第十三話 女の国

 とあるすさんだ小さな港町の、夜の出来事。
 場末の酒場で、酒に酔った乱暴者が机に足を乗せると、ドスンと大きな音とともに机が真っ二つに割れた。彼の足には罪人の鉄球がつながれていたのだ。
 皆の注目を浴びると、鉄球の男は叫んだ。
「何でも、世界のどこかに、女しかいない女の国があるんだってよ!」
 酒場にいた他の男たちは疑いながらも興奮した。
「あるわけねえだろ、馬鹿、そんなの。女だけで、子どもをどうやって産むんだ!?」
 男は鉄球を膝の上に載せると、つばを吐き、それを大事そうに磨きながらこう返した。
「信じられねえかもしれねえが、永遠の命を持つから、子孫はいらないんだとよ」
「どうやって永遠の命を持ったんだ!?」
「何でも、生き物をそうさせる、不思議な秘法があるそうだ」
 そこにいるほとんどの男が外国で罪を犯し、この国に逃げてきた荒くれ者だった。彼らにとって、女しかいないと言われるその国は、夢のような国に思えた。
 他に楽しいこともないので、彼らは酔った勢いのまま船を盗み、海賊となった。しかもちょうど運良く、女の国の島に攻め入ることができる秘密の海路の情報も得た。女の国のうわさはあっという間に広がり、興味を持った他の海賊たちがどんどん集まった。
 船長のいない海賊なので、何度か仲間割れが起きた。一割くらいの仲間を海に放り投げたとき、海賊の船団が、とても寒い海域に到達した。女の国がある島の近くまでやってきたのだ。
 先頭の船に乗る鉄球の男が、海上を指差した。
「お、おい、海の上に女がいるぞ!」
 おかしな報告を仲間が確認しようとしたそのとき、空は肉色と化し、火の雨が降った。一方でひょうをはらんだ竜巻が起こり、船を次々と巻き込んでいった。
 さらに、鉄球に、無数の海鳥が、まるで磁石のようにびたびたとくっついた。どういうわけか鉄球そのものが、重さを増し、船底を突き破った。男はブクブクと海底に沈んでいった。
 こうして海賊の一団は、立て続けに起こった奇妙な現象で壊滅かいめつする。
「ま、魔女だ! 女の国は、魔女の国だったんだ!」
 誰もがそう叫び、女の国の海域に踏み入ったことを後悔した。
 幾十星霜、そんな事件が繰り返されてきた。


 秘密に包まれ、七人の魔女によって守られた女の国。
 この国は子を失った母の嘆きでできている。
 男の国の北に位置する女の国の島は、冷たい雨と雪が交互に降り続ける、大変厳しい気候の下にあった。
 そのため資源は少なく、また山々がつらなった土地が続き、劣悪れつあくな環境だった。
 女の国は谷あいにあり、女王が住まう城は蜂の巣のように崖を背後にして建てられていた。
 …………大変、静かな国だった。
 女王は城を解放し、国民のほとんどが城で暮らしていた。
 しかし〝動いている国民〟は魔女を含め数十人しかいなかった。彼女たちはただ静かに、そして質素に、その冷たい国で暮らしていた。
 時々外国からの攻撃を受けると、七人の魔女が出向き、この土地を守った。
 ただむなしくそれを繰り返した。
 この国は子を失った母の嘆きでできていた。




   美しい女性の子




 青年の母は、かつて世界一の美しさを持つ女性だった。
 彼女は、平凡な夫婦から生まれた非凡な存在。
 知識を楽しんで吸収する気質や、音楽の才能に言語の才能。
 あらゆる運動に適した筋肉に、その影ですら名画になりそうな体つき。
 人が欲するすべての価値を、あらかじめ与えられて生まれていた。
 しかし彼女はその美しさや才能に甘んじることなく、善良にして謙虚、さらに勤勉だった。
 やがて彼女は、一人の男性と結婚し、長男を授かる。
 その息子もまた、母親と同じ奇跡の美しさを持っていた。
 黒く長い髪に、手入れ要らずの眉。長いまつ毛が影を落とすとまさに母の若いころの姿とうり二つだった。
 そして母ゆずりの英知を受け継ぎ、大変賢く、また学ぶ心もあった。
 人に自然と優しくでき、両親を尊敬した。
 しかし彼には、一つだけ恐れることがあった。
 それは若いころの母の写真を見たことがきっかけだった。
 ……母は世界一の美しさを持っていたが、それは永遠ではなかった。人並みの美しさは維持していたが、年月とともに、彼女は当然、歳をとっていき、若いころと比べれば、そのちがいは一目瞭然りょうぜんだった。
 青年は自分もまた母親と同じように歳をとり、その美しさに陰りが見えることを恐れていた。
 だからこそ、彼は女の国と男の国にあると言われた負の秘法に、強い興味を抱いたのだった。


 ──美しい青年は故郷から遥か遠くに位置する、廃墟の大図書館にいた。
 母から聞いた曽祖父の物語の続きを追って、かつて女の国があったその島におもむいたのだ。
 容易な旅ではなかった。空路と海路を旅して五つの国を超えた。途中、突然の強盗事件に巻き込まれたり、悪天候によって足止めを食らったりして、やむなく違法な手段で入国することもあった。
 しかし同じ数だけ、親切な人々との出会いもあった。
 およそ二十日におよぶ旅の末、ようやくその島にもっとも近い港町に辿たどり着いた。
 昔は犯罪者が多く流れ着いた荒んだ町だったが、今では近隣諸国の良い影響を受け、すっかり安全な港町に生まれ変わったという。
 その町では、女の国の島の話を多く聞くことができた。
 の島は、希少きしょうな動植物が生息しているわけでも、息をのむような絶景があるわけでもない。
 現在は、どこぞの物好きな大富豪が領海ごと買い取り、管理している、と聞いた。
 港町には、島へ直行する大富豪専用の船があるという。
 誰も見たことのない大富豪であることから、青年はその船の船員に、自分こそ、その大富豪の使いだとうそき、島まで乗せてもらおうと思った。
 しかし、船の番人は青年の顔を見るなり、しゃがれた声で「おかえりなさいませ」と言って、あっさりと彼を船に乗せた。


 凍てつく海域に存在する雪の島だった。
 小さな係留所けいりゅうじょに、性別のわからない老人が番人をしているだけだ。それ以外、女の国の名残りらしき建物や住民の姿はなかった。
 そして島の番人もまた「おかえりなさいませ」と青年を出迎えた。青年は、訳のわからないまま、島の奥を目指した。
 係留所から一歩出ると、しんしんと雪が降る雪原が続いた。
 そもそもここには本当に女の国があったのだろうか?
 はたしてここには今も負の秘法はあるのだろうか?
 母が語った物語の続きの向こうには、何があるのか?
 やがて青年の抱く疑問が尽きかけ、手と足の指先に感覚がなくなったころ、大きな建物を発見した。
 巨大にして重厚な造りで、雪を羽織はおり、どこか偉大な文豪を思わせる。そんな大図書館だった。


 暗い館内に、ビュウと甲高かんだかい風の音が鳴り響き、大きな両扉の片方が開いた。狂ったように舞う白銀とともに、美しい青年が館内に滑り込む。
 天井を見上げると、銀世界から差し込む明かりが、窓を通じてわずかに館内を照らしていた。
 そこは男の国と女の国が分かれる前からあった図書館で、彼の国の男たちが優れた職人技術を有していたことがよくわかる造りをしていた。城を思わせる広さで、扉から柱、階段に至るまで、一つひとつが質素だが、悠久の時を超えてもその頑丈さは維持されていた。
 無数の本が青年を出迎えた。
 壁に埋め込まれた梯子状はしごじょうの棚には、薄厚雑多な書物が並べられ、いずれも長い時間、人の出入りがない様子でほこりをかぶっていた。
 奥に進むと左右に階段が見えた。上階への階段と、下階への階段だ。美しい青年は地下に進むことにした。彼が知る物語のお宝は、いつも地下にあったからだ。


 地下には小部屋しかなかった。礼拝室のような宗教的意図がうかがえる部屋で、壁には雨を思わせる印が描かれていた。
 美しい青年は、女の国が雨の教えを持っていたことを思い出す。
 その個室は、上階より静かに思われた。風が外壁を叩く音すらしない。目を閉じると、自分の鼓動こどうが聞こえた。
 靴が床を叩く音すら愛しく、青年は部屋の奥まで歩いた。
 部屋の奥の壁にはくぼみがあった。指四本ほどが入る横長の窪みだ。彼は、そこに手を入れてみた。
 すると岩同士をこする音とともに、壁の一面が移動し、さらなる隠し部屋が現れた。
 青年は、隠し部屋の存在よりも、窪みの大きさが青年の指先とぴたりと合うように造られていたことに驚いていた。
 隠し部屋を進むと、さきほどの個室と同じくらいの部屋がいくつか連なっていることがわかった。
 壁に並べられた本は、神獣しんじゅうの居場所から王族の裏帳簿まで、あらゆる秘密が記されたものだった。大図書館の出入り口付近にあったいずれの本よりも遥かに歳をとり、厚く、そして難解な内容だった。
 小さな机と小さな椅子が点在し、割れた皿が床に転がっていた。人が生活していた形跡だった。
 一部の本の背表紙をよく見ると、人の手形の跡があった。合わせてみると、青年の手の形とよく似ていた。
 固い唾を飲み込み、青年はもっとも奥の部屋に入った。
 その部屋は少し特別な造りで、四つの小さな台座と、部屋の中央に大きな台座があり、博物館の展示物を思わせた。
 手前の二つの台座にはそれぞれ、青年の親指ほどの大きさの〝極光色に輝く宝石〟と〝罪人の仮面〟があった。
 奥の二つには、〝無数の手書きの書類〟と〝一冊の本〟があった。
 しかし青年はそのどれよりも、中央の台座に安置されたその存在に目を見張った。
「……母さん?」
〝それ〟は、はじめ生きた人間かと思ったが、間もなく女性の遺骸いがいだと気づく。
 新生児のようにうずくまり、安らかな寝顔でほおを台座につけていた。生命感はないが、ついさっき息を引き取ったかのような、一種のぬくもりすら感じさせた。
 そして、その容姿は恐ろしいほど美しく、青年の母の若かりしころの姿に、よく似ていたのだ。
 青年は、それから、奥の台座にあった手書きの書類をめくった。その遺骸について書かれていると思ったのだ。
 しかし文章は見たことのない文字で書かれ、読めなかった。
 分厚い本のほうもめくってみる。今度は知っている言葉も並んでいた。読んでいくうちにそれは翻訳書であることがわかった。
 青年はその場に座り込み、夢中で、翻訳書と、手書きの書類を交互に読んでいった。
 やがて、まずその本のほうは、曽祖父が書いた、故郷の国とこの国を繋ぐ翻訳書であることがわかった。
 そして手書きの書類は、涙屋の老人が書いた、涙の秘訣だった。涙の秘訣の内容を読んでいくうちに、青年は鼻の奥にツンとした刺激を感じた。そして半分ほど読んだところで、そっと涙の秘訣を元の場所に戻すことにした。自分が読むべきものではないと判断したのだ。
 しかしそのころには、彼は自然と、この国の言葉を文法から発音に至るまで、ほとんど覚えてしまっていた。
 次に彼は、罪人の仮面に触れた。思ったよりも軽いが、窪んだ跡があった。母の物語が正しければそれは銃弾を受けた跡に思えた。
 それから青年は仮面片手に、遺骸の前に立った。
 灰色の肌と頭髪。幼げな寝顔に埃がかかっていたので、そっとそれをはらってやった。
 すると、目に乾きを感じた。さらに青年の周囲では壁を形作る煉瓦れんがから灯火に至るまで──辺りのすべてがぐるぐると回転していた。




   美しい青年、煤まみれ、よだれ




「お前は誰だ? 何故、彼と同じ仮面をかぶっている?」
 美しい青年にそう問いかけたのは、一人の女だった。奇妙なことに、彼女は顔にすすっていた。
 彼女の後ろには「しゅ、しゅ」とつぶやく小さな少年もいる。
 美しい青年には訳がわからなかった。
 あの遺骸に触れた瞬間、異変が起きたのだ。
 目にわずかな痛みを感じ、すべてが歪んで見えたので、思わず手に持った仮面を顔につけた。
 気がついたら──先ほどまでいなかったはずの煤にまみれた女と、寝たきりの男、さらには小さな少年が突然現れたのだ。
 青年は、さきほどから一切移動していない。今までいた部屋と同じ部屋にいた。
 顔に煤を塗りたくった女は、大きな台座のほうを見つめて言った。
「あれに触れたのだな?」
「あ、ああ」と美しい青年が正直に答える。
 しかし、どういうわけか、あの遺骸は今、こつ然と消えていた。
「仮面を外せ」
 青年が仮面を外すと、彼女は「ほう」と呟き、その顔をまじまじと見つめた。
「妙に似ている……ここに来たのには目的があるな?」
 それから美しい青年は、ここに来たいきさつを語った。
 ──話を聞き終えると、女はぶつぶつと呟く。
「やはりあの女性の息子……そうか、魔王か……」
 青年には女が言っていることはまったくわからなかったが、彼女は「心配するな」と言って、こう説明した。
「わらわには、お前を導く義務がある。お前の話が本当なら、お前の両親は、わらわの恩人だからな」
「恩人?」
「順を追って説明する」と言って、彼女は天井を見上げた。
「ここはお前が知る大図書館で間違いない。ただし、お前からすると遥か過去の大図書館だ」
「それは、つまり」と青年が言うと、彼女は大きく頷いた。
「そうだ。女の国の領土内であり、今からすると、男の国が滅びたのは一カ月前だ」
 美しい青年は、小さな少年を見つめた。
「じゃあ、この子はもしかして、よだれ?」
「しゅっ」とよだれは返事した。今は床に座って本を開いている。
 よだれは言葉こそ独特だが、煤まみれの言葉や青年の言葉をよく聞いていた。物語で聞くより、聡明そうめいさと、どこか品位を感じさせる少年だった。
 青年は、さらに部屋の奥に眠る一人の男を見つめた。
「それじゃあ、彼は、もしかして、真実の、仮面の……?」
「そうだ。お前からすると曽祖父だったな。銃弾を受けたが、仮面のお陰で一命を取り留めた」
 しかし、今は「うぅ」と苦しそうにうめき、起き上がりそうになかった。煤まみれはこう続けた。
「だが体調が急変した。今は頭部の悪いところを宝石病に犯され、一日の大半、眠ることをなくされている」
「彼が、宝石病に?」
 確かに真実の青年の右半身には、赤黒い石がかさぶたのようにこびりついていた。それは松明の明かりによって、ぬめぬめとした妖艶ようえんな輝きを放っていた。
 どうやら煤まみれとよだれは、この一カ月間、真実の青年の看病をしていたようだ。
 美しい青年はおもむろにいた。
「それじゃあ、涙屋は?」
 煤まみれは首を横に振って、手のひらを差し出した。
 そこには大きく白い、一層きらめく宝石があった。
「獣の森で体力が尽き、息を引き取った」
 青年が大きく呼吸した。小さな悲しみと大きな驚きを抱く。
「……会ってみたかった」
 と素直な気持ちを呟くと、煤まみれも残念そうに言った。
「彼はもともと宝石病だけでなく、いくつかの病魔に侵されていた。あの歳まで生きたことそのものが、奇跡と言っていい。死ぬ苦しみに段階があるのなら、もっとも安らかに息を引き取った」
 次に、青年はさらなる疑問を訊いた。
「それじゃあ、今、男の国の状況はどうなってるんだ?」
 煤まみれは、黒い顔を天井のすみに向けた。その方角に男の国があった。
「戦争と呼ぶのもためらうような、一方的な戦いだった」
 それから男の国のその後について語った。


 七人の魔女のうち、柘榴ざくろ色の魔女は涙屋の矢によって倒れ、象牙ぞうげ色の魔女は数名の兵士の犠牲のうえに、鼻たれの怪力によって自慢の足をへし折られる。
 こうして二色の魔女を倒すことには成功したが、残りの魔女もいよいよ本気で襲いかかり、男の国の兵団の隊長である鼻たれは、昆虫による猛毒で意識が朦朧もうろうとするなか、氷をはらんだ竜巻によってついに吹き飛ばされてしまう。
 良き友の王は、兵たちに銃を持たせ、戦いを続けようとした。
 しかし、涙屋があらかじめ、鼻たれを通じて、側近の兵士に銃を海に捨てるよう命令していたため、男の国は、戦闘の続行ができなくなる。
 総理大臣が女の国に交渉を持ちかけるが、女王はこれに一切の反応を示さず、その間も竜巻が家屋を破壊し、昆虫が男たちを襲った。
 王は城の深部に隠れていたが、鼻の利く魔女によって見つかり、身柄を拘束。こうして総理大臣は、泣く泣く、女の国に、全面降伏した。


 ──煤まみれは結びにこう言った。
「良き友の王も総理大臣も、女の国の女王に捕まった」
 美しい青年が何も言わずにいると、彼女は続けた。
「涙屋の尽力と良き友の王の野望で、せっかく開国したが、女の国の恐ろしさを諸外国に知らしめる結果となったな」
「……一体、どこから間違えて、こんなことに?」
 残念そうに声を沈める青年に、煤まみれは棚から一冊の本を取った。それをめくると、髭を生やした大柄な男の絵を青年に見せた。
「すべては砂漠の大国、第二皇子の不信から始まった」
 青年は本を受け取り、大柄な男の絵を見つめる。
 それは砂漠の大国の、大王の姿だった。
「不信?」
「そうだ。兄をはじめ家族はおろか、人すらも信じることを辞めた、愚かな第二皇子……」
 美しい青年は、その本を読み進めた。


 ──砂漠の大国の第二皇子。
 彼は、無数の果実が成る大樹のごとき才能とともに生まれたにもかかわらず、物心つく前から劣等感を抱いて生きた。無理もなかった。毛髪の量、身体の大きさ、母乳を飲む量、物を覚える早さに至るまで、数日早く生まれた腹違いの兄と、常に〝比べられること〟が彼の運命だったためだ。
 そのすべてにおいて、第一皇子が勝っていた。
 そんな第二皇子の唯一の味方は母親だった。
 母親は学者の娘で、明るく賢い女だった。王にめられ、第二夫人として宮廷に入り、第二皇子となる子を授かった。
 彼女は決して、他の子とわが子を比べなかった。わが子にはわが子にしかできない使命があると信じ、卑屈ひくつな考えをとがめた。
 ところがある不幸をきっかけに、第二皇子は、母の教えすらも疑うようになる。
 刃のように鋭い三日月の夜のこと、第一夫人と第二夫人が、同時に、病に倒れたのだ。海からやってきた奇病、宝石病が原因だった。
 しかし、王は第一皇子の母の側につづけた。
 国の医師にも為す術なく、やがて同じ日に、第一夫人と第二夫人の全身は硬い宝石となり、二度と息を吹き返すことはなかった。
 そして王は、とうとうひと目も、第二夫人のことを見舞わなかった。
 第二夫人は、半身まで宝石が及んだとき、息子にこう残した。
「腹違いの兄を支え、仲良くするように」と。
 しかし第二皇子は母の言葉を間違ったかたちで解釈する。母までも、腹違いの兄にこびを売るように、と言っているとしか思えなかったのだ。
 加えて、もっと自分のことを褒めたり、いたわったりして欲しかった。
 そしてすべてを呪い、強烈な劣等感を抱く。


 正妻の側室を失った父王は、二人の皇子を甘やかした。
 兄の皇子は町に出ると悪童を集め、黒獅子と名乗るようになる。一方で、弟の皇子は父王のそばで国務に励んだ。
 二人の皇子が成長したある日、弟は兄の弱みを握る。
 それは兄の妻たちの間でささやかれた噂だった。
 兄は、年ごろになっても、子ができない〝種なし〟という噂だ。事実、兄には多くの妻がいたが、子は一人もできなかった。
 それから弟は、父王にさらに取り入るようになった。
 自分こそ、この国の次期大王にふさわしく、そして兄には子を残す力がない。そう言い続けた。
 父王は徐々に第一皇子への興味を失っていった。
 そして第一皇子が、秘法に魔女を近づけさせた事件を機に、とうとう第一皇子を国から追い出してしまう。
 第二皇子の彼は大王への即位が約束され、こうして数年後、国にあるすべての権威を手に入れた。
 新しき大王は、卑屈なうっぷんを一気に放出するかのように、独裁的な支配者となる。
 民衆に重税を課し、大人を労働力や生産力といった国のための道具と見なし、過重な労働を要求した。
 隣国に無駄な争いをしかけては捕虜を人質に身代金を取り、国教を利用し、侵略を聖戦と称して略奪を行った。
 さらに大王は、国の秘法を利用し、永遠の生命を持つようになる。その力を利用し、民衆にも永遠の生命を与えて重労働を強いた。永劫な時は人の意志や記憶をにぶらせた。
 こうして彼は、この国のすべての栄華を手に入れた。
 だがそれだけでは飽き足らず、さらなる領土を手に入れようとした。彼は恐ろしく強欲で、慎重。何より獲物を確実に仕留められるまで待ち続ける獣のような忍耐強さを持っていた。
 大王は、負の秘法を、とある平和な国に送った。
 彼の国が、秘法によって、女の国と男の国に分かれ、ゆっくりと衰退すいたいしていく様を、大王は酒の熟成を待つように辛抱強く、そして楽しみに眺めていた──。


 ──美しい青年は思わず本を閉じた。
「すべては、涙屋の弟の、大王が仕組んだ物語……」
 煤まみれが頷く。
「そうだ。大王の、母親の言葉に抱いた不信から、すべてが始まった。それが原因で、女の国と男の国は、雨の教えを信じる女たちと、曇りの教えを信じる男たちでわかれ、宝石病、負の秘法、捕虜の問題から鎖国の問題に至るまで――すべての不幸が始まった」
 彼女は大きく呼吸をすると、西のほうをにらんだ。
「男の国は滅んだが、女の国もとうに疲弊している。さらに二人の魔女が欠けた今、砂漠の大国がいつ攻めてきてもおかしくない」
 青年は頭を整理させるためにこう訊いた。
「あなたも、魔女?」
「そうだ。わらわの正体は、黄金の魔女王。善玉の魔女だ」
 彼女は、すべての力を秘法に吸収され、煤まみれを名乗っていた。
 そう説明すると、煤まみれは大図書館の隠し部屋を見回した。
「外のことに関心なく長年利用してきたが、奇しくも、わらわの隠れ家であるこの大図書館は女の国の領土にあった」
 青年は少し考えてから、遺骸があった台座のほうを見つめた。
「力を吸い取られても、あの遺骸の力を利用して、ここに?」
「そうだ。そして女の国の城に、使用人として忍び込んだ」
 青年は疑問を呟く。
「できたのか、そういうことが?」
「秘法の影響で皆記憶が曖昧あいまいだ。煤を顔に塗りたくり、知り合いのふりをすれば容易たやすかった」
「一体、何のためにそこまでして?」
「二つに分かれた負の秘法を両方破壊するためだ」
 そう言って見せたのは、あの極光色に輝く宝石だった。
「唯一の光明である真実の矢は手に入った……涙屋が宝石となった、その一部だ」
 まるで涙屋の生きた歴史が凝縮されたような光輝く結晶だった。
 青年は真っ先に脳裏に浮かんだことを訊いた。
「秘法を破壊すると、永遠の命を得た人々はどうなる?」
「身体の年齢の半分の寿命を生きることになるが、人間らしい人生を取り戻す」
 青年はいろいろと思考を巡らせながら、部屋の中を見回した。
間もなくさきほど抱いた疑問を思い出す。いくら見回しても、美しい青年の母に似たあの遺骸がどこにもなかったのだ。
「それで、あの遺骸は今どこに?」
「盗まれた」
 そう言う煤まみれの目は細く、声にはくやしそうな念がこもっていた。
「一体、誰に?」
「虹色の魔女だ」
「虹色の魔女? 女の国にいる魔女の一人か?」
「そうだ。七色の魔女を束ねる親玉の魔女だ」
「一体、どうしてあの遺骸を?」
 謎の遺骸について、煤まみれは少し考えてからこう答えた。
「あの遺骸の女は、かつて白銀の魔女と呼ばれた存在だ」
「白銀の……魔女?」
 煤まみれは、訴えるように、青年に悲しい目を向けていた。
 しかし彼に、そんな魔女の心当たりはなかった。
 間もなく、煤まみれは慎重な様子でこう切り出した。
「今からするのは、お前の出生に、よく関わる話だ。お前はもちろん、お前の両親すらも知らないだろう。だが恐らく、お前はそれを知るためにここへ来た」
 青年にとって予期しなかった話だが、彼が人一倍、先祖や、自分自身に興味があることは間違いなかった。なぜなら、彼は言いようのない、空白を抱えていたからだ。
 その空白とは、行ったことのない情景にかんを抱いたり、聞いたことのない物語に聞き覚えがあったりすることだった。
 また生まれてからあらかじめ決められたように、覚えのない知識が、自然と備わることもあった。
 極めつけはこの時を超えた旅だ。
 時をさかのぼり、自分が生きる時代から過去にやってきたにもかかわらず、不思議と大きな驚きがなかった。
 まるで手の甲をつねるほど日常的に感じたのだ。
 数秒の沈黙の後、煤まみれは棚からさらに一冊の本を取り出した。
 それは魔王という存在を書き記した本で、挿絵に描かれた黒髪の魔王は、美しい青年によく似ていた。
 青年が覚悟を込めた瞳で大きく頷くと、煤まみれは、声を低くくし、一つひとつの言葉に重みを込めてこう語った。
「他者から王と認められた者、あるいは絶望を知って魔女になった女は、神秘の奇跡と呼ばれる不思議な力が備わる。それらと同じように、神秘の奇跡を操る、迷子の魔王という存在がいた。あらゆる時代に現れ、人に悪さをする、家路を失った鬼の子と言われた存在だ。しかしその正体は、とある美しい女性が産むはずだった、流産した赤子だった」
 唐突な話だったが、青年は固唾かたずを飲んで聞き入った。
「流産させたのは……黄金の魔女王だ。その後、お前の両親の許しを受け、改心した……」
 小声だった。彼女は申し訳なさそうに、さらに声を低くして続けた。
「ところが、生まれることができなかった赤子と、美しい女性の願いに、月に住む霊王が興味を持ち、勝手に願いを受け入れ、子にかたちだけ与えた。その王の存在そのものも、負の秘法だった。そのため彼は『わがままとも言える利己的な願いを叶えてしまう』、という誤った存在だった」
 彼女は本をめくりながら語った。
「そんな負の秘法によって、死の運命から、いたずらに生を受けたのが魔王だ。魔王は人間の手前の存在であり、迷子でい続けなければいけなかった」
「迷子で、い続ける?」
 青年の疑問に、煤まみれはこう答えた。
「負の秘法が叶える願いに、幸せなどない。魔王は人間の手前、不完全な存在であり、迷子をやめて家に帰り、家族とともに過ごすことが死ぬことと同じ。そういう宿命を背負わされて生まれたのだ」 
 そこから一転し、彼女の声に熱がこもっていく。
「黄金の魔女王は改心してから、償いのために魔王を人間にする方法を探す旅に出た。そうして遥か未来の世界で出会ったのが、白銀の魔女だ。彼女は伝説の美しい女性、つまり魔王の母親の髪の毛によってできた複製だった。わらわたちは霊王に謁見えっけんし、選択をした」
 美しい青年は拳を強く握り、煤まみれの次の言葉を待った。
 彼女は深い呼吸をしてから、美しい青年の出生の真実を語った。
「魔女の選択とはこうだ。魔王を人間にする代わりに、白銀の魔女は、色を捧げた。魔女の色とは姿かたちを司る。彼女は、お前の母親として、お前を人間として生まれ変わらせる器になる道を選んだのだ」
 青年の心に大きな衝撃が走る。信じられない話の連続だが、彼女が嘘を言う理由もなかった。
 煤まみれは青年を真っ直ぐに見つめて言った。
「美しい女性は二度目の妊娠で、お前を産むことに成功する」
 青年が自分の腕を強く握る。その様を見て、煤まみれは言った。
「その肉も、感覚も、もう一人の母である、白銀の魔女が与えたものだ」
 青年の力が思わず緩む。彼は自分の腕をでてから、まずこう訊いた。
「じゃあ、あの、遺骸は?」
「あの遺骸は触ることこそできるが、彼女の残り香、あるいは力そのもの。だから触れた者に、時代を超えさせる神秘の奇跡を与える」
 煤まみれがした魔王と白銀の魔女の物語は、彼の想像を遥かにしのぐものだった。だが一方で、ずっと抱いていた空白にピタリと符合ふごうする説得力があった。
 それから煤まみれは、真実の青年のほうを見つめて言った。
「お前が来てくれた今だからこそ、できることがある」
 美しい青年が注目すると、彼女はある目的を語った。
「このままでは、お前の曽祖父であるこの男は死ぬ。さらには女の国もまた、砂漠の国の大王率いる大軍によって支配されようとしている」
「……どうしたらいいんだ?」
「有能な医者が女の国の城にいる。彼女に会う。手を貸せ」
 青年は深呼吸をしてから一歩後ずさりをした。
「けど俺も彼も、男で、女の国には恐ろしい七人の魔女に加え、その虹色の魔女までもがいて、あんたは魔女の力を奪われているんだろう? どうするんだ?」
 煤まみれは本棚を見つめ、ある一冊の本に注目した。
 それは、とある豊かな国の偉大な王について綴った本だった。
「昔、必勝の神秘の奇跡があると言い張り、強力な魔女に挑み、打ち勝った王がいた。しかし、実際、必勝の力など存在しなかった」
 次に彼女は、美しい青年を真っ直ぐに見つめる。
「勝利への確信が、その王にまさかの力を与えた。神秘の奇跡、すなわち魔女の力であろうとも、普通の人間が抱く勇気や確信とそう変わらないといういい例だ」
 青年には、煤まみれの言葉の意味がわからなかった。しかし彼女は構わない様子で、出入り口のほうを睨むと、力強い声で言った。
「魔女の力がなくても、わらわには確信がある。真実の青年が助かり、虹色の魔女は敗北する、という確信がな」
 こうして一行は、女王がいる城を目指すことになる。
 しかし、その間には七人の魔女を番人とする七つの関所があった──。