第三章 罪責感〈承前〉

「それに惣菜そうざいとかお弁当の消費しょうひ期限、とても短いわ」
「それは売る側にとって、もしものことがあったら大変だからね。食中毒でも出したら、営業停止処分をくらうし、それで評判を落とせば店がつぶれることだってあるんだから」
 それゆえ厳格なルールがある。そのルールを破ることは、店の経営をあやうくするのだ。
 食品を安全に、おいしく食べられる期限だとして「賞味しょうみ期限」と「消費期限」があるが、とくに劣化れっかしやすいものに表示される消費期限は、その日を過ぎて食べないように農林水産省や業界団体が呼びかけている。スーパーなど小売店では、いずれの期限に対しても、表示年月日を過ぎたものの廃棄はいき処分を徹底しているはずだ。
「食材のを考えなければ、買う側も売る側にも大事なものなのね、消費期限って」
「彼女がよく分からないと書いたのは、命をいただくことと、消費期限がくれば廃棄してしまうルールとの狭間はざまで、どうしていいのか分からなくなったってことか。難しい問題だし、そう簡単に答えなんて出ない」
 慶太郎けいたろう自身、由那ゆ なの立場で、そんな難問に突き当たったら途方に暮れたにちがいない。
「そうね、こんなこと考え出したら、そもそも食べ物商売はできないし、スーパーにも勤められないわよね」
「純粋な女性なんだろうね、小倉おぐらさん」
「現代社会では生きにくいタイプよ。ねえ、本当に自殺じゃないって確信持てる?」
「ああ、もちろん。それは死因がね」
 由那が飲んだ毒は致死性ち しせいのあるものではなく、死因はアナフィラキシーショックによる窒息ちっそくであることを話した。由那がその毒に対してアレルギーを持っていなければ、せいぜい気持ち悪くなるか、腹痛を起こす程度の毒だった。苦しいだけの不確実な自殺はしない、と自分でも確かめるように慶太郎は言った。
「だけど記述では」
 澄子すみこはボードの『可愛がって、育てて、殺しちゃう』の文字を示し、
「これは生産者の立場になってる。そして『限界』だっていうんでしょう。この気持ちの流れが私には気になる。人間は家畜か ちくを愛情込めて育てるじゃない? 大事に育てて、殺すのよ。よだかが本能で虫を食べるのとは少しちがう」
 と、赤いマーカーペンのふたを閉めた。
「人間だけだものね、食べるために育てるのは」
「人間そのものがいやになっちゃったんだとしたら? 自分が人として生きることに限界を感じた」
 澄子の思考は由那が自殺したというほうに傾いているようだ。
「だけど、その後、小倉さんはこれを書いてる」
 スナフキンの言葉が書かれたページを澄子に見せた。この言葉と春来はるきが見たガッツポーズも自殺を否定する材料だ、と慶太郎は付け加えた。
「流れが変わった感じね。何かを言おうと決心してたんだわ。じゃあ限界っていうのは、もう黙ってられないってことかな。ねえ、遺書見せて」
「遺書めいたメモ。決めつけるなよ」
 慶太郎はメモを澄子に手渡した。
「はい、はい。自殺じゃないのよね」
 嫌みな言い方だったけれど、澄子の目は輝いていた。
「なんだかんだ言って、興味が出てきたんだな」
「興味なんてないわ。放っておくと仕事に精を出さないどこかの精神科医に、できるだけ早く探偵ごっこをやめていただきたいだけ」
 と澄子が微笑ほほえんだ。
 そんなことはない、と反論しようとしてやめた。診察時間以外、ことあるごとに事件のことを考えているのは確かだ。澄子のいう営業活動など、まったく頭になかった。
 渡したメモのコピー上を、澄子の眼球がんきゅうが左右に行ったり来たりしていた。短い文面を何度も繰り返し読んでいるのだ。
 慶太郎は、診察室内にあるコーヒーメーカーから、澄子の空いたカップにコーヒーをつ いでやった。保温時間が長すぎて煮詰まったような香りがする。さっき澄子が運んでくれた、れ立てのほうが絶対にうまい。
「ありがとう」
 澄子はコピーから顔も上げず、カップを手にしてコーヒーをすすった。いつもなら、不味ま ず いわ、とらすのに、依然目は由那のメモに釘付けだ。
「なるほどね」
 そう澄子がつぶやいたのを聞いて、
「何か、分かった?」
 と、すぐに声をかけた。
「分かったっていうほどのことじゃないんだけど、『ただ自分が楽になりたいだけじゃなく、支えてくれた人たちのために決心したんです』という文面がどうも気になって仕方ないの」
 澄子がまた立ち上がった。ホワイトボードに、いま言った由那の言葉を書く。
「その言葉の決心と、スナフキンの台詞せりふは矛盾しないだろう。ある勇気を持って、何かをしようとしてる」
 慶太郎が自分の感想を口にした。
「ここで言う、支えてくれた人たちが誰なのか、よ。普通なら、職場の人ってことになるわ」
「つまりハッピーショッピーの人か」
「彼女、アルバイトだったんでしょ?」
「ああ、意外にもね」
「じゃあ、もっと狭い範囲かも」
「なら惣菜部か。そういえば、別のクライアントから惣菜部内部のことで気になることを聞いている」
 慶太郎は尾藤び とうのことに触れた。
「あの神経質そうな人ね」
 処方薬や病状は澄子と共有しているが、ヒヤリングで聞いた話の詳細は伝えていなかった。
「ストーカー行為をやっていたんだから、すべてを信じることはできないけれどね」
 そう前置きして、惣菜部の人間で由那に対して厳しい態度で接する女性がいたという尾藤の話をした。
「いじめだと思っていたのね」
「その人が由那さんを自殺に追い詰めたんだと、彼は信じていて、恨んでもいる」
「そんなに厳しかったの」
 とボードに目をやり、
「その人のことじゃないかな、『やっぱりすごいひとだ』とか『情熱が違う』、そして『あの舌には勝てない』と由那さんに書かせた人」
 熱心に指導している姿は、時に叱責しっせきしているように映るものだ、と澄子が言った。
「尾藤さんからすると、いじめに見えるほど熱心な指導だったんだろうね。そのことに対して、由那さんはむしろ畏敬い けいの念をいだいていた」
「教えをう人、まさに支えてくれた人だわ。その人の名前は?」
 即答するのを躊躇ちゅうちょした。
「ここまで話しておいて今さら守秘しゅひ義務?」
「原則的には、肉親であっても義務は発生するから」
「ここにいるときは、看護師よ。医療スタッフだわ。カンファレンスだと思えばいいじゃない」
「なるほど。分かった」
 頭をかきながら慶太郎は、尾藤の言葉をタブレットで確かめた。
「えーと、平岡ひらおかという女性だ。尾藤さんは由那さんと彼女の間に立ちはだかったんだと」
「邪魔したってことね」
「それに店長の息子、名田正太な だしょうたという人なんだけど、彼と結託けったくして、由那さんをいじめていたと思い込んでいる。駐車場で二人がひそひそ話をしている姿を何度も見ているそうだ。それで店ぐるみで由那さんを追い詰めたんだって」
 ゆっくりかぶりを振る。
 物事を短絡的にとらえ、自分の意に沿わない相手を徹底的に敵視するのは、ストーカー加害者共通の心理といえる。
「慶さんは、尾藤さんの思い込みだと判断してるのね」
「ああ。感情的になっているんだ」
「私ね、由那さんがかなわないと思っている舌の持ち主が、平岡さんだとすると、支えてくれた人というのも、その方じゃないかって思うの。つまり、平岡さんのもとで働く惣菜部の人たち。なら、由那さんの決心は、惣菜部の人たちのためってことになるんじゃない?」
「働く人たちが闘うのは、おおかた経営者側か」
「そう考えると、名田さんと平岡さんがひそひそ話していたのは、結託していたんじゃなくて」
「むしろ敵対関係だった」
 慶太郎は澄子の言葉をぎ、立っている彼女を見上げた。
「何か問題をかかえていたんだわ、このお店」
「だったらそれが、食品ロスと結びつくんじゃないか。たぶん、ハッピーショッピーも例外なく、消費期限を前にどんどん廃棄処分をしているはずだからね」
「だから、よだかのこころ、が出てくるのよ」
「まだ美味お いしく食べられるのに廃棄することを命の軽視だとしていたら、店の方針とは当然合わないよな」
「自分たちが一所懸命考えたレシピもむなしいしね」
「で、店側に抗議しようと立ち上がったんだ、あの日」
 春来が見たガッツポーズは、スナフキンの言葉と符合ふごうする。そんな決心をした日に自殺などあり得ない。
「あー、どうしようかしら」
 八の字眉毛まゆげの顔をつくった澄子が、ソファーに芝居じみた倒れ方をした。
「何だよ、それ」
「探偵ごっこが続くのね」
「そのことか。このボードを写メしてあの刑事さんに話してみる」
 慶太郎はホワイトボードの文字が読めるように、何枚かに分けてタブレットのカメラに収めた。
「ねえ、慶さん。ここまでの推理を警察に言って、それで終わりにできる?」
 澄子はソファーに半分横たわった姿勢で、じとっとした目を向けてきた。
「そうだな、そのまま話しても、単なるお店の非難中傷みたいになってしまうかもしれない。もうちょっとこっちで調べたほうがいいか……」
「そう言うと思った。自殺じゃないなら、人殺しがこの街にいたってことか」
 澄子は、嫌な虫でも見つけたような顔をした。
「殺人と決めつけるにも問題はいろいろあるけどね」
 殺害に使用された毒の不確実性と、密室の謎は依然と残る。
 澄子は体を起こし、冷え切ったコーヒーを飲むと、
「慶さんが淹れたコーヒー、不味い」
 とつぶやいた。

 次の朝慶太郎は、医療専門のアルバイトサイトで見つけた、助っ人を募集している京都市内の心療内科に連絡をとった。
 今のクリニックの状態を澄子の両親が知る前に、形だけでも動いておいたほうがいい、と判断した。
 面接をしてもらえることになった『なごみ心療クリニック』は、京都駅のすぐ北側にあった。アポイントメントは午後三時だったが、余裕を持ってのぞもうと二時過ぎに駅前に着き、喫茶店で時間調整をしていた。
 ネットにアップされていたクリニックの情報を読んでおこうと、タブレットを開くが、カウンセリング実績と業績の羅列ら れつ、院長の饒舌じょうぜつな診療方針に興味がかず、どうも頭に入ってこない。
 時計を見た。まだ面接まで二〇分ほどある。
 慶太郎は携帯電話を取り出し、光田みつたにかけた。
「はい光田です。ああ本宮もとみや先生、いい仕事してますね」
 光田は電話に出るなり、垣内かきうち刑事を取材してたら精神科医の話が出てきた、と嬉しそうな声を出した。
「で、警察の動きはどうなってるんです?」
「垣内さんがかなり食らいついてます。他の事件が起こればすみやかに合流することを条件に、一週間だけ単独捜査が認められたようです。僕も情報提供を約束させられました。その際、先生の話が出たんです」
「本当に首の皮一枚だね」
「一週間でどこまでできるか、です」
「それで光田さんに頼みがあって電話したんです」
 慶太郎は、ホワイトボードの写真をメールして、由那のノートの欄外にあった短い言葉から分かったことや、澄子と話した推理を早口で伝えた。
「凄いじゃないですか。さすが人間心理を読む専門家ですね。平岡真理子ま り こさんがあそこの惣菜部のかなめであることは間違いありません。彼女と経営陣との確執かくしつが背景にあったとなれば、これは大問題だ。ハッピーショッピーの内実を探ります」
「そうしてくれるとありがたい」
 と時間を確認すると三時五分前だった。
「じゃあ頼みます」
 とあわてて電話を切ってレジに向かった。

 慶太郎は『和み心療クリニック』の前まで駆けてきたが、扉の前で立ち止まった。ネットにあった外観とあまりにちがっている。
 不誠実さを感じ、ここで働くという気持ちがせた。
 看板の前できびすを返し、歩きながら電話で面接をキャンセルしたい、と連絡した。目の前にいるわけではない相手に頭を下げながら、京都タワーの横に出た。
 電話を切って見上げると、秋の高い空に悠然ゆうぜんとタワーがそびえ立っていた。
 羊頭狗肉ようとう くにくくらいどこの業態にも横行おうこうしている。面接をキャンセルしたのは、本当は不誠実さが理由ではない。仮にも一国一城のあるじなんだ、というプライドが邪魔しているのは自分でも分かっている。
 いびつなプライドが男にはある。このプライドを踏みにじられて怒りの感情を抱くことが往々おうおうにしてあるものだ。もしハッピーショッピーの経営者に、アルバイトの女性が経営方針について意見したとしたら、おおいにプライドは傷つくにちがいない。
 それは、非定型うつ病、境界きょうかい性人格障害、統合失調症という病気を持っていなくても、一時的にアンガーアタックと呼ばれる怒り発作ほっさを起こすことがあるのだ。この発作のときは冷静な判断ができず、ときには人に危害を加える。
 ただ怒り発作を起こす人間にも、ストレスがかかっている状態のことが多い。ハッピーショッピーの場合は、やはり近隣に郊外型の大型スーパーが立ち並び、経営を圧迫していることが考えられる。
 そんな中で、ハッピーショッピーの独自性が発揮はっきされているのは惣菜部だろう。売り上げに貢献こうけんしているという自負が、惣菜部の人たちにはあった。
 プライドと自負とのせめぎ合いは、双方そうほうにストレスをもたらしていた。
 人波が押し寄せ、ぼうっと空を見上げる慶太郎は邪魔者になっていた。仕方なく、そこから駅のほうへ移動する。
 このままクリニックに帰る気にはなれなかった。あまりに早い帰宅を澄子は不審ふ しんがるにちがいない。
 慶太郎は、駅に隣接するホテルのラウンジに行き、由那の友人、山梨県石和いさわとついだという白波瀬しらはせ友紀子ゆ き こへ電話をかけることにした。
「由那のお姉さんから聞いています」
 慶太郎が名乗ると、友紀子が麻那ま なから送られた写真で、由那のノートを持っているのも確認したと言った。
「急にお電話してすみません。少しは落ち着きましたか」
 強い喪失そうしつ反応で外出もできない状態だったはずだ。
「少しですが」
「いま話せますか。しんどくなったら、すぐに言ってください」
 と、外からで雑音が多いことをびた。
「大丈夫です。私も買い物の途中で外にいるんです。こちらの声も聞き取りにくいかもしれません」
 言われてみると、遠くで車の音や子供の声が聞こえた。外出ができるまでになっているようだ。
「小倉さんのことで、少しうかがいたいんです。彼女と最後に連絡をとったのはいつですか」
「敬老の日の少し前だったと思います。由那のほうから電話をくれました」
「敬老の日ということは、亡くなる二週間ほど前ですね」
「そうです。だから全然信じられなくて。普通に話してて、たった二週間ほどであんなことになるなんて……」
 友紀子が声を詰まらせた。
「小倉さんは、何か用事であなたに連絡してきたんですか」
「会いたいけれど、それぞれ忙しいですし、離れたところに住んでいますから。それでも季節の変わり目とかには、お互い元気なのかを確かめるように電話し合ってました。で、由那いろいろ考えてたら眠れないんだって」
「眠れない、何か問題でもあったんですかね」
「よだかの星という童話、ご存じですか。その話でした」
宮沢賢治みやざわけんじの童話ですね。実は、写メの私が手に持っている小倉さんのノートに、『よだかのこころ』と記してあったんです」
「それです、よだかのこころって由那が言ってました。この頃夜眠れないって言って、つい童話の中のよだかのこころを考えてしまうと」
「よだかのこころについて、小倉さんはなんと?」
「食べものが命だったって気づいてしまったよだかは、辛かっただろうな。そう、しみじみ言ってました」
「食べものが命、ですか」
「はい。気づいてしまった瞬間から、食べることが苦痛になるんだからとも。そんなことが頭の中をめぐって眠れなくなるんだって、ため息をついてました」
 友紀子は、だからよだかは星になるしかなかったんだ、と答えた。
 するとそれに対して、みずか食物連鎖しょくもつれんさからはずれるしかないってことね、と由那が妙に納得した声を出したそうだ。
「白波瀬さんはそれを聞いて、どうおっしゃったんですか」
「今頃なぜそんなことを悩んでるの、と逆に訊きました。何かあったのかって」
 友紀子が宮沢賢治の童話の話をしたのは、もう何年も前のことだったし、由那の声に元気がなかったことが気になったのだそうだ。宮沢賢治の童話が好きだったのは、友紀子のほうで、由那はそれほどでもなかったという。鉄道の好きな由那らしく、唯一気に入ったのが「銀河鉄道の夜」だった。そのため由那から「よだかの星」の話が出たのには少し驚いたのだという。
 確かに、以前見た由那の日記の好きなものの中に、宮沢賢治の童話はなかった。それはムーミンも同様だ。
「小倉さんは何と?」
「お店の方針と合わないことがあるんだって。どんな方針なのって訊いたんですけど」
 由那がそれ以上詳しいことを口にすることはなかったそうだ。
 方針か。澄子の推理を裏付ける証言だ。由那の中で、まだ食べられるものを廃棄する店と、惣菜部の思いがぶつかり合っていた。そして我慢の限界に達した。
 なら食物連鎖の輪から外れるとはどういう意味になる? また疑問が生まれた。
「私になんか言っても分からないと思ったのかもしれません」
 友紀子の声が小さくなった。
「いや、小倉さんは自分が悩んでいるという事実を白波瀬さんに知ってもらいたくて、電話したんだと思います。そういう友達がいることが、気持ちを落ち着かせるもんなんですよ。悩みそのものを話さなくても、あなたの存在に小倉さんはおおいに助けられたはずです」
 慶太郎は力を込めて言った。
「そう、でしょうか」
「精神科医を信じてください。お店のことで、小倉さんから特定の人の話が出たことはないですか。先輩とか」
「あります、平岡真理子という方の話は何度も」
 聞きたかった名前が友紀子の口から飛び出した。軽い興奮を慶太郎は覚えた。
「平岡さんは、どんな人だと小倉さんは言ってました?」
「ひと言でいうとお師匠ししょうさんです」
「師匠?」
「尊敬しているのが、声で伝わってきました。手際て ぎわも味付けも、食材に対する愛情も、今の自分には勝てるものがないって。何度も凄い、凄いって言葉を連発して」
「その平岡さんの教え方について、厳しいとか、怖いといったようなことは言ってませんでしたか」
「厳しい? いえ、楽しいっていうか、嬉しいって言ってたんじゃないかな。とにかく平岡さんのこと、由那は真理子さんって呼んでいたんですが、大好きみたいだから」
 真理子が、夫と離婚し三人の子供を一人で育てていて、その母としてのたくましさにもあこがれていると、友紀子に話していた。
「私生活の面でも、料理の師匠としても尊敬していたということですね」
 予想通り、いじめられているというのは尾藤の偏見へんけんだった。
「小倉さんには夢があったようですが、聞いてますか」
「料理研究家になって、自分の店を出したいって人には言っていたかもしれないです。でも、由那の最終目標は、駅弁のプロデュースなんです。それも東京駅で一番売れるお弁当を自分の店で作りたいと」
「ああ、そうか。やっぱり鉄道なんですね」
「子供の頃からレールのひびきを聞いて育ってるから、由那は」
「最後に、小倉さんには好きな男性はいなかったんでしょうか」
 部屋にも男性と交際していた気配け はいは感じられなかったし、ノートの記述の中にも恋愛の欠片かけらもなかった。
「それは……」
 友紀子が黙った。亡くなったとはいえ、由那の恋愛のことを見ず知らずの男にしゃべりたくないのだろう。いや、この世にいないからこそ、秘密を守りたいのかもしれない。しかし沈黙は、すでに由那に好きな男性がいたことを語っている。
「無理にとは言いません。ただ自殺でないことを確かめたいんです。もし、恋愛で悩んでいたとすれば、それは自殺の原因になり得ます。こちらの警察は自殺で捜査を終わらせようとしているんです」
「片思いの方がいます。けれど、その方とのことはもう吹っ切れてるはずだから、それが原因で自殺なんて、絶対ありません。由那も整理をつけたんです。し返さないでやってください」
「分かりました。長時間すみませんでした」
「先生……由那が自殺でないとしたら、誰かに?」
「それを警察に調べてもらいたくて、私は動いています。また聞きたいことが出てくるかもしれません。そのときは協力してほしいんですが、いいですか」
「私でお答えできることでしたら」
 ささやくような声で友紀子は言った。




     2




「前に言ってたことなんやけど、今晩、真一しんいちくんに挨拶させてくれるか」
 正太は、車の助手席に座る真理子に訊いた。
 久しぶりの緊張感にハンドルを握る手が汗ばんだ。
「そんなご迷惑は、やっぱり」
「僕かて迷惑やったら言わへん。受験の大事なときに、お母ちゃんに残業させてるんやから。何かさせてもらわんと、僕も心苦しいんや」
「けど……」
 真理子はうつむく。
「前は偉そうなこと言うたけど、勉強教えるどころか、僕が習わなあかんかもしれへん。会うだけ会わせてくれへんか」
「家、散らかってますし」
「挨拶だけや」
 また真理子は黙ってしまった。
 そうしているうちに、ヘッドライトに真理子の家が浮かび上がってきた。付近一帯は古い家並みで、真理子の木造二階建ての家の隣は空き家だった。いつものようにその空き家の前に車をめた。
「かまへんな」
 正太はエンジンを切って、シフトレバーをパーキングに入れた。
                       〈つづく〉