矢印の街

「お兄さん、いくらいじってみてもだよ」
 突然、声を掛けられた。振り返ると、見知らぬ男がそこにいた。
「この街じゃ、そんなものは役に立たない」
 おれは再び、手元のスマートフォンに目を落とす――。
 すべては旅先でのことだった。レンタカーで走っていると、急にナビの表示がおかしくなってしまったのだ。自分がいるはずの周囲が真っ白になり、何もない場所を走っているような恰好かつこうになっていた。
 おれはナビをあきらめ道を見た。しばらく速度を落として走行しているとT字路があり、その真ん中に「↑」と書かれた看板があった。
 ――道路標識を見るのなんて、いつぶりだろう。
 看板には、なぜか行き先に関する情報は何も書かれていなかった。けれど、おれはなんとなく表示につられて右折した。さらに走ると道の途中でまた標識が目に入り、半ば無意識的にハンドルを切る。
 そんなことを何度か繰り返すうちに景色が開けた。そして山間に現れたのが、この街だった。
 おれは街中をしばらく車で走ってみた。車一台が走るのでやっとなほどの石畳いしだたみの道の両脇には、八百屋や酒屋、おもちゃ屋など、どこかなつかしい店が軒を連ねていた。
 ――へぇ、この国にもこんな商店街がまだあったのかぁ。
 でも、と、興味をそそられつつもおれは思った。一応、目的地のある旅だ。いつまでも知らない土地で油を売っているわけにはいかない。
 ナビは相変わらず真っ白で、機能を果たしていなかった。とりあえず車を降りて、おれはスマホを取りだした。地図アプリを立ち上げて、現在地を確認しようと試みる。が、ナビと同様、周囲が真っ白にまっていた。
 さらに首をかしげたのは、地図を縮小してみてからだ。いくら広範囲で見てみても、通ってきたはずの道はおろか、日本地図さえ映らずに、どこまでも空白地帯がつづいていたのだった。
 GPSか、もっと大元の機械の故障だろうか……。
 途方に暮れていたところに、男に声を掛けられたのだった。
 おれは不審に思いながら男にたずねた。
「役に立たない……?」
 男はうなずき、ここは外から切り離された場所なのだと口にした。
「だから、外のものは使えない。この街じゃ、矢印だけが頼りなんだ」
「矢印が……?」
 まどうおれに男はつづけた。
「デジタル技術が普及して、アナログの標識が世の中からすっかり消えただろう? どこに行くにもナビかスマホがあれば十分で、地図さえもいらなくなった。街中からは案内標識が取り払われて、駅の出入口の看板なんかもなくなった。そうして行き場をなくしたのが、そこに書かれていた矢印だ。その矢印たちの集まった場所が、この街でね。ときどき、矢印に導かれて人がやってくるんだよ。あんたみたいに」
 おれは道々にあった道路標識のことを思いだす。たしかにあれにしたがって走ってきたら、ここへたどり着いた……。
「それで、どうやったら出られるんですか?」
 街の中をうろつくうちに、すでにもと来た道は分からなくなっていた。長くつづいたGPS頼みの暮らしもたたり、いまや完全なる方向音痴おんちでもあったのだった。
「出るも何も、ここで暮らすしかないさ」
「どういうことですか……?」
「どんな手段を使ったって、出ることはできなくてね。あんたも矢印に選ばれたんだよ」
 ほら、と、男はこちらを指差した。
 おれは自分の腹のあたりを見ておどろいた。そこには青地に白抜きの交通標識のような矢印があったのだ。それもどういう原理か矢印はぷかりぷかりとちゆうに浮かび、コンパスのように目の前の男のほうを差していた。
 そして二重に驚いたのは、もうひとつ別の矢印が目に飛びこんできたからだ。相手の男のほうにも板切れに手書きで描かれたような矢印が浮かんでいて、こちらを差していたのだった。
「おれは自分のこの矢印に導かれて、ここに来てね。どういうわけか、初めて街に来た人間の案内役を仰せつかってるのさ。これから、あんたは自分の矢印を頼ってやってくことだ」
 それじゃあ、まあ、うまくやりな。
 そう言い残し、男はどこかへ去って行った。
 男の言葉をみにするほど、おれは素直にできてはいなかった。進むべき道を示すかのように、くいっくいっと動く矢印のことは無視をして、何とか元の道に戻ろうと車で街をさまよった。けれど、どこをどう走っても、最終的に戻ってくるのは同じ場所なのだった。
「どうなってんだ……」
 おれは太陽の位置で方角を読もうと試みた。やがて陽が暮れると、航海士よろしく北極星を指針に進もうともした。が、どういうわけか、進めど進めど、街から出ていくことはできなかった。
 一晩中さまよって夜が明けると、強い疲労感におそわれた。
 おれは車外に出て、身体のほうへ視線を落とす。矢印はななめ前を差していて、くいっくいっと動いている。
 ――試しに従ってみてやるか……。
 車に乗りこむと、矢印の導くほうへと進んでいった。
 たどりついたのは、森に近い丘の上の平屋だった。誰の家だろうかと思いながら、のぼり切るまで待ってからとびらたたいた。
 返事はなく、しばらくたってスライドさせると簡単に扉は開いた。
「すみません!」
 見つかったときの言い訳を考えながら、慎重に家の中を探ってみた。ところが、どの部屋も家具ひとつ見当たらず、どうやら無人のようだった。
 矢印は家の中に入ってから、ここだ、と示すようにずっと真下を差していた。
 ――なるほど、ここに留まれということか。
 疲労もピークに達していたので、おれはそう解釈して床に転がり眠りについた。
 目が覚めてからも街を走り回ってみたけれど、二日もすると、ついに脱出はかなわないのだと観念した。家屋に誰かが来る様子もなく、おれは勝手に自分の住まいにすることにした。商店街まで出て行けば、食料から燃料まで、だいたいのものは手に入る。そのうち最低限の家具と家電も揃え、本格的に街での生活をスタートさせた。
 矢印は常に目の前に浮かんでいたけれど、いつも方向を定めているわけではなく、ひまを持て余すようにくるくる無意味に回っているときもあった。むしろ、そのほうが大半だった。
 しかし時おり、くいっくいっとひとつの方向を指し示すのだ。最初のほうは意地で無視をしていたけれど、そのうちやはり気になってきて、ある日を境に矢印を指標に行動してみるようになった。
 矢印の示す先には、たくさんの出会いが待っていた。
 あるときは、長年この街で暮らしているという人の家へとたどり着いた。話を聞いていくうちに、いろいろなことが分かりはじめた。
 この街は、矢印のナビゲートによって平穏が保たれているのだということ。信号がまったくないにもかかわらず、事故は起こったりしないという。矢印同士で情報が共有されて交通整理をしてくれているらしく、それに従う限りは安全が保障されるとのことだった。
「……もしさからったらどうなるんです?」
「よくないことが起こるでしょう」
 数年前に新しい若者がやってきたとき、話を信じず矢印を無視しつづけた。元の世界に帰ろうとしてバイクで走り回った末、水たまりですべって横転して命を落とした。
「あるいは迷子まいごになって行方不明になる人もいます」
 矢印の指示には、推奨する程度の弱い意味と、忠告に近い強い意味の二つがあるのだという。後者に背くと、どんな事態におちいっても文句は言えない。逆に言えば、矢印の助言に従う限り、快適な生活が保障されるということだ。行方不明になった者は、永遠にどこかをさまよいつづけていると言われている。
「ただし、中には強制力を持った矢印もありまして。逆らおうと思っても、逆らうことができないんです」
 その矢印は、鉢合はちあわせると危険な人物たちにのみ現れる。お互いが顔を合わさぬよう、行動を制限して事件を未然に防いでくれているという。それゆえに街の治安も保たれている。
「でも、なんだか息苦しいというか、窮屈きゆうくつですね……」
 本音をもらすと、こんな言葉が返ってきた。
「ブレない指針を手に入れられたと考えれば、こんなに良い話はないですよ」
「そうですかねぇ……」
「というか、そもそもほとんどの人間は意識していようがいまいが、指針なしには安心して生きていけないものですからね。考えても見てください。普段の生活だって法律や常識、暗黙のルールなどの指針によって成り立っているものでしょう? 学業なんかでも同じです。多くの子供が学校や塾の指針に依存しているのが普通ですし、大人だってセミナーや研修に参加して進むべき方向を定めたり、誰かの助言に沿って日々を生きているものです。もっと単純に、何かを買うにしたってその道に詳しい人や著名人がオススメしたものを買うでしょう? もちろん、そうでない人――自分自身で指針をつくってしまえる側の人もいるにはいますが、そんなのはほんの一握りの存在です。ほとんどの人にとって、指針というのは生きる上で必要不可欠なものなんですよ。この街ではそれが矢印という、じつに分かりやすい形で現れてくれている。そう考えると、どうですか?」
 おれはうなるばかりだった。
 月日が流れるにつれて、矢印の存在は次第に当たり前のものになっていった。無視したりすることはなく、かといってあがめるでもなく、家族のように共に過ごした。
 矢印の勧めで、おれは商店街の雑貨屋を訪れて、そこでの職を得ることができた。得られる収入はそれほど多くはなかったが、暮らしていくには十分で、周囲を見てもみな同様に満足のいく生活を送っていた。この街では矢印が経済をになっていて、そして人々の幸福をも背負ってくれているのだった。
 矢印のおかげで友人もたくさんできた。休みの日に退屈なときは矢印が察知してくれて、適当な遊び友達のところへ案内してくれる。悩みがあれば、それに見合った相談相手のところへと導いてくれた。
 その友人のひとりから、興味深い話を聞いた。
 矢印は万能なわけではく、まれに予知しきれないこともあるらしい。彼の場合は、予期せぬ火事に巻き込まれたことがあると言った。しかし、そういうときは特殊部隊が出動するのだという。緑色の発光する矢印が現れて、避難経路を示してくれるのだ。それで彼も事なきを得たのだと、消防士にあこがれる少年のような瞳で彼は語った。
 最初に出会った男とも再会した。彼は街を訪れた者への最初の案内人のほか、矢印の指針に逆らって厄介事を引き起こした者への対応役も担っていた。外の世界で警官をやっていたのが影響しているのだろうと、男は言った。
 やがておれに、後に妻となる人物との出会いも訪れた。仕事からの帰り道、街角で出合い頭にぶつかったのが彼女だった。落とした荷物をひろってあげるうちに会話がふくらみ意気投合。付き合って結婚に至るまでに、そう時間はかからなかった。
 後で聞いた話によると、この街では、こういった出会いで結婚に至るケースは多いらしい。もっとやりようはあるのにと、おれは矢印の不器用な面を知ってなんだか微笑ほほえましくなった。
 そんな穏やかな日々に終止符が打たれたのは、突然のことだった。
 ある日、勤務中に矢印が動き家のほうを激しく差した。あまりに様子がおかしいので、おれはやむを得ず帰宅した。すると、倒れた妻を居間で見つけた。
 け寄ってみるも、素人しろうとでは判断できない。妻の矢印も力なく床に転がっている。おれは妻を背負い、自分の矢印の示すままに突っ走った。導かれた先は、無論、病院だった。
 矢印と一緒に妻を先生に預けると、緊急手術の判断が下された。おれは何もできず、待合室でひたすら待った。
 長時間に渡った手術は成功した。が、妻の意識は戻っておらず、予断を許さない状況だった。今夜が山だと告げられて、ベッドの脇で夜通し妻を見守った。
 不意に、矢印も万能ではないのだという友人の言葉がよみがえる。矢印を見ると、そわそわしているばかりだった。おれと同じく居ても立ってもいられないが、指示のしようがないのだろう。拝むように両手を合わせ、意識の回復をただただ祈った。
 その瞬間は、明け方に訪れた。
 うなだれているおれの前で、突然、矢印がくいっくいっと動いたのだ。視線を上げたその先には、目を開けた妻がいた。
 声にならないさけびをあげ、おれは妻に駆け寄った。
「あなた……」
 か細い声で妻は言う。
 しゃべらないように伝えるも、妻はつづける。
「この子のおかげ……」
「えっ?」
「この子がね、助けてくれたの……」
 そのとなりには妻の矢印が寄りうようにひっついている。
 途切れ途切れに妻は語った。
 気がつくと、ゆっくり上昇しているような感覚に包まれていた。ぼうっとして何も考えることができず、ただその感覚に身を任せていた。
 そのときだった。自分の矢印が目の前に現れ、くいっくいっと力強く動いているのが目に入ったのは。
「この子の差すほう――下を見たら、わたしの身体がベッドに横たわってて……」
「それじゃあ……」
 おれは妻の矢印のほうを見やって、息を呑む。
 小さな声で、ええ、と言って妻は微笑む。
「この子がわたしに教えてくれたの。戻るべきはこっちだって」

                          (完)

 採用させて頂いた方
  ・智也さん
  (お題「矢印の街」)