十月の精霊流し・下

 店の主人の初子はつこがやってきた。
川辺かわべさん、例の話なんだけど、本当に何とかならないものかねえ」
 表に客用の縁台えんだいを出すという、あの話だ。初子は、まだ諦めていないのだ。
「ですから、あれは、前にもいいましたように道路交通法というのがありまして。それに抵触ていしょくする以上は何とも」
 頬張ほおばっていた豚の串焼きを、ごくりとのどの奥にのみこんで川辺は、しどろもどろになって答える。
「その言葉は聞きあきたよ。その、何ともならないのを何とかするのが、町おこし推進委員会の仕事じゃないのかね」
 初子の目が和彦かずひこの顔に移り、洞口ほらぐち源次げんじ桐子きりこ翔太しょうたと順番に見ていく。
「たった縁台、一つ分だよ。一つ分でも道路に並べられれば、店のほうも助かるし、活気だって出るはずだよ」
 初子は小さないきをもらしてから、
「うちだけじゃないよ。他の飲食店だって、それができれば助かるはずだよ。いや、飲食店に限らずどんな店だって、それができれば大歓迎のはずだよ」
 声高こわだかにそういって、川辺たちに背中を向けた。
 和彦の胸がざわっと鳴った。
 初子のいうことは正論だった。確かに店先に縁台やら商品の棚が並べば、それだけで活気が出るはずだった。しかし、道路交通法をどうクリアすればいいのか。わからなかった。見当もつかなかった、だが。
「川辺、何とかできんのか。初子さんのいうことはもっともだ。魅力的な提案だ。あの、昭和の闇市やみいちといったらおおだが、確か浅草にもそんな一画いっかくがあるじゃないか。ビニールテント張りで縁台を出して」
「和ちゃん、無理をいうなよ。法律を曲げて路上占拠するなんて、だい無理な話だよ。役所も警察も黙っちゃいないよ」
 情けなさそうな声を川辺が出す。
「無理は承知だ。しかし、町おこし推進委員会としてほうっておくことはできん。すべてはこの商店街のためだ。役所で培ったノウハウをすべて絞り出せ、何とかしろ」
「そうだ。法律なんてものは、どこかに抜け穴があるはずだ。お前、停年まで役所にいながら、そんな抜け穴も思いつかねえのか。しっかりしろ」
 発破はっぱをかけたのは洞口だ。
「みんなで、そんなことをいったって……」
 川辺は溜息ためいきまじりの声をあげ、
「そうだ、こういうときは困ったときの翔太君頼み――といっても、いくら翔太君でもこればっかりは無理か」
 ちらりと翔太の顔を見て弱々しく首を振った。
「ありますよ、いい考えが」
 何でもないことのように翔太がいった。
「えっ、あるのか」
 怒鳴るような声が和彦の口から出た。
「法律なんて、無視すればいいんです」
 大胆だいたんなことを翔太はいった。
「店の前の道路はけっこう幅があります。だから、縁台一つ分といわずに、ついでにテーブルも出して路上店のようにしてしまえばいいんです。百二十センチまでぐらいなら、支障はないと思いますよ」
「法律を無視するのか!」
 和彦はうなり声をあげる。
「もちろん、八代酒店さんだけではです。他の店も一緒になって、一斉いっせいにやらないと。しかも、さりげなく、大袈裟にならないように。そして、役所が気づいたころを見計らって交渉に入るんです。町の人を味方につけて」
 淡々たんたんと翔太は答える。
「いいな、それは大賛成じゃな。法律なんてくそらえ。どんどん破ればいい。破れば破るだけ、いい気持になれるからよ」
 せいをあげたのは源次だ。
「いえ、源次さん。そういうことじゃなくてですね」
 思わず制する翔太の声にかぶせるように、
「いや、いい方法だ。その方向でアイデアを練って商店街の連中と話し合おう。実現すれば、昭和純情商店街そのものの出来あがりだ。昭和三十年代の町並だ」
 興奮こうふんぎみの和彦の声が響いた。
「じゃあ、それできまりですね」
 川辺が上ずった声をあげ、
「私、早速、初子さんに、このことを話してきます」
 いそいそとちゅうぼうに向かった。
「相変らず、現金なやつだ」
 苦笑しながらいう洞口の声を追いやるように、
「翔太、あんたって本当に凄いね。まさか、翔太の口から法律を無視しろなんて。あのいつも、へなへなだった翔太の口から。少しは見直してやるから有難ありがたく思えよ」
 桐子が感嘆かんたんの声をあげた。
「うん。独り身会に入ってから、何だか僕もちょっと成長して大人になったような気がするよ」
 翔太はちょっと得意そうな声でいい、
「それから桐ちゃん。さっき桐ちゃんが詳しく知りたがっていた金玉の件なんだけど、あれを英語のスラングでいうと、単にボールっていうのも間違いじゃないんだ。でも、他にもいい方があって、ナッツとかエッグとか――」
 げんよく後をつづけた。
 とたんに桐子がえた。
 顔が赤く染っている。
「誰が金玉のことなんて訊いたのよ。私はそんなこといった覚えはないわよ。何いってんのよ、翔太は」
「だって、さっき桐ちゃんが……」
 おろおろ声を翔太があげた。
「だから、そんなこと、いってないっていってるじゃない。女の私が金玉なんて下品な言葉を、口に出すわけないじゃない。翔太って、本当は馬鹿なんじゃないの」
 両頬をぷっと膨らませた。
 そんなところへ川辺が戻ってきた。後ろには初子の姿もある。
「あれ、何かあったんですか?」
 桐子の顔を見て声をあげる川辺に、
「何でもねえよ。単なる男と女のすれ違いだよ。子供の喧嘩だよ」
 ぼそっとした口調で洞口がいった。
「それならいいんですが。初子さんのほうから一言、みんなにお礼がいいたいっていうので、ここへ……」
 胸を張って川辺はいう。
「いい方法を本当にありがとうございます。縁台ひとつじゃなくて、テーブルごと出して大っぴらに料理を並べるなんて。なかなか普通の人間に考えられることじゃありません。川辺さんの頭の良さというか大胆さには本当に脱帽だつぼうです。もちろん、みなさんのご尽力にも。本当にありがとうございました」
 初子は満面に笑みを浮べ、頭を大きく下げて和彦たちの前を離れていった。
「川辺、お前よ――」
 じろりと洞口が睨みつけた。
「まあ、その、いいじゃないですか。少しぐらい、私に花を持たせてやっても。何たって、根はいい年寄りなんですから。少しぐらいは」
 はははと、かわいた笑い声をあげた。
「まあ、いいけどよ」
 ぶとい声で助け船を出したのは源次だ。
「この件はこれで一件落着として、あとはあいつらをどうするかだがよ」
 あごで南米グループを指した。
「どうするかって、どういう意味よ、源ジイ」
 ようやく機嫌を直したのか、桐子が何かを期待するような声を出した。
「いや、何かこの町のために、あいつらを使えないかと、ふと思ってよ」
「何だ、そんなことか」
 がっかりするような桐子の声につづいて、
「さあ、それだ。実は俺も、それは考えていた」
 和彦は力強い声を出した。
「ちょっと軽薄けいはくなかんじはするが、性根はそれほど悪くはないようだしよ。このさい、こっちに取りこんで、外国人誘致ゆうちのために役立てるという方法もあるような気がするんじゃが」
「こっち側っていうのは、町おこしの側っていうことですか」
 川辺のげんそうな言葉に、
「たとえば、外国人専用の角打ち酒屋をあの人たちにやらせるとか、あの人たちの国の料理を出す店をやってもらうとか。外国人用のPRの仕事に頑張ってもらうとか――見たところ、ちゃんとした仕事をやっているようにも思えませんし」
 翔太がすらすらと答える。
「よし、きまりだ。あの馬鹿共を取りこもう。だが、そのためには、あいつらの性根を少し叩き直してやらねえとな。曲りなりにも、まっとうな暮しができるようにな。行くぞ、翔太」
 低く叫んで源次が動いた。
 ゆっくりと南米組の席に向かう。
 和彦と翔太が後につづく。
 南米組五人の前に三人が立つと、好奇こうきな目がすぐに注がれた。五人の顔に緊張感はまるでなく、完全に和彦たちをめきっている様子だ。
「こいつらに、あの大男との約束は守るのかどうか、訊いてくれ」
 ぼそっといった。
「いいですけど。この人たちは多分、ブラジル人ですから、母国語は英語ではなくポルトガル語ですよ。先日の様子から英語も少しはできるような気もしますが」
「何っ、こいつらの話す言葉は、英語ではなく、ポルトガル語なのか」
 驚いた声をあげる源次に、
「そういうことだよ、ポルトガル語だよ。そして、英語よりは日本語のほうが得意だよ。何たって俺たちは日系だからよ」
 かなりりゅうちょうな日本語で若者の一人がいった。髪を金髪に染めた、がっちりした体格の男で、どうやらこれがリーダー格のようだ。
「何だ、おめえら。日本語が話せるのか。馬鹿らしい――それなら、さっきの質問の意味もわかるだろう。どうするんだ」
「くるわけねえだろう。あんな化物と闘っても、勝てるはずがねえからよ」
 源次の問いに金髪男が答える。
「なんとまあ、情けねえこった。おめえたち、それでも日系人か。ご先祖様に恥ずかしいと思わねえか。馬鹿野郎が」
 源次が男たちを睨みつけるが、五人はまだゆうしゃくしゃくの様子だ。
「てめえにそんなこといわれる、いわれはねえよ。ええっ、インチキ野郎のチビッコ・ニンジャよ」
 源次の顳顬こめかみに太い血管が浮きあがった。どうやら源次は自分の背丈に対して、かなりの劣等感れっとうかんを持っているようだ。そんなことは一度も口にしたことはないが。
「こいよ。こねえ野郎は俺が許さん。日本中、どこへ逃げても俺が息の根を止める」
 押し殺した声で源次がいった。
「だから、てめえにそんなことをいわれる、いわれはねえって、はっきりいってるだろうがよ。チビッコ・ニンジャ」
 金髪男の言葉に源次がすぐに反応した。
 胸前で両指をくみ、印を結んだ。
『臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前……』
 唱え終えた源次の視線が男たちの飲み食いしていた、テーブルの上に注がれた。無造作に空になったビール瓶を左手で取った。例のビール瓶の首切りかと和彦が思った瞬間、源次は右手でビール瓶の首をつかんだ。ぐいと力をいれた。瓶の首が折れた。
 そう、へし折ったのだ。
 折れるはずのない、ビール瓶の首を源次はへし折ったのである。おそらく、十円硬貨を折り曲げたという、気の力・ ・ ・ ……。
 男たちの顔色がすうっと変った。五人の男たち全部が、源次の前から半歩、後ろに退しざった。
 ずいと源次が前に出た。
 男たちの顔におびえの色が走った。
 源次の手が伸びた。金髪男の手首をがっちりとつかんで引きよせ、有無をいわせぬ勢いでてのひらをテーブルに押しつけた。次の男も手首をつかんで掌をテーブルの上に。そして次の男も……源次は五人すべての男の掌をテーブルに押しつけた。
れんぎょう金縛かなしばりの法――」
 ぼそっといった。
「動いてみるがいい」
 源次の言葉に、男たちは掌をテーブルの上から外して動こうとするが無理だった。まるで吸いついたように掌はテーブルに密着して、離すことができなかった。いくら力をいれようが、びくともしなかった。
「わしが術をとくまで、その掌はテーブルからは離れん。つまり、おめえたちは一生、そのテーブルに掌をくっつけて暮さなければならんということになる」
 おごそかな声で源次はいった。
 男たちの顔は泣き出しそうだ。
「術をといてほしかったら、大男との約束の夜にここへくると誓え。誓えば自由にしてやるがよ」
 男たちが首を横に強く振った。
おくびょうものの根性だけは持っているようだが、情けない話だのう」
 源次はにやりと笑って、
「あの大男と闘えとはいわん。あのアメリカ野郎たちと闘うのは俺の役目だ。おめえたちはそれを見てるだけでいい。これならどうだ、これるか」
 一斉に男たちは首を縦に振った。
「現金なやつだの。じゃが、正直でいい。そこのところだけは気にいった」
 いうなり源次はテーブルにくっついている男たちの掌の上を、ぽんぽんと叩いた。掌がテーブルから離れた。大きな吐息が男たちの口からもれた。
「それなら、おめえたちはもう帰れ。そして、約束の夜、必ずここへ顔を見せろ。それから、帰る前に順番に名前をいっておけ」
 リーダー格を先頭に、ヒロシ、ヨシオ、コウタロウ、ヒトシ、ツネフミと男たちは肩をすくめながら名乗った。漢字で書くより、カタカナのほうが似合う発音だった。五人の男たちはうなだれて和彦たちの前から立ち去った。
「凄いじゃん、源ジイ。あれはいったい、どうやったの」
 きょう津々しんしんの表情で桐子が訊いた。
「一種の催眠術だな。にらみつけるわしの目と視線が合った瞬間、敵はすでに術にかかっておる。あとはこっちのいうがままに反応することになっておるな」
 鷹揚おうように答える源次に、
「どんな人でも、かかるの」
 たたみかけるように桐子はいう。
「残念ながら、全部というわけにはいかんの。桐ちゃんのような頑固な人間には、なかなかかかりづらいのう」
「私のような頑固な人間って、何よそれ」
 唇を尖らす桐子に、
「冗談じゃよ、冗談――まったく桐ちゃんは可愛い女子じゃの」
 源次は顔中をくしゃくしゃにして笑い出した。


 その夜、和彦は茅束かやたばの前にいた。
 秋穂あきほの舟づくりだ。
 ていねいに茅の束をくみ、まず最初に舟底をつくる。茅と茅をくっつけるのは細くて強い絹糸だ。それを一本一本の茅の間に針で通し、離れないように結んでいく。
 底の次はげん。そして、さきともの調整だ。
 何隻なんそうつくっても、素人の和彦にとっては難しい作業だった。少しでもバランスが崩れれば舟の形はゆがんでしまう。歪めば水の上に浮かばず、舟はひっくり返る。また、糸が緩んでいると、そこから浸水しんすいして舟は沈むことになる。
 いくらていねいにつくっても、何度かに一度は船は沈む。それだけは避けたかったが、どうしようもなかった。運としかいいようがなかった。
「秋穂が怒っている……」
 そんなとき和彦はこう思う。
 何をしようが、どんな供養をしようが、秋穂は非情な父親に対して、時々悲しみと怒りをぶつけてくるのだ。沈んでいく舟を見ながら和彦の心は責められさいなまれる。いいようのない悲しさと苦しみが体のすべてをおおい、和彦は大粒の涙を流す。
「すまない、秋穂。すまない、秋穂……」
 和彦は何度も頭をたれる。
 それでも収まらないときは地面を叩く。
 拳が破れて血が流れ出すまで叩きつづける。
 体を苛みつづけるのが、自分の責務だと思った。そうしなければいけないと思った。自分は人殺しなのだ。腹のなかの赤子を闇から闇にほうむり去った殺人者なのだ。勝手な自分の欲のために……。
 そんな思いを、ひとつひとつ胸に刻みこみながら和彦は舟をつくる。少しでも気に入らない部分があれば納得のいくまで、やり直しをする。手を抜くことは許されなかった。これは和彦にとってのしょくざいなのだ。罪人の証しなのだ。一点の間違いがあっても許されない、大事な作業なのだ。
にんにんの父親を許してくれ……」
 何度も何度もつぶやきながら、和彦はぼんやりとした元灯もととうのなか、絹糸で一本ずつ茅をめて束ねていく。聞こえてくるのは茅のれる音だけで、あとはおん。まるで暗い海の底にいるような気持だ。
 糸を通した針が和彦の指を刺した。
 ちくりとした痛みが走り、指に赤黒い血がにじむ。罰だった。心地よかった。針が指を貫くたびに和彦の心はなごんだ。
「俺はこのまま、狂っていくのでは」
 そんな気持が時折り、和彦の心を襲う。
 それならそれで、よかった。
 何もかも忘れることができる。
 逃げなのかもしれなかったが。
 また、針が和彦の指を刺した。
 いい気持だった。
「秋穂……」
 涙が膝にこぼれ落ちた。
 和彦の全身を途方もないさびしさがつつみこんだ。


 大男との約束の日がきた。
 和彦は迷っている。
「俺たちと命のやりとりをする気があるなら、六日後の同じ時間にここへこい――」
 大男はこういったのだ。
 あのとき、すでに時間は十時半を回っていた。これが問題だった。
 しょうりょうぶねを流すのは夜の十二時まで。その時刻を過ぎれば次の日になってしまい、秋穂の命日を過ぎてしまう。大男たちと源次の対決が早く終ればいいが、長引いてしまうと……。
 和彦は対決の場に茅舟を持っていこうかどうか迷っていた。持っていけば詮索されるのは間違いない。しかし、対決の場から家に茅舟を取りに戻り、それから川に行くのには、余りに時間がかかりすぎた。間に合わない恐れがあった。
 かといって対決の前に川に流しに行くのも嫌だった。流したあとは真直ぐ家に帰り、秋穂の冥福めいふくを静かに祈りたかった。それが今までの常でもあった。和彦は迷いに迷った末、茅舟を持っていくことにきめた。どう考えてもそのほうがなんだった。
 角打ち酒場への集合時間は十時。
 店の前まで行くと、なんと三脚の縁台が並んでいて、その横には火の入った七輪が置かれ網の上でがいい匂いをあげていた。
 団扇うちわを手にして秋刀魚の焼きかげんを見ているのは初子だ。
「すみません。もう、置いてしまいました。さすがにテーブルまでは手が回りませんでしたけど」
 にまっと笑って初子がいった。
「それはよかったですね。それにしてもいい匂いですね」
 鼻をひくつかせて大きく息を吸いむと、
「秋刀魚は七輪に限ります。これに勝る味はありませんよ」
 初子は胸を張って答え、
「ところで、それは何なんですか」
 視線を和彦の手元に向けた。
 茅舟を包みこんだ風呂敷だった。
 茅舟の全長は三十センチちょっと。高さは提灯ちょうちんを下げるための把手とってがついているため、これも三十センチほどになった。これを風呂敷で包みこんできたのだから、どうしても目につく。
「これは、舟です。手作りの……」
 いっていることにうそはない。
「はあ、舟ですか。小堀さんの手作りの。それはまあ」
 いぶかしげな表情を浮べる初子に、
「あっ、秋刀魚の煙が。焼きすぎじゃないんですか」
 取っておきの言葉を投げかける。
 慌てて七輪に向かう初子を後にして、和彦は店のなかに入る。
 奥に進むと、すでに独り身会の面々はそろっていた。ただ、桐子だけはいない。いくら何でも対決の場に女子高生を連れて行くのはまずいと、きたがる桐子を何とかみんなで説得をして今夜は留守番ということにしたのだ。
「何だ、その大きな風呂敷包みは」
 早速、源次がいてきた。
「これは舟だ。俺が自分でつくった」
 初子にいったのと同じような言葉を和彦は口に乗せる。
「和ちゃん、そんな趣味があったんですか。模型の船づくりなんていう」
 興味津々の表情で川辺がいう。
「舟は舟でも、精霊舟だ。今夜、川に流そうと思ってな」
 さすがにおさなみに大きな嘘はつけない。
「精霊舟って、今はもう十月だぜ。季節違いだぜ」
 洞口がしんげな面持ちでいった。
「悪いが詳しいことは訊かないでくれるか。源ジイの病気と一緒で、これにはいろいろさいがあってな。話せるときがきたら、必ずみんなには話すからな」
 すまなそうにいって頭を下げた。
「おっ、それなら仕方がねえよな。なら、詮索はよしにしようぜ。人にはそれぞれ、いろんな事情があるだろうからよ」
 すぐに源ジイがこういって、これはいちおう一件落着ということに。
 ほっとした思いで左手の奥を見ると、すでに南米組もきていてビールを飲んでいた。五人が一斉に神妙な顔をして頭を下げた。
「えらく、素直じゃないか」
 感心したようにいうと、
「やっぱり、リアル忍者のネームバリューは絶大だったみたいですね。源次さんのつかった術もすごかったですし」
 嬉しそうに翔太がいった。
「肝心の欧米組だけが、まだか」
 呟くように口に出すと、
「律義に十時半ぴったりに顔を出すんじゃねえのか。何たって、神聖な決闘の場だからよ。中世の騎士気取りでよ」
 洞口が穿うがったことをいい、和彦は厨房ちゅうぼう前に飲み物とさかなを取りに行く。
 いらいらした思いで大男たちの現れるのを待つがなかなかこない。結局姿を見せたのは洞口がいった通り、十時半ぴったりの時刻だった。
 大男のボビーを先頭に、和彦たちをじろりと見てから左側の奥に進む。神妙な顔の五人をにらみつけて、表に出ろというように顎をしゃくった。
 南米組がゆっくりと動き始める。その前を欧米組が歩く。和彦たちは、その後ろにつづいて表に出た。
 ろんな目で大男が和彦たちを見て、何かをった。
「お前たちはいったい、何のためについてくるんだ。そういっています」
 すぐに翔太が通訳する。
「今夜の相手は南米組じゃなく、俺たち日本の忍者グループだ。そのつもりでかかってこいといってやれ」
 和彦の指示通り、翔太は大男に伝える。
 とたんに大男の顔つきが変るのがわかった。
 何かをわめきたてた。
「一人残らず、ぶっ殺してやるって。特に小っさい男は覚悟しとけって……」
 申しわけなさそうに翔太はいう。
 源次はやはり、どこへ行っても小っさいおっさんである。
「ここでやると人目について、まずいから。俺たちについてこいっていってやれ、翔太君」
 翔太がそれを英訳し、今度は和彦たちが先頭に立ち、次に南米組、最後に欧米組がついてぞろぞろと商店街を歩いた。
 和彦がみんなを連れていったのは隣町との境にある稲荷いなり神社だった。ここの境内けいだいなら広い。源次も自由に闘えるはずだった。が、本当に大丈夫なのか、源次は。和彦の胸に一抹いちまつの不安がよぎる。それに時間だ。ちらりと腕時計を見ると十一時近かった。はたして精霊流しに間に合うのか。
 境内の真中に三つのグループが立った。
「てめえら、男の闘いというのをじっくり見ておけ。そして、おめえたちのご先祖様の技である忍者の術をよ。わかったか」
 押し殺した声を南米組にぶつけた。
 南米組は源次に向かって、ぺこぺこと頭を下げた。
「凄いですね。やっぱり忍者のりょくは」
 かん高い声でいう川辺に、
「このあと、あいつらは町おこしのあれこれに、こき使われることになるんだがな。源ジイにしごかれてよ、だけどよ」
 洞口がごくりと唾をのみこんだ。
「本当に大丈夫なんだろうな。あんなでかいのを四人も相手にして、源ジイは」
 やはり、洞口も不安なのだ。
 そのとき欧米組の一人が歩いてきて和彦の前に立ち、何かをまくしたてた。翔太のほうを見ると、
「その包みは何だ。爆弾でも入ってるんじゃないだろうなって」
 うわずった声でいう。
 さすがに兵隊は考えることが違うと、妙なことに感心していると、その兵隊の足が和彦の持つ風呂敷包みに飛んだ。風呂敷包みは和彦の手から離れて地面に転がり、なかの茅舟が飛び出した。一瞬、和彦の体が固まった。胸のどうが速くなった。
 和彦の動きより速く、その男のほうが茅舟に近づき、大きな足で踏みつけた。茅舟は男の足の下で呆気あっけなくつぶれた。
「ああっ――」
 和彦の口からめいがあがった。
 思わず、その男に武者ぶりついた。
 顔を殴られた。軟骨が折れたのか、鼻のあたりに激痛を感じた。さらに左膝の部分を大きな靴の先で蹴られて、和彦はその場に崩れ落ちた。
「和ちゃん、大丈夫か」
 すぐに源次が飛んできた。
 男の拳が源次の顔面を襲った。
 拳をかわした源次の右の貫手ぬきてが、男のあばらに食いこんだ。男は物もいわずに倒れこんだ。どよめきのような声が、残りの欧米組の間からあがった。
「大丈夫だけど、茅舟が」
 和彦はのろのろと起きあがった。
 全身が激痛に襲われていた。
 茅舟は……平たくつぶされて、提灯も破れていた。
「とにかく、後でな和ちゃん」
 源次はそういい、残る三人に向かってゆっくりと歩を進めた。大男の黒人が顎をしゃくった。二人の白人が胸元に拳を置いて源次の前に立った。二人ともボクシングのかまえだ。ステップを踏みながら源次に近づいた。ざかいをこえた。
 一人の男の突きをかわした源次の右手が、その男の喉元をつかんでうなった。瞬間、男は一回転して背中から地面に落ちた。後ろから、もう一人の男のフックが源次の脇腹を襲った。が、源次はかわしもしない。源次の防御は顔面と金的のみ。あとはすべて鋼鉄こうてつの筋肉が防いでくれる。
 源次の蹴りが倒れている男の脇腹に飛ぶ。男はすぐに静かになる。ゆっくりと源次が振り向き、後ろから攻撃した男の前に立つ。
 にまっと笑った。
 男の顔におびえが走った。
 源次が動いた。男のふところに飛びこんだと思った瞬間、男は崩れ落ちていた。どうやら、巨大な松ぼっくりのような源次の右拳が水月ストマックいたらしい。ぴくりとも動かなかった。
 残るはボビーという黒人の大男のみ。
 大男はおうちで源次を睨んでいる。
 信じられないという、驚愕の表情がしっかり顔に張りついている。無理もなかった。屈強くっきょうな白人の戦闘員が三人、呆気なく目の前の小男に倒されたのだ。おそらく、頭のなかはかなりの混乱におちいっているはずだ。
 五メートルの距離を置いて、源次と大男は向かいあった。大男の背丈は二メートル弱、源次のほうは百六十センチそこそこ。まるで大人と子供の闘いだった。
 大男は胸元に両の拳を構え、じりっじりっと源次に近づいた。両目に狂気があった。怒りは頂点に達しているようだ。それでも慎重に大男は源次に近づく。闘いのセオリーだけは忘れてはいない。
 が、源次はそんなものはお構いなしだ。
 ふいに大男に向かって突進した。
 頭から大男の懐のなかに飛びこんだ。
 それこそ、すっぽりと。
 とたんに、二メートル近い大男の体が宙に舞った。信じられない光景だった。懐に飛びこんだ源次が、首を代わりに全身のバネを使って大男をはねあげたのだ。
 宙を舞った大男は背中から地面に落ちた。
 さすがに気絶はしないで、手足をばたつかせている。大男の脇に源次が立った。ゆっくりとその場に腰を落した。左手で大男の手首を持ち、右ひざを大男のひじに当てた。ぐいと力をいれた。嫌な音が響いた。
 一瞬で大男の手首と肘の骨が折れた。激痛で大男は失神した。
 南米組から大歓声が湧きおこった。
 よほど嬉しかったのか、五人はその場で体をくねらせながら踊り出した。
 和彦の横には心配そうな表情の洞口と翔太がよりそい、両脇を支えて立っている。
「和ちゃん!」
 源次が走りよった。
「どうやら、膝のあたりの骨にひびでも入ったようだ」
「わかった。すぐに病院に行こう」
 叫ぶようにいう源次に、和彦は慌てて首を振る。
「俺には、行かなければならないところがある。病院はそのあとだ」
「行かなきゃならねところって。いったいどこへ行くつもりなんだよ」
 源次の顔に困惑の表情が浮ぶ。
「荒川につづく川だってよ。そこへ行ってこの茅舟を流すんだって。それも一人で行くんだってよ。誰の手も借りずに一人で」
 洞口が首を振りながらいった。
「一人でって、その体で一人で行くのか。歩けるのか」
「歩けるさ。歩かなきゃいけないんだ。一人で行って、一人で舟を流す。一生の願いだから誰もついてきてくれるな。頼むから」
 和彦はゆっくりと洞口と翔太の腕を両脇から抜いた。とたんに体中に激痛が走った。腕時計に目をやると十一時半を回っていた。はたして、十二時までに行けるものなのか。ぎりぎりの時間だった。
 それに行きついたとしても、踏みつぶされた茅舟が浮んでくれるかどうか。これも大きな疑問だった。しかし、行かなければならなかった。
 和彦はゆっくりと歩き出した。
 足を引きずりながら、ゆっくりと。
 歩くたびに全身がきしんだ。
 秋穂が怒っている。そう思った。これは天の罰だ。人非人の父親に対する罰なのだ。
「ごめんよ、秋穂……」
 呟きながら和彦は歩いた。
 どうやら、涙も出てきたようだ。
 和彦は、懸命に足を出した。         (つづく)