甘海、甘魚

「こう同じものばかりだと、なんだかきてしまうのう」
 ぜんを前に、殿とのは言った。
「特に魚じゃ。はこのしょっぱいものに飽きてしもうた。なにか違うものが食べたいのう」
「そう言われましても、これは高級な品にござりまするぞ。それに、つけならば多少はあまいではござりませぬか」
「どう料理しようが塩の海で育ったものはおんなじじゃ。しょっぱいものより、甘いものが食べたいぞよ。なんとかしてくれまいか」
 そこへ別のしんがやってきて、その場にさっと腰を落とした。
「殿、なにやら妙な商人が殿との面会を希望しておりまする。いかがなさりまするか」
「ほう、どんな者かえ」
「遠い異国を旅してきたという商人にござりまする。何でも、殿にろうしたいものがあるのだとか申しております」
「それはおもしろそうじゃ。ここへ通してくれい」
「ははあっ」
 しばらくすると部屋に商人が入ってきて、殿の前で頭を下げた。
「苦しゅうないぞよ」
 声を掛けられ顔をあげた商人に、殿はたずねる。
「して、今日は何用でやってきたのか」
「ははあ。たいへんめずらしゅうものを手に入れましたゆえ、ぜひ殿にお見せしたくお持ちいたした次第です」
「珍しいものとな?」
「はい、しばしお待ちを。おうい、持ってまいれ」
 商人はふすまの外に向かって呼びかけた。するとその従者が身を低くして入ってきて、殿の前にすっと何かを差しだした。それはおけで、中には魚が並んでいた。
「なんじゃ、魚ではないか」
 殿は落胆した声をもらす。
「余はこれが嫌で嫌で仕方がないのじゃ」
 しかし、商人は構わずつづけた。
「殿、こちらはただの魚ではござりませぬ。西の果ての異国から持ち帰った、甘魚という代物なのです」
「あまうお、とはなんじゃ」
「甘海にむ魚介類のことでござりまする」
「あまうみ、とはなんじゃ」
「甘い海のことでござりまする」
 殿は「ほう」と口にした。
「甘い海とな? 海とはしょっぱいもののはずではないか」
「異国には、そのような海があるのです。これは、そこで生きる珍しゅう魚たちでございます。たとえば、このエビは甘エビと申します。そのとなりは甘ダイでござりまする」
「甘エビに甘ダイじゃと? それならば、余も聞いたことがあるぞよ」
「恐れながら、殿がご存知でありますのは違うものでござりましょう。この甘エビを一口、し上がってみてくだされ。生かして運んできたものゆえ、新鮮でござりまする。ほれ、甘エビをいて差しあげよ」
 剝いたそれを従者が差しだし、殿のお付きの者がどくをする。そのあとで、殿がぱくりと口にする。
「なんと、これはおどろいた」
 殿はもぐもぐしながら目を見開いた。
「まるで菓子じゃ」
「その通りでござりまする。甘海の魚は海の甘みを吸収し、じつに甘く育つのです。それだけではござりませぬ。さらに人の手を加えることで、甘味はいっそう増すのです。ほれ、あれを」
 商人は従者を下がらせた。
 やがて戻ってきた彼の手には器があり、魚が湯気を立てていた。
「甘サバの砂糖焼きでござりまする」
「砂糖焼き」
「砂糖をまぶして焼いたものです」
「どれ」
 殿は箸を手にすると、身をほぐして口に運んだ。
「ふうむ、美味じゃ……」
 うなる殿に、商人は表情ひとつ変えずに言う。
「ありがたきお言葉にござりまする」
「いやはや、こんなものを食べたのは初めてじゃ。じつにおもしろい。余はたいへん満足したぞよ」
 そして殿は家臣に言った。
「この者たちに、たっぷりほうをやってくれい」
「ははあっ」
 家臣たちが褒美を用意しているあいだ、殿は商人に声を掛けた。
「ところで甘魚とやらは、おぬしのところに他にもまだあるのであろうか」
「もちろんでございます。たくさん持ち帰ってまいりまして、いまはいけっております」
「甘魚とは、じつにええものじゃのう。余は気に入った。ここへまた、持ってきてはくれまいか」
「ははあ。おおせのままに」
 頭を下げ、商人は授かった茶器やこめだわらを馬に積んで帰っていった。
 その日から、商人は毎日のようにやってきては殿へ甘魚を献上した。
「本日は甘ギスを持ってまいりました。天ぷらなどにしてご賞味ください」
 料理が運ばれ、殿はしたつづみを打つ。
「ふうむ、ほおがとろけるようだのう」
 商人は日ごとに甘アジ、甘ガツオ、甘スズキと、いろいろな甘魚を持ちこんだ。
 あるとき殿は、で甘ダコを口に運びながら商人に尋ねた。
「のう、おぬし。甘海は、なぜにそんなに甘いのか。最近、余は気になって仕方がないぞよ」
「殿、それは甘雨が関係しておりまする」
「なんじゃそれは」
「甘海に面した異国では、甘雨が――つまりは甘い雨が降るのです。降った雨は地下へともぐって川に出て、やがて海へと流れてゆきます。それゆえ、海が甘くなるのです」
 商人はつづける。
「聞いた話によりますと、なんでも昔、その地には甘いものを大層好むせんにんがいたのだそうです。仙人は砂糖を集め、仙術をもってそれをたちまち雲に変えてしまったとのこと。その砂糖でできた雲の降らせた雨こそが、甘雨というわけです。以来、海の一部は絶えず雲へと変化して、また甘雨を降らせるという循環が異国の地に完成いたしました。仙人は時おり近くの村へ降りてきては、いまでも甘魚を食して満足そうにしているようでございます」
「ほほう、ということは、甘い川というのもあるのかえ」
 商人がうなずく。
「ございますとも。それでは明日は、甘川で採れた甘アユをお持ちすることにいたしましょう」
 それからも、商人は甘魚を持参して、殿は変わらずそれを食した。
 しかし、家臣の中には甘魚に夢中の殿を心配する者もいた。何しろ、朝昼夜の三食はもちろんのこと、殿はそのあいだにも甘イワシの煮干しをかじったりし、甘魚づくしの生活を送るようになっていたのだ。
 家臣たちはささやき合った。
「なあ、近ごろ殿はお太りになってきたのではなかろうか」
「うむ、わしもそう思っておったところじゃ」
「あの甘魚とやら、果たして身体によいものなのであろうか。商人はああ説明をしておるが、得体の知れぬものに変わりはない」
「たしかに、毒の中にはじわりじわりと効いてくるものがあると聞く。あれは、そのたぐいなのかもしれぬ。毎日食させ、死に至らしめるのが目的か」
「もしそうならば大ごとじゃ」
 不安視する声は、家臣のあいだで広まっていく。
 そんなこととはつゆ知らず、殿は甘魚を食しつづける。
「殿、本日は甘ガレイの煮つけにござりまする」
「どれ……ふうむ、これまたずいぶん甘いのう」
「砂糖をたくさん含ませたしょうで煮ておりますゆえ」
「同じ煮つけで、こうも違うものなのか。なんと幸せな気分であろう」
 商人が帰っていくと、殿は大きなあくびをする。
「ふわあ……」
 そうしてまどろんだ眼で、家臣に告げる。
「なんだか眠たくなってきたのう。余は昼寝をするぞよ」
「殿、食事のあとは大事な公務がござりまする」
「少しくらいよいではないか。余は眠いのじゃ」
 止める家臣を気だるそうに振り払い、殿は寝床に入ってしまった。
 その様子を見送ると、家臣たちはまた言い合った。
「最近、殿は食後に寝てばかりではないか」
「あの商人が出入りするようになってからじゃ」
「甘魚の毒であろうか」
「そうかもしれぬ」
「やはり、あの商人はどこぞからの刺客であったか……」
 別の家臣が口にする。
「甘いものを過剰に摂ると、眠くなると耳にしたことがありますぞ。これを利用し、公務を妨害しようとしているのではありますまいか」
「なにっ、甘いものにはそのような作用があったのかっ」
「もしまことなら、なんとゆゆしき事態かっ」
「殿を起こせっ、寝させてはならぬっ」
 家臣たちはドタバタと殿の寝室にけこんでいく。
「殿、寝てはなりませぬっ!」
「なんじゃ、さわがしいのう」
「お昼寝は認めませぬ! 公務をまっとうしていただかねば、国がほろびまする!」
 その必死の形相に、殿はすっかり目が覚める。
「大げさなことじゃのう……」
 そうつぶやいたときだった。殿は瞬間、顔をしかめた。
「あたた……」
「殿! どうなされました!」
「歯が、歯が……」
「お見せください!」
 痛がる殿の口を開け、家臣は中を覗きこんだ。すると、奥歯が黒く変色していた。
「虫歯じゃ! 殿が虫歯になっておる!」
「甘魚を毎日食らっておったのがたたったのじゃ!」
「はよう手当てを!」
 すぐに医者がやってきて、殿の虫歯を抜歯する。
 その影響で、しばらく殿は床で伏せって起き上がることができなかった。
しかしやがて回復したころ、また商人がやってきた。
「殿、なんでもご病気であられたと伺いました。病み上がりには甘いものでございます。本日は甘シラスを持ってまいりました。砂糖水で湯がいて食すと美味ですぞ」
 そのとき突然、ひかえていた家臣たちが一斉に商人に飛びかかった。
「おのれ商人! おぬしをほんつみで処刑する!」
 肩をつかまれ押さえられるも、商人には余裕の気配がただよっている。
「おやおや、これはおだやかではござりませぬな。なにゆえ、このような荒事をなさるのでしょうか」
「とぼけるな! おぬしのこんたんは見えておる。殿を病気に至らしめ、国を滅ぼすつもりじゃろう! 妙な魚を持ちこみつづけたその行いこそ、何よりの証拠じゃ!」
「甘魚をお持ちしたのは、殿がご所望されたからに他なりませぬ」
だまれいっ!」
 そう家臣がったところで、殿がおもむろに口を開いた。
「まあまあ、そういきり立たんでもよいではないか。余はその者に感謝をしておる」
「しかし、殿!」
「商人の申す通り、望んだのは余のほうじゃ。異国のな話も聞かせてもろうた。身体のことも、いまはこうしてピンピンしておるではないか」
「しかし!」
 なおも食い下がろうと、別の家臣が横から言った。
「……殿、せめて甘魚を食すのだけはおやめください!」
 家臣はつづける。
「甘魚は身体に毒でござりまする!」
「ふうむ」
 その言葉に、殿はしばし思案した。
「毒かどうかは分からぬが、そうじゃのう……」
 宙に視線を固定して、顎に手を当て「ふうむ」と唸る。
 やがて殿は口にした。
「たしかに、いくら甘いものが美味とはいえ、こうもつづくとさすがにのう……」
 そのとき殿は、「そうじゃ!」と言って立ちあがった。
「ええことを思いついたぞよ」
 殿はバシッとせんをたたんで商人を差す。
「おぬしを罪に問わぬ代わりに、余の願いを聞き入れてはもらえぬか」
 商人は取り押さえられたまま、はて、と頭をかたむける。
「どのような命でござりましょう」
 家臣たちも見守るなかで、殿は言った。
「ちょうど余も、そろそろしょっぱいものが恋しくなってきておった。そこでおぬしに頼みがある。異国には甘い海があるくらいじゃ、しょっぱい海もどこかにあるに違いない。おぬしには何とかそれを探しだし、そこの魚を運んできてもらいたいのじゃ」

                          (完)

 採用させて頂いた方
  ・モッチーさん
  (お題「甘い雨」)