうたきりはウーロン茶である。
「ところで、今夜は何か話があるっていってたけど、どんな面白い話があるの、じっちゃん」 
 ウーロン茶を一口飲んでから、好奇心一杯の表情で桐子がいった。最初は退屈だと鼻でわらっていた桐子だったが、近頃ではどうやら完全に独り身会のメンバーとして溶けこんでしまったようだ。
「実は商店街の一人から、わが推進委員会に対して助けを求める要請が入った。だからこうして、みんなに集まってもらったんだが」
 孫の桐子にうながされ、ほらぐちが和彦たちの顔を順番に見回しながらいった。
「商店街の一人って、いったい誰なんですか。私たちのよく知っている相手ですか」
 焼鳥をほおりながら、かわがのんびりした声をあげた。
「知っているも何も、俺たちの同級生でもある鈴木かんだよ」
「ああ、風呂屋をやっている貫ちゃんか。町内のオシドリ夫婦っていわれている……」
 ちょっとうらやましそうな口振りでげんが声を出す。
「相手が『鈴の湯』だとすると、これはかなり難しいかもしれんな」
 すぐに和彦は声をあげる。
「今、都内からは銭湯がどんどん減っている。原因はほとんどの家にうちが設けられたことと、入浴料の問題だ。確か一人四百六十円だと思ったが、これはけっこう家計を預る側にしたら痛い金額だ。かといって値段を下げれば銭湯のほうが赤字になって成り立たなくなる。これを打破するためには――」
 いったん言葉を切ってから、
「どうだ翔太君。得意の頭脳で、何かいいアイデアは出そうだろうか」
 和彦は翔太に助けを求めた。
ぼりさんのいうように難しいことは確かです。でも頭を振り絞って何か対応策を……」
 と翔太がいいかけたところで、
「違う、違う。鈴の湯は今のところ、ぎりぎりではあるが経営は成り立っているそうだ。貫ちゃんからの頼みはそっちのたぐいじゃなく、こっちのほうだ」
 洞口が握り拳を胸の前で振った。
「やった!」
 とたんに桐子が嬉しそうな声をあげて、源次のほうを見た。同時に翔太も何かを期待するような視線を源次に向けた。
「そっちのほうというと、ひょっとして例のはくりょうかいの連中か」
 重い口調で和彦はいう。
「そうだ。その白猟会の連中が近頃、鈴の湯に入りびたっているらしく、客が激減していて困っているという。これを何とかできないものかと相談を受けたんだが」
 洞口も重い口調でいう。
「入りびたっているだけでは、警察にいっても、すぐには動いてくれないでしょうね。何か具体的な事件がおきないと」
 川辺が、もごもごと焼鳥をみしめながらいう。
「でも、何だって隣町の半グレ集団が、ここの商店街にまで手を伸ばしてくるのよ。それが私にはわからないんだけど」
 桐子が手にしているのは、たっぷりとからった串カツだ。
「原因の全部とはいえねえだろうけど、やましろぐみあねさんに連中はごしゅうしんなんだそうだ。特に白猟会の頭がよ」
 ちびりと源次はビールを飲む。
さえさんに!」
 ちゃんと名前を憶えている。
「あの人、顔は普通なのに、やけに目立っているというか輝いているというか、変な魅力が……」
 いってから、桐子は急にしょげた。
 そんな桐子の様子を横目で見ながら、洞口が鈴の湯の状況を話し出した。
 白猟会が鈴の湯に姿を見せ始めたのは、半月ほど前からのことだという。
 三、四人でやってきて、まずは普通に湯に入る。これはいいとしても、問題は連中が体に入れているいれずみだ。どこの銭湯にも『入墨お断り』の札がかかっているが、連中はこれを完全に無視。貫次がそれを注意すると、
「これはオシャレのためにやっているタトウで、入墨なんかじゃねえ。それが証拠に背中にゃ入れてねえだろうが」
 こう反論してきたそうだ。
 貫次にいわせれば入墨もタトウも同じように思えるが、確かに連中の背中に墨のあとはなく、入っているのは腕やら肩先だけ。それも、訳のわからない形をしたものが多かった。
「これで入墨お断りっていうなら、けどをした人間もお断りになっちまうよな。そうなったら、人権じゅうりんってことになるんじゃねえのか」
 連中はこんなくつを口にしてすごみ、貫次はそれ以上の追及をあきらめた。
 さらに大きな問題はこのあとだった。
 湯から出た連中は脱衣所にくるまざになり、パンツ一枚の姿で酒盛を始めるのだ。人相の悪い、タトウを入れた連中がいつまでも酒を飲んでいれば、人はそれを避ける。かといって、脱衣所には湯上がりに飲んでもらうためのビールも置いてあるので文句もいえない。結果的に客は激減し、鈴の湯は連中のたまり場と化すことに。これを何とかできないかと、貫次は推進委員会に相談してきたのだ。
「いよいよ、隣町の半グレと独り身会の決戦か。凄いことになるね、じっちゃん」
 洞口の話が終ったとたん、しょげていた桐子がはしゃいだ声をあげた。
「無責任なことをいうんじゃない。白猟会はこれまでの単なる乱暴者たちとは違う。何といっても半グレだ。物騒極まりない連中だ」
 洞口が桐子をたしなめる。
「半グレったって、こっちには源ジイがいるじゃない」
「白猟会の人数は二十人ほどもいるといわれている。それに較べてこっちは源ジイ一人――それに連中はナイフなどの凶器はもちろんのこと、日本刀ぐらいは持ち出してくるかもしれん」
「日本刀……」
 ぶるっと桐子は体をふるわす。
「それに、白猟会のバックには、ヤクザがついているともいわれています」
 川辺の低すぎるほどの声に、
「そうだな。しんちょうな上にも慎重にな。まあ、いざとなったら警察のほうにも相談して、介入してもらうつもりでいるけどな」
 洞口も低い声で答える。
「じゃあ、何はともあれ、みんなで貫ちゃんのところに押しかけて話を聞いてみないといけないですね」
 川辺がみんなの顔を見回していうと、
「ところがだな。どういうわけか、貫ちゃんは理論派の和ちゃんと、武闘派の源ジイの二人だけにきてほしいといっている」
 洞口が頭を振りながらいった。
 みんなの顔に、ぽかんとした表情が浮んだ。あっにとられた顔だ。
「何でよ」
 桐子が唇をとがらせた。
「わからん。俺も理由を訊いてみたんだが、くるのは二人だけで、詳細はあとで和ちゃんと源ジイから聞いてくれって」
 一瞬、せいじゃくが周囲をつつみこんだ。
「翔太君、なぜだか推測できるか」
 ふいに和彦が声をあげた。
 こういう場合は翔太の意見を聞くに限る。
「間違ってるかもしれませんが」
 と翔太は前置きを口にしてから、
「多分、みなさんに話すには、ちょっと気がひけるというか恥ずかしいというか。そんな話だと思います。つまり話は二つあって、ひとつは白猟会の件、もうひとつは、女性関連のことのような気がします」
 すらすらといった。
「女性関連って――貫ちゃんは昔も今も、それこそ奥さんのさん一筋で、浮気をするような人間なんかじゃ絶対にないはずだが」
 独り言のように、洞口が口に出す。
「それなら、話はその奥さんに関わることですよ」
 翔太の言葉におっさん連中は首を傾げ、すぐに洞口が声をあげる。
「奥さんの美奈子さんは俺たちより一年先輩の姉さん女房で、貫ちゃんは小中学校はむろん、高校も同じところへ行ったんじゃなかったのか。確か中学に入学したときから一つ上の美奈子さんに熱をあげて、そのために同じ高校を受験したように記憶しているが」
 言葉を切って、みんなを見回す。
「とにかく貫ちゃんは美奈子さんが好きで好きで。そして、とうとう美奈子さんをめて、めでたく結婚。仲の良さはかなり有名で、いまだに相思相愛の夫婦で通っていたはずだけどな」
 おっさん連中が一斉にうなずく。
「美奈子ちゃんは、いい子ですよ。サラリーマン家庭の子でしたが私の家のすぐそばに住んでましたから、よく知ってます。素直で明るくて、気が利いてて、その上」
 川辺はちらっとみんなの顔に目をやり、
「可愛いんです。目が大きくて丸顔で、あごだけがちょっと尖っていて……当時からクラスの人気者で、よくもてたはずです」
 ちょっと得意げにいった。
「貫ちゃんは、その可愛さに心を奪われたんだんだろうな。なかなか羨ましい限りだが、そんな二人の間に何か事件でもおこったんだろうか」
 洞口は低い声でいい、
「まあ、いくら仲のいい二人でも夫婦である以上、何らかの摩擦は避けられないのは事実だろうから」
 小さくうなずいたところで、翔太が声をあげた。
「あの、さっきいったことは単なる推測ですから、そんなに真剣に考えてもらわなくても……」
 きまり悪そうにいった。
「東大現役合格確実の、翔太君が何をいってるんですか。あたらずといえども遠からず――私はそう思っています」
 川辺がおだてるようなことをいった。
「いずれにしても、近いうちに俺と源ジイが貫ちゃんに会って話を聞いてくれば、すべてがわかることだから。それまでは妙なおくそくうわさつつしむということで」
 和彦は釘を刺すようにいってから、川辺の顔をじろりとにらんだ。
「何だか私たちに似ているみたい」
 突然桐子がすっとんきょうな声を出した。
「同じ小学校で同じ中学校で、同じ高校。何だか私と翔太みたい。美奈子さんて、私にそっくり」
 桐子はしたり顔でいってから、
「じっちゃん。今夜は冷えそうだから、モツ鍋でも頼もうよ」
 これも機嫌よくいった。


 大きなえんとつが、そそり立っている。
「いつ見ても、でかいなあ。しかし、子供のころはもっと、でかく感じたよな」
 昔を想い出したかのような和彦の言葉に、
「子供のころは、天まで届くような煙突に見えて、見上げているだけで胸がワクワクしたなあ。この町の象徴みてえなもんだからな」
 両目を細めて源次がいう。
「この町の象徴であり、昭和の象徴でもあるな。だからこそ、こういう風景はこれからもずっと残ってほしい。客が減っているさなか、奥さんと二人で頑張っている貫ちゃんには、まったく頭が下がる思いだ。何たって貫ちゃんは俺たちと同い年、決して若くはないからな」
 しみじみとした調子で和彦はいう。
「銭湯ってえのは、けっこうな肉体労働だからな」
 源次がぽつりといい、二人は連れ立って『鈴の湯』と書かれたれんをくぐり、男湯のひきを開ける。
「いらっしゃい」
 番台の上からせいのいい声がかかる。
 噂の美奈子だ。和彦たちより一つ上の六十六歳なのだが、丸顔で大きな目が特徴の美奈子はまだ充分に可愛らしく、年よりも十歳以上若く見えた。
「あっ、小堀さんに源次さん、ご苦労様。忙しいときに呼び出したりして、すみません。うちの人は今、かまのほうにいますから、申しわけないですけど、そっちのほうへ」
 顔中を笑いにしながらいった。
「わかりました」
 と和彦はいい、二人は引戸を閉めて裏手にある釜場に向かう。
「相変らず、美奈子さんは若くて可愛いな。あいきょうもあるし」
 和彦が軽口を叩くようにいうと、
「でもよ、可愛げはねえけど、美人度を較べたらけいちゃんのほうがやっぱり上だな。俺は断然そう思うぞ」
 きっぱりした調子で源次はいって、何度もうなずいている。やはり源次にしたら、女性のナンバーワンは恵子。そういうことになるのだ。そんな話をしながら、釜場の戸を開け、なかに踏みこむと熱気がわっと顔に押しよせる。
「おう、和ちゃんに源ジイ。忙しいところをすまねえな、呼び立てたりしてよ」
 大きな釜の前に陣取って木材を投げ入れていた貫次が二人を迎えた。和彦と源次は近くにあった古いパイプ椅子を持ってきて、貫次の前に腰をおろす。
「やっぱり、燃料は廃材なんだな。手間がかかるだろうな」
 和彦がいたわるようにいうと、
「重油を燃やせば手間入らずになるんだが、かなりのコスト高になるからよ。そんなものを使ってるのはスーパー銭湯ぐれえで、今時の風呂屋はみんな、なるべくコストを押えた廃材だよ、大変だよ。それでもあおいきいきなんだからよ」
 首を振りながら貫次がいう。
「何にしても、やめねえで商売をつづけてくれてるってのは有難い話だ。ここで貫ちゃんに店を閉められたら、それこそ、この商店街の火が消えたも同然になっちまうからよ。何とか頑張ってよ、これからもよ」
 励ますように源次がいう。
「まあ、俺と美奈子の体のつづく限りな」
 愛想よくいう貫次に、
「息子さんは、やっぱり跡を継いでくれる気はないのか」
 和彦は鈴の湯の将来に水を向ける。
「会社勤めで、すでに外で所帯を持ってるからよ。今のところは望み薄だな。といっても俺はまだ、希望をすててねえけどよ」
 頼もしい言葉を口にしてから、
「ところで、しゅうちゃんから話は聞いてくれたとは思うけど――どうだ源ジイ、おめえ格闘技たら古武術たらをやっていて相当の強さだという噂だが。その技を使ってあのどもを何とかできねえもんかね」
 単刀直入に訊いてきた。
 その言葉に和彦がすぐに反応した。
「貫ちゃん、源ジイの強さを、いったい誰から聞いたんだ」
 大きな疑問だった。
 これまで源次は人前で表立った強さを見せてはいない。暴れてはいるけど、人目をはばかった地味な行動にてっしていたはずだ。
「飲み屋の前で相手を気絶させたり、腕の骨を折ったり、半グレたちの目の前で、ビール瓶の首を飛ばしたり。そんな噂が商店街に、けっこう飛びかってるから、誰でも知ってるんじゃねえのか」
 貫次の言葉に和彦は胸の奥で「あっ」と叫び声をあげる。見るべき人間はやはり見ているのだ。そして、見られていないと思っていても、誰かはそれを見ているのだ。
「源ジイの用いる技は、いちほうげんりゅうという古武術の一種だ。源ジイは高校生のとき、番を張ってたから、そういった格闘技も必要だったんだ。なあ、源ジイ」
 忍者だとわからなければ、それでいい。源次は格闘技の――それで押し通せば問題は何もない。それに、こうなってくると、もっと派手な動きを源次がしても筋は通ることになる。
「おう、番を張るってのは命がけの事だからな。何か技を習得してねえと、命がいくつあっても足りなくなるからよ」
 和彦の言葉に源次も口裏を合せる。
「それは頼もしい。ということは、あの莫迦どもは何とかなるってことなのか」
 貫次の声に、ほっとしたものが混じる。
「何とかするよ。少なくとも、この鈴の湯に迷惑がかからねえようにして、そいつらを叩きのめしてやるよ」
 はっきりいった。
「そうか、よろしく頼むよ。何しろうちは、か弱い年寄りが二人きりだからよ。それなら莫迦どもが顔を出したらケータイに電話を入れるから、番号の交換をしてくれるか」
 三人は、それぞれのケータイの番号を交換する。
「で、その件の話は一段落ということで、次は奥さんに関わる話だな」
 カマをかけるように和彦はいった。
 とたんに貫次の顔にげんな表情が広がった。
「えっ、何でそんなことがわかるんだ。俺は美奈子のことだなんて、一言も修ちゃんに話してねえはずだが」
 驚いた口調でいった。
「推進委員会には五十嵐翔太っていう天才がいてな。その翔太君が、すらすらと絵解きをしてくれたよ」
「五十嵐翔太って、あの東大現役合格、間違いナシだっていわれている、あの高校生のことか」
 翔太はけっこう有名人である。
「そうだよ、その翔太君だよ」
 と和彦は絵解きのいきさつを、ざっと貫次に話して聞かす。
「そうか、そこまでお見通しなら――」
 といって貫次は美奈子のことを話し出した。
 事の起こりは一カ月ほど前に行われた、美奈子の中学校の同窓会だったという。
 十五年振りの同窓会ということで、いつになくめかしこんで出かけた美奈子は、その夜遅く上機嫌で帰ってきた。それはそれでけっこうなことなのだが――。
「実は、その上機嫌が、いまだにつづいているんだ」
 と、心配そうな口振りで貫次はいった。
「上機嫌って、どんな類いの上機嫌なんだ」
 和彦が詳細を訊くと、
「一言でいえば、にやけてるんだ。急に思い出し笑いをしたり、そっと鏡をのぞきこんだり、化粧が前より濃くなったり……これって、どう考えてもよ」
 貫次の顔が泣き出しそうなものに変った。
「同窓会で、何かがあったってことかよ」
 源次がずばっといった。
「さあ、そこのところだ。何かがあったのかどうだったのか。それを考えると俺は、心臓がぎゅっと縮むような息苦しさがよ。何たって俺は、あいつにべた惚れだからよ、だからよ」
 あいがんするような口調だった。
「だから理論派の和ちゃんにきてもらったんだ。これをいったいどう考えたらいいのか。この先、どんな態度をとったらいいのか。それを考えてほしくてよ。武闘派の源ジイではわからねえだろうからよ」
 正直な言葉に聞こえた。
「それは――」
 和彦が考えをまとめようとしていると、母屋につづく内扉がいきなり開いた。
 顔を覗かせたのは話の主の美奈子だ。
「あなた、きた。また、あいつらがやってきて、今、風呂場に入っていった」
 途切れ途切れにいった。
 心なしか顔もあおざめている。
「源ジイ!」
 貫次が叫んだ。
「わかった。何とかする」
 そう答える源次に、
「今日は四人。親分格らしい、偉そうな男も一緒だよ」
 美奈子は早口でつけ加えた。
 白猟会の頭が現れた。
 和彦の胸がはやがねを打つように鳴り響いた。
 隣の源次を見ると、何となく様子が変だった。いつもの落ちつきが見られなかった。顔が少しゆがんでいるようにも……。
「行こうか」
 ぼそりと源次がいった。
 松ぼっくりのような両の拳を、ぎゅっと握りしめるのがわかった。大きく深呼吸をした。
 やはり、落ちつきがないように見えた。(つづく)