第十一話 彼の偉業、王の野望

 開国を迎えた男の国。
 期待に胸膨らませる者、いつものように仕事に打ち込む者、何が起きたのか、何が起きるのか、理解できない者、皆さまざまでした。
 開国を迎えてからのおよそ三週間は、代弁者をはじめとする城の者にとって、まるで暴風雨にそうぐうし、波浪にほんろうされ続ける船のような日々でした。
 数えきれないほどの船が男の国の港を埋め尽くし、あらゆる国の、あらゆる職業の者が、男の国に入ってきました。
 真っ先に、男の国に銀行ができました。
 比較的数字に強い人間が集められ、彼らは国の財政を管理する役職と、銀行での勤務を命じられます。
 他の国の銀行員をしょうかんし、彼らの国のやり方を参考にすると、国が保有する金銀、宝石などから国の資産が計算され、その分だけの通貨が発行されました。紙幣には複製を防止するため、良き友の王の満面の笑みがしゃされることに。
 国民には財産に応じて通貨が交換され、仕事に応じてほうしゅうは紙幣となります。同時に物品による年貢制が、税金を納める制度に変わります。
 貨幣の存在に困惑し、不安を抱く者が多く、よくわからないまま、紙幣あるいは自分の宝物を引き出しの奥にしまう者もいました。通貨が流通し、せいにその効果が行き渡るまで、まだ少し時間が掛かりそうです。しばらくは物々交換を継続していました。
 また、開国したことにより外国からの宣教師も多くやってきます。
 多くの宗教とその宗派が男の国に入ってきますが、なかでもまたたく間に国民の多くの興味を引いたのが『晴れの教え』でした。
 その教えは、雨と曇りの教えを合わせたような教えで、自分のことも、周りのことも愛する教えでした。後に、国民のほとんどがその晴れの教えを信じるようになります。
 男の国は多くの宝石(山脈から発掘したもの)を保有していたので、それを使ってあらゆる輸入品を買い入れるようになります。
 そのすべての検閲の中心に、白い髭の代弁者、あの涙屋が関わりました。何故なら、彼は世界でもっとも多くの国の言語を知る人物だったからです。
 男の国に入ってくるあらゆる国の宣教師、商人、記者、有識者と、涙屋は会話することができました。
 こうして涙屋は、人はもちろん、物品や情報の整理に日々追われることになります。


「できました!」
 開国から数週間したある日のこと、仮面の青年の嬉しそうな声が、王の間に響きます。
 そのときはちょうど、涙屋と代弁者と王による会食の時間でした。
 背の低い代弁者はムッとしますが、王と涙屋はとして青年を迎えます。
「おお、ついにか」
 青年が王に差し出したのは、一冊の本でした。
「はい、僕の母国と、この国の言葉をつなげる翻訳書です。全体で三冊を予定しており、これはまだそのうちの一冊ですが」
「ほうほう」と王は本をめくります。丁寧な手書きの文字が並んでいました。
「苦労しただろう。どんな工夫をした?」
「はい、はじめは部屋に引きこもって制作していましたが、どうにも悩ましい言葉の選択が出てきて、そのうち外に出て、あらゆる人に相談しました」
「ほう」と王も感心した様子です。
 青年は続けました。
「そうやって、わからない言葉や、難解な表現は、城の人たちに相談して決めていきました」
 涙屋に本が回され、彼も本の内容を確認します。
「うむ、多くの人間に相談したのだろう、この短期間でよくできている。これがあれば、君の故郷とこの国において、多くの人が、迅速に、言葉の壁を超えられる」
 それは新たな工夫によって、最低限の暗記で、複数の言葉の応用が利くことを教えた機能的な翻訳書でした。
 王は満足そうに言います。
「よくやった、ご苦労だったな」
「はい、引き続き打ち込んで参ります」
 王に褒められると、青年は満足そうな顔をします。
 そしてしゃくして、背中を向けようとしました。
 すると「まあ、待て待て」と王が青年を呼び止めます。
「じつは、大事な発表がある」
「大事な発表?」と青年は涙屋を見ます。
 しかし涙屋は首を傾げ、代弁者を見ます。
 ところが代弁者もまた首を傾げます。
 王は代弁者の横に立つと、彼の両肩に手を置き、こう言いました。
「今日より、この背の低い代弁者を、この国の特別総理大臣とする」
「へ?」と代弁者が間抜けな声を上げました。
 涙屋は眉をしかめて王に確認します。
「それは、つまり?」
「開国に伴い、この国の多くの体制が変わる。我輩は王であるが、政治と軍については、この総理大臣にすべてまかせたい。それに伴う権限はすべて与えるつもりだ」
「わ、わ、わた、わたしが、そ、総理大臣ですと!?」
 涙屋と青年がぜんとするなか、背の低い代弁者、もとい総理大臣がもっとも驚いていました。
「そうだ。任命式は後回しでいい、君は今、この瞬間からこの国の総理大臣だ」
 涙屋が一歩前に出て尋ねます。
「王よ、何をお考えで?」
 王は笑顔で答えました。
「さっきも言ったろう。この国はどんどん変わっていく。そのために国を動かす、優れた新しい指導者が必要だ」
 王の言葉に、元代弁者の総理大臣はもっと気分を良くしています。
 青年も率直な疑問をつぶやきました。
「では、これから王は何をするのですか?」
「必要に応じて、今までどおり国内の視察を行ったり、重要な政治的判断の際には顔を出すが、主に諸外国との外交に意識を集中させようと思うのだ」
「外交、ですか」と青年。
「そうだ。今までの鎖国の期間を取り戻すためにも、君の故郷はもちろん、あらゆる国と絆を強めるべきだと思う。王族というこの立場は、特に向いていると思うしな」
 青年は目を輝かせましたが、涙屋は顔をくもらせています。
二人が何も言わなくなると、王は再び総理大臣の両肩に手を置き、うわづかいで涙屋を見つめます。
ごく自然な任命だ。相談しなかったのは悪かったが、相談したところでこの意思は変わらなかった。それにほら、我輩が外国に出たほうが、開国に反対だった総理大臣君の想いにも報うことができるじゃないか」
 何とも言えない雰囲気のなか、ただ料理が冷めていきました。


 ──その日の晩。青年が涙屋の部屋を訪ねます。
 二人きりで会うのは数週間ぶりのことでした。
 ギイという木がれる音とともに「失礼します」と青年。
「ああ、その辺に掛けてくれ」
 と、涙屋は机に向かったまま動きません。
 青年がのぞき込んで見ると、机の上には五冊の本が同時に開かれていました。涙屋はさらに六冊目の本に何か書き込んでいます。
「とある国では、雨がまないそうだ」
 涙屋は独り言のようにポツリと、そう言いました。
「雨が止まない? どのぐらい止まないのですか?」
「すでに数年、止んでいないという」
「あり得るのですか、そんなことが?」
「実際にあると記述があるのだから、それを前提に話すしかない」
「何があって、その国はそうなったのです?」
 涙屋は小さく髭を揺らすと、筆を走らせながら雨の止まない不思議な国について語りました。
「それまでその国は日照り続きだったが、それが原因で民衆が暴徒化し、その国の王と王妃を襲った。そして王妃の死から雨が降るようになったそうだ」
 青年は思いついたことを言います。
「もしかして、その王妃は魔女だったのでしょうか?」
「わからない。けれど、それから何をしても雨が止まなくなったそうだ」
 青年は再び机の上を覗きます。
「それで、あなたは今何をしているのですか?」
 五冊の本と、六冊目の本。涙屋はそのうちの一冊に手を置きます。
「歴史の上では、時々、世界中のあらゆる国で、似たような奇跡が起きている。その多くに、その国の王族や、指導者が関わっている」
「王族や指導者?」
「多くの者に愛された者、あるいは恐れられた者が、時に不思議な力を持つという」
 涙屋は本をめくり、一部を青年に読み聞かせました。
 太古の昔、しゃくねつの罪人の島には火の海を呼ぶ鬼の王と、癒しの力を持つ聖人がいたこと。
 数年前の、とある国では怪力を持つ兄と正義感の強い弟の双子が生まれたこと。
 さらには時代の時々に現れては人をさらう魔王という存在。
 涙屋は青年にいくつかそんな話をすると、こう続けました。
「あたしゃ、そういった不思議な力を〝神秘の奇跡〟と名づけようと思う」
「神秘の奇跡?」
「ええ。神秘にして奇跡、奇跡にして神秘。王と呼ばれる存在に発症する不可思議な力です」
 青年は机に並んだ本を覗き込みます。
「じゃあ、ここにあるのは、その神秘の奇跡の事例なんですね」
「うん。興味深いので、暇な折にまとめてみようと思いました」
 そう言いつつ、その日の作業を終え、涙屋は眼鏡を外して青年のほうに顔を向けました。
 やや疲れた様子ですが、白雲のような髭はふわりとし、目つきは厳しく、その様子は白き老師子を思わせます。
 青年は絵本を読んだ後のような、ふわふわした不思議な気持ちを抱いていましたが、それを振り切るように大きく息をすると、こう切り出しました。
「今日、王が言っていた、代弁者を総理大臣にするという話。あれはいったい、何だったのですか?」
 涙屋はがしらを強く押さえて言います。
「まだわからない」
 青年はかすように涙屋に言います。
「けど代弁者が偉くなってしまいました。偉くなったら、きっと私利私欲に走り、この国を悪い方向に向かわせるに違いありません」
 涙屋は背もたれによりかかり、机に肘を載せます。
 その様子はまるで学者でもあるかのようで、ハッキリとした口調がそれをさらに印象強くするのでした。
「彼はかいらいだろう。まさに代弁しか能のない男だと思う。肩書で人が変わることは確かにある。けれど、少なくともあの二人の関係は、肩書では変わらないでしょうね」
「代弁者が総理大臣になっても、代弁者は王の言葉の代弁者、ということですか」
「まあ、そんなところだろうよ」
 涙屋は一見、この国に興味がなさそうに見えますが、同時に、すべてを見通しているようにも見えます。
 青年は、また何を言っても、自分で考えるよう仕向けられるとわかっていたので、今度はじっと、無言で待っていました。
 そんな青年の気持ちを台無しにするかのように、涙屋はおもむろにこう言いました。
「それより、久しぶりに素顔を見せてくれないか」
 青年は不思議に思いましたが、静かに仮面を外します。
 涙屋は青年のほおに手を置きました。
「こんなにやつれて。ちゃんとご飯を食べているのか?」
 青年の頬はこけ、目もとはくぼんだようにすら見えます。
 唇はかさかさに割れ、顔は真っ青で血の気がありません。
「僕は大丈夫です」
「若いから無理はできるだろうが、生き急ぐな」
 青年はごくりと、硬いつばを飲み込みました。喉に痛みが走ります。それが唾なのか、赤い宝石なのか、わかりません。
 彼は真実を飲み込み、別の真実を語りました。
「今しなければいけない気がするのです」
「翻訳の本のことか? どうしてそう思う?」
「いつか、必ず誰かの役に立つ気がするのです」
「王に、他に何か言われたのか?」
「いいえ、王の指示はきっかけにすぎません。今しなければいけない気がする、僕がしなければ、誰もできない」
 青年は再び言います。
「遥か未来、あの本が、誰かの役に立つ気がするのです」
 青年の瞳がキラリと光り、強い意志を感じさせました。
 しくもその決意は、涙屋が行う〝涙の秘訣の執筆〟に似たものでした。
「……使命を見つけた若者もまた、神秘の奇跡に匹敵する力を持つのかもしれないなあ」
 涙屋はそんなつぶやきの後、大きく溜息をき、こう続けました。
「なら、存分に、やり遂げなさい」
「はい」と答える青年。
 王が代弁者を総理大臣にしたのはなぜか――という疑問への答えとしては判然としませんでしたが、青年は涙屋と話す度に、自分が成長できたような気がして、晴れ晴れとした気持ちで部屋を後にしました。


 明くる日の夕方のこと、涙屋は小さな悪い予感を抱いていました。
 この日彼は、男の国に入ってくるあらゆるものの検閲に追われていました。
 その忙しい最中、今朝見た一隻の奇妙な船のことが気になって仕方ありませんでした。
 その船は前の晩船着き場でとうびょうを済ませると、積み荷を下ろすわけでもなく、夕方までただ浮かんでいるだけだったのです。
 船員のほとんどが船から降りるわけでもなく、見張りらしき船員が、酒を飲んでただじっと港で往来する人々をにらんでいるのです。
 貨物船として入国しているのですが、まるで軍艦のような気配です。造りがとても頑丈そうで、どうにも危険な雰囲気がただよっています。
 涙屋は、部下に確認させました。するとその船は、遠い国から香辛料を運んでくる船とのことでした。
 大事な業務を終えた夕方、涙屋はその船の船長を捕まえました。船長は黒々とした毛髪に、かっしょくの肌の、ギョロリとした目をした中年の男でしたが、常にどこか怯えているように見えました。
 しかし奇妙なことに、船長は自ら涙屋にこう言いました。
「あなたが、ダイベンシャという、この国の偉い人でしょうか?」
「はい、そうですよ」
 と涙屋はなるべく温和に対応しました。
「女がいると、何が広がる?」
「はい?」
 船長は突然、不思議な質問を繰り返しました。
「女がいると、何が広がる?」
 涙屋はすぐに気づきました。それは秘密の合言葉でした。
 しかし物知りな涙屋でも、その答えはわかりません。
「一体、どういうことですか?」
「あ、いや、その」
 何とも言えない気まずい空気が流れます。船長が一歩後ずさりします。
 涙屋も思わず足に力を込めた、そのとき、
「やあやあ、この船はわたしが監査しよう」
 背の低い総理大臣が現れました。
 二人には気さくに声をかけてきましたが、はあはあと息を荒げ、慌てた様子でした。
 船長は、小さな総理大臣にあの質問をします。
「あ、あー、あの。女がいると、何が広がる?」
 すると総理大臣は「こほん」と咳をしました。
「悪口が広がる」
「ああ、よかった。ホッとした」
 総理大臣は涙屋に振り返ると、どこか得意気に言うのでした。
「ここはわたしが仕事してやるから、さあ、行った行った」
 涙屋は眉をひそめます。
「積荷の中身は? 一体どうしてそんな合言葉を?」
「中身は砂糖だ。希少で高級なやつだから、入念な確認を必要としているだけだ、と王より聞いている」
 そう言って、総理大臣は涙屋を追い払いました。


 怪しく思った涙屋は、深夜、青年を連れて船に忍び込みました。
 青年も興味しんしんといった様子で、翻訳書の作業を切り上げて駆けつけました。
 ──きらめく星をばらまいたような夜空の下、眠気すら誘う一定の拍子で、無数の波が波止場に寄せては返しています。
 潮の香りが漂い、夜風はひんやりしていて、こんな夜に外でお酒でも飲めれば、一層おいしく感じ、ゆっくり眠ることができるでしょう。
 しかし青年の目の前には怪しくこつな貨物船が浮いているのです。お酒を飲むどころか、睡眠とは程遠い好奇心と緊張感で眠るどころではありません。青年は貨物船を見上げます。
「積荷は一体、何でしょうか?」
 涙屋は髭を揺らして小さく言います。
「嫌な予感がする」
 青年と涙屋の二人は忍び足で船に潜入し、船底を目指しました。
 昼間から酒ばかり飲んでいたためか、船内のそこかしこで、船員の多くがいびきをかいて寝ていました。
 起きている者は何人かで固まり、博打をしています。
 船底にあるせんそうの扉には鍵がかかっていましたが、涙屋の機転から、青年の硬い仮面を使って無理やり開けることに成功します。
 重い音をたてて、扉を開けると、薄暗い空間が広がっていました。
「これがつみ?」
 目を凝らしてみると、木製の樽が数十ありました。
 青年は、再び硬い仮面を使い、そのなかの一つを叩き割ります。
 すると、砂粒のように粗い砂糖が流れ出てきました。
青年が砂糖の一部をすくい、ぺろりとめてみます。
「どうして、こんな大量の砂糖が?」
「大事なのは、砂糖のほうではない」
 涙屋は突然、砂糖のなかに手を突っ込みます。
 引っ張ってみると──長身の銃が現れました。
「兵器だ。兵器を密輸しているのだ」
 鉄製の、ズッシリと重い、人を殺すために作られた銃です。
 青年はごくりと硬い唾を飲み込みます。
「一体、これは、どういうことなんですか?」
 涙屋は声を低め言います。
「王だ。兵器の密輸は王が行った。そのために代弁者を総理大臣にしたのだ」
「何故、代弁者を?」
「王は民衆に嫌われ、歴史に悪人として残ることを恐れている。だから戦争を始める大罪を、背の低い代弁者になすりつけるつもりだ」
「戦争って、どうしてそこまで?」
 涙屋は友達を想うような気持ちで、舌打ち交じりに言います。
「原因は、王のくせに、恐れるものが多いことだよ。揺るがぬ山の逆、まるで大海に落ちた木の葉のように、彼の心は臆病だ」
 次に涙屋は強く目をつむります。
 まぶたの裏には、女の国を語る、王の姿がありました。
「そして特に恐れていたのは、魔女だ。魔女がいる女の国を恐れた」
 すると青年があることに気づきます。
「あれを見てください」
「なんと、これは!」
 奥のほうを見てみると、いくつかの樽が、すでに開けられているのです。
 青年は開いた樽の数を数えました。
「すでに七丁の銃が、なくなっています」
「撃つのか、今日」
 と涙屋はくやしそうに言って、部屋に背を向けました。
 涙屋と青年は急いで船を出て、町を駆け抜け、城に向かいました。
 青年は涙屋の背中を押しながら言います。
「消えた七丁の銃は、どこに行ったのでしょうか?」
「鼻たれがこの国の警護をまかされている、彼を探すんだ!」
 男の国の空が、間もなく夜明けを迎えようとしていました。


 鼻たれの部屋を訪ねても彼はいませんでした。
 彼は寝ることが好きな男でしたが、並外れた体力と特殊な体質から、一週間は寝ないで働くことができる男でした。
 それから城中を駆け回り、城のかいろうで鼻たれを見つけます。
 彼はにこにこした様子で二人に手を振りました。
「やあ、久しぶりだね、二人が一緒にいるなんて」
 しかし青年は、血相を変えて鼻たれの両肩をつかみます。
「鼻たれ、今日、これから変わった予定はないか?」
「変わった予定?」
 涙屋がこう言いました。
「たとえば、処刑だ。処刑に関する指示はなかったか?」
 鼻たれは大きく口を開けます。
「あ、ああ、処刑があるとは聞いているよ。うんうん、女の国の捕虜のなかでも、特に頑固な重罪人を処刑するって」
 涙屋と青年は「それだ!」と顔を見合わせます。
「いつやるんだ!?」と青年が叫びました。
「こ、これからだよ。朝一番だと聞いているけど」
 涙屋はそこで、気づいたことを口にします。
「王は、新たな武器の実験に、捕虜を使う気か」
「止めないと!」と青年が再び駆け出しました。
 涙屋は悪い予感を抱き、鼻たれにこう言い残します。
「町を抜けて港に向かってくれ。黒い船に大量の銃がある。いたずらに持ち運ばれないよう、急いで封鎖してほしい」
 涙屋の言葉に緊急性を感じた鼻たれは、顔色を変え、港を目指して駆けました。


「──うう、う」とすすり泣く女たちの声。
 彼女たちはいずれも、麻の袋で顔を隠されていました。
 城の裏手の広場には、林を背に、七名の女性が膝を突いています。
 城壁を背に、銃を構える七名の兵士がいました。
 彼らの横には、王が立っています。
 王は低く、冷たい声で言いました。
「これより捕虜の処刑を行う」
「あ、あの、王よ」と総理大臣もいました。
 彼は王の隣であごを震わせます。
「しょ、処刑は、昔からある、毒茸を用いたやり方でいいのでは?」
「あれは捕虜を脅すための迷信だ。実行したことはないだろう」
「な、なな、何も、命を奪わなくてもいいのでは……」
 するとそこに、青年が駆けつけます。
「代弁者の特権で、その処刑、中止をお願いします!」
 青年はそう言うと、身を挺して七人の捕虜の前に立ちふさがりました。「ならばその特権、はくだつする」と王が返します。
 次に、涙屋が王の前に立ちました。
 涙屋は「ぜえ、ぜえ」と大きく息継ぎをしてから王を睨みます。
「王よ、引き金を引けば、女の国との、和平への道が閉ざされてしまいますぞ」
「撃て」
 二人の必死の阻止などそよ風にも感じない様子で、王はちゅうちょすることなく、兵にそう命令しました。
 六人の兵は戸惑い、震え、撃つことを躊躇ためらいましたが、中央に立つもう一人の兵はさらに緊張し、太鼓のような王の声にビクリと身体を震わせます。
 その拍子で指が引き金を引き、一発の凶弾が宙を裂きました。
 銃声は町のほうにまで響き渡り、弾は青年の顔面を直撃します。
 涙屋が声にならない声で青年を呼んだ瞬間──大気を震わすほどの破裂音が、空から聞こえました。
「なんだ?」と王が空を睨みます。
 いつの間にか、空には重い雨雲がたれこめていました。
 しかしその雲はやや赤みがかっています。
 涙屋は、柘榴ざくろ色とも言える、その雲の色に見覚えがありました。
 すると蛍のような灯火が、ゆっくりと落ちてきて、兵たちの肩に落ちました。
「ひ?」
「火だ!」
 兵は互いの肩を叩き、火を消します。しかし次々と、まるで雪のように、小指の先ほどの火の玉が空から降ってきたのです。
 一方、城にある見張り塔で、二人の兵士が海を睨んでいました。
「お、おい、あれを見ろ」
 と兵が指差す向こう海に、人影。
「な、何と!」
 彼女は水面に立ち、雨乞いをするように、肉色の曇天に両手をかざしています。女の唇もまた、そのときの空と同じ色でした。彼女は火の雨を降らせる〝柘榴色の魔女〟と呼ばれていたのです。


 鼻たれが、火の雨のなか、サイのような勢いで地面を蹴り、男の国の町を駆けていました。
 しかし彼の目の前で、一軒の頑丈な民家が、巨大な足によって踏み潰されます。
 その足の大きさはかかとが家一軒ほどもあり、小指は鼻たれのきょと同じくらい。手品のように、その足だけが宙から突然現れたのです。
 それは、まさに巨人の足でしたが、爪だけは美しいぞう色に彩られているのでした。
 鼻たれは、その光景に立ちすくむばかりでした。しかし次の瞬間、その巨大な足が彼を蹴り飛ばしたのです。
 鼻たれの身体からだは、二棟の民家の壁を突き抜けてようやく勢いを殺しました。
 それは怒り狂う女の足。
〝象牙色の魔女〟の、膨れ上がった足でした。
「痛たた、火の雨に、大きな足。何が起きてるんだよう」
 と、ぼやいて、鼻たれが立ち上がろうとすると、彼の鼻をくすぐる小さな何かが数多くいたのです。
 目を凝らしてよく見てみると、それは小さなはねを持つ、「虫?」
はく色の魔女〟という存在が操る雌の蚊でした。
 その魔女は、民家の平らな屋根の上を陣取り、鼻を垂らした大柄な兵士に微笑ほほえみを向けています。
 その日、七色七人の魔女が、男の国に攻めてきたのです。