十 郎

 生まれたときにつけられた名は「じゅうろう」だった。
 古風な名前だなと思いはじめたのは、小学生になったころからだ。「天使えんじぇる」「騎士ないと」などの個性ある名前に囲まれて、自分の名前は明らかに浮いていた。
 いつか、学校でこんな宿題が出されたことがあった。
「自分の名前の由来を保護者の人に聞いてみましょう」
 おれは母にたずねたものだ。
「なんでぼくは『十郎』なの?」
 母は少し困ったような顔をした。
「じつはね、お父さんの強い希望で……」
 だから父へ聞いてみるようにと促され、おれは家のそばの仕事場へと足を運んだ。
 おれの家系は代々、かたなを営んでいる。父もその職人で、早くに亡くなった祖父の跡を継ぎ、若くして当主を務めていた。すでに周囲からは名人と呼ばれつつあり、様々な賞をほしいままにもしていた。そんな父は、幼いおれのヒーローであり、誇りだった。
「ねぇ、お父さん」
 一息ついたところを見計らい、おれは父に近づいた。
「なんだ、どうかしたのか?」
 汗をぬぐう父に、おれは自分の名の由来を尋ねてみた。
 と、予想に反し、父はしばらく黙ってしまった。そしてやがて、独り言のように口にした。
「……そうなる運命だったんだよ」
「運命?」
「うちの家系に生まれたからには避けられやしない……おれの名前もおんなじだ」
 おれは父の言葉の意味がよく分からなかった。
「同じって? だってお父さんの名前は『一郎』じゃない」
 そのとき、おれは、あっ、と理解した。
「そうか、『郎』っていう字が一緒なんだね」
 けれど、父はどこか寂しげに首を横に振った。
「そうじゃない」
 そのうち分かるときがくる。
 父はそれだけ言って仕事に戻っていったのだった。
 物心ついたときから、おれは刀鍛冶の仕事に親しんでいた。ごく幼いころは危険だからと遠ざけられていたものの、おのずと鉄で遊ぶようになり、そのうち父の弟子たちも息抜きがてらおれに道具の使い方を教えてくれたりした。真っ赤になった鉄のかたまりを一緒に叩かせてもらって、鉛筆を削る小刀を作ってみたこともあった。心配する母をよそに、父は何も言わなかった。
 異変がはじめて起こったのは、小学六年生のときだった。
「キュウロウ、外で遊ぼーぜ」
 休み時間、友達がこちらに向かって、そう声を掛けてきたのである。
 キュウロウ?
 何の言葉との聞き間違いだろう……一瞬考え、空白の時間が流れた。
 友達は不思議そうな顔をした。
「どうかした?」
「いや……」
 結局おれは、空耳だろうと片づけた。
 が、次の休み時間にも、おれは別の友達からキュウロウという言葉を掛けられた。それも、一人や二人からではなかった。いろんなやつが「キュウロウ」と言って話しかけてくるのだった。
 そこに至って、おれは気づいた。どうやらおれの名前を呼ぶときに、その言葉を使っているのだということに。
 思い返せば、昔、そういうあだ名を友達につけられたことがあった。「十」に引っ掛け「九」の九郎というわけで、一時はそれでからかわれたものだ。
 あれと同じことが、いままさに起こっているのかと、おれは思った。けれど、あまりに突然のことだったし、何より、ごく自然に口にしているだけのようで、みんなで口裏を合わせているとも思えなかった。
 そしておれは、単に首をかしげているばかりではいられなくなる。授業中、担任の先生までもがこんなことを言ったのだ。
「おい、キュウロウ、ぼーっとしてないで、ちゃんと話を聞いてるかぁ?」
 たん、教室の中に笑いが起こった。
「それじゃあ、次の問題はキュウロウに黒板で解いてもらうかっ」
 先生は明らかにおれに向かって、まるで普段「十郎」と言うのと変わらぬ要領で話してきていた。
「ん? どうした、気分でも悪いのか?」
 まどうおれに、先生は顔をくもらせた。
「……なんでもないです」
 その場はそれでごまかしたのだが、家に帰っても事態は収束しなかった。あろうことか、母までも自分に向かって「キュウロウ」と呼びかけてきたのである。
「ねぇ、そのキュウロウって何なの……?」
「急になに言いだすの」
 母はげんそうな顔をした。
「だからさ、それ、何のこと?」
「自分の名前でしょ? 冗談でも言ってるの?」
 母は至ってな顔で言った。おれは身体が冷えるような感覚に襲われる。
 こうなると、もはや頼りは父しかいない――。
 おれは工房の扉を開き、父を探した。
「おう、キュウロウ、どうしたんだ、あせった顔して」
 そう声をかけてくる弟子たちの間を抜けて、見つけた父に駆け寄った。
「父さん!」
 振り返った父の目は、ひどく落ち着いたものだった。まるでこちらが発する言葉を、あらかじめ知っているかのような雰囲気すらただよっていた。
 おれは一気にまくしたてた。自分が別の名前で呼ばれはじめていることを。
 心は恐怖で満たされていた。もし父が取り合ってくれなかったら――その思いを打ち消すように、おれは必死で訴えた。
 やがて父はぽつりと言った。
「来たか……」
 そしてゆっくり立ちあがり、別室のほうへと促した。おれは逆らえない気配を感じ取り、無言で後に従った。
「キュウロウ……いや、まだ十郎と呼んでやらないと理解が追いつかないだろうな。十郎、おまえに伝えないといけないことがある」
 父は静かに切りだした。
「うちの家系の長男に課せられた定めのことだ」
「定め……?」
「キュウロウというのは、文字通りの九郎だ。今日からおまえは、十郎ではなく九郎になったんだ」
「なったって……しゅうめいってこと?」
 ようやく取り合ってくれる人にたどりついたと思ったら、わけの分からない話に混乱は深まるばかりだった。
「違う。そんなものとはかくにならない。もう、この世でおまえのことを十郎と認識する人間は誰一人としていないんだ。戸籍も含めてすべてにおいて、おまえは九郎という名前になった。その代わり、刀鍛冶としてのうでがあがった。そういうことなんだよ」
 あっにとられるおれに、父はつづける。
「おまえ、刀鍛冶になるつもりだろう?」
 確信に満ちた、くような言葉にたじろいだ。工房にひんぱんに出入りしてはいたものの、これまで一度たりとも、胸に秘めたその思いを父に打ち明けたことはなかったのだ。
「先代も先々代も、もちろんおれも、気づいたときには同じ思いを抱いていたから、おまえもそうだろうってな。伝わる話じゃ、先祖の誰かがモノノケか何かと取り引きをしたらしい。おれたちは、生まれながらにして刀にられた存在なんだ。他の職人だと何十年もかかって到達する境地に、おれたちは半分にも満たない時間で届いてしまう。そして誰もがうなる素晴らしい刀をつくりだせる。
 が、それには代償が伴ってな。刀鍛冶としての腕があがるごとに、自分の名前の数字がひとつずつ減っていくんだ。否、数字が減ったときにこそ、腕があがるというべきか……。
 誰も覚えちゃいないが、おれも物心つくまでは十郎っていう名前だったんだよ。それがおまえと同じくらいのときに九郎になって、先代のもとで修業するうちに変わっていった。最高位の一郎の名になったのは、おまえが生まれる少し前だ。
 おまえもこれから、同じ道をたどることになるだろう。もがいたって、どうにもならない。刀のじゅばくから逃れられた人間はひとりもいない。早く運命を受け入れてしまうことだ」
 その口調には、珍しくどこか投げやりなところが含まれていた。そこが少し引っ掛かった。
「……でも、その分、腕はちゃんとあがるんでしょ?」
 名前が変わってしまう運命にあるだなんて、たしかに衝撃的な話だった。ただ、慣れないうちは不便もあるだろうけれど、腕があがるのならば刀鍛冶として願ってもないことじゃないかと思ったのだ。
「まあ、世の中そう簡単にはできてないんだよ」
「どういうこと?」
「いつか分かるさ」
 それ以上、父は語ってくれなかった。
 おれはその日を境に、工房で本格的な修行を開始した。
 その中で、やがて父の言った通りのことが起こった。周囲から呼ばれる名前は「九郎」から「八郎」になり、「八郎」から「七郎」になった。それに伴い、おれはめきめきと力をつけて頭角を現していった。
「こりゃ、一郎さんの再来だな」
 周りのさんにも舞いあがることなく、おれは父の元で修業にはげんだ。そして二十歳を過ぎたころには「四郎」という名へと変わっていた。
 さらに数年の月日が流れ、おれはついに「三郎」を経て「二郎」になった。
 さあ、いよいよ一郎が見えてきた――。
 そんな希望に満ちていた、ある晩のことだった。
 おれは突然、父に呼びだされた。
「二郎、おまえに伝えなければならないことがある」
 神妙な面持ちの父に、何事だろうかと工房の隅で居住まいを正した。
「おれももう長くはない。その前に、当主としての引き継ぎをおまえにしなければと思ってな」
「ちょっと待ってくれよ。どうしたんだよ、急に」
 父の髪には白髪が目立つようになっていた。が、まだまだ腕はおとろえ知らずで、父は相変わらずおれのあこがれであり目標の人だった。
 そのとき、ハッとしてつぶやいた。
「まさか、病気か何か……」
「そうじゃないんだ。いや……似たようなものか」
 父はつづけた。
「おまえはおれの父親――じいさんのことをよく知らないだろう? そりゃそうだよな。おまえが生まれる前に、じいさんは死んでしまったんだから。じいさんを殺したのは他でもない、このおれだ。おれのせいで、じいさんは若くして命を落とした」
 予期せぬ話に、目を見開いた。
「そしていまでは、じいさんの名前を知る人間は誰もいない。『じいさん』『おじいちゃん』『おとうさん』、そんな具合で呼ぶことはあっても、みんな名前は口にしない。いや、呼びたくても呼ぶことができないんだ」
 指摘され、初めてその事実に気がついた。が、祖父の名に思いをせようとしたその瞬間、ぼんやりと頭にかすみがかかったようになり、それ以上考えることができなくなった。
 なぜなら、と父はつづけた。
「じいさんは名無しになったからだ。おれが一郎になったせいで」
 そして、それと同時に命を落とした――。
 父は語った。
 一郎が同時に二人、この世に存在することはできない。一郎の名を持つ親は、子が二郎から一郎になったときに名前を失い、この世を去る。
「おまえが一郎の名を手にする日も、そう遠くはないだろう。そのときが、おれの命日になるわけだ」
 おれは今更、一笑に付すことなどできなかった。この身をもって、不可思議な現象をたくさん経験してきているのだ。
「父さん……」
 やっとの思いで口にしたが、父はさえぎる仕草を見せた。
「それ以上は言わなくていい。腹はとうの昔にくくっている」
 その日から、おれは圧倒的な虚無感にさいなまれながら日々を過ごした。
 仕事をすれば、まだまだ技術は洗練されていくのが自分で分かる。が、それは「一郎」への坂道を着実にのぼっているということで、父の死をカウントダウンしていることに相違ないのだ。かといって、工具を離さずにはいられなかった。身体が勝手に動きはじめてしまうのである。
 すべのないまま、ただ時間ばかりが流れていった。
 次第におれは精神的にむしばまれていき、酒に逃げるようになった。仕事中も気がそぞろで、つまらないミスをしょっちゅう犯すようになっていった。
「おい、二郎! 集中しろ!」
 運命から逃れることができないのなら、せめて手を抜くことで名前が変わるのを少しでも先延ばしにできないものか……。そう考えるも、父にしっされると自然とまた身体が動いてしまう。そのたびに、絶望的な気持ちになった。
 そしてとうとう、運命の日がやってきた。
 ただ、待ち受けていた現実は想定とは異なるものだった。
 その日、おれはいつものように工房で仕事をしていた。もはや自分の仕事にたましいなどじんもこもっておらず、ただせいのままにつちをひたすら振っていた。
 そのときだった。弟子のひとりが、こちらに向かって口を開いた。
「そろそろ昼休憩にしませんか?」
 そして、こうつづけたのだ。
「ニブンノイチロウさん」
「えっ?」
 おれは一瞬耳を疑い、すぐに音を頭の中で変換していた。
 二分の一……たしかにいま、そう言われなかったか?
 思わず父のほうを見た。
 そばで聞いていたらしい父は、すでに悟ったような顔をしていた。
「なるほど、最近のおまえの仕事ぶりにてんばつが下ったらしいな」
 父の表情は心なしかゆるんでいる。
「まあ、少しは寿命が延びたみたいだから、おれにとっては幸運といえるかもしれないが」
 いや、と、父はひとりでつづける。
 工房の負担が増えるから、やっぱり天罰には違いないか。
「天罰……? 負担……?」
 おれはひとり困惑する。
 父は一瞬、ニヤリとした。
「聞いての通り、今日からおまえは二分の一――半人前として出直しだということだ」

                          (完)

 採用させて頂いた方
  ・佐々木さん
  (お題「名前の寿命」)