第十話 男の国の選挙、獣の森の秘密

 王と涙屋が対話した次の日の早朝には男の国の選挙管理委員会が発足。国民に『開国するか否かについての選挙』の知らせが伝えられました。
 それからたった二日後が投票日でした。
 投票日の当日になると、国民の家にはまんべんなく赤い札が届きます。
 その札は一度お湯にらすと青くなる特殊な紙でできており、開国に賛成の者はそのまま赤を、反対の者は湯に浸し青くした札を、国の中央広場に設置された投票箱に投じます。
 投票箱は百個用意され、二百人の選挙管理委員が箱の周囲に立ち、不正な投票がないか見張りをします。
 また投票率においては、全国民の九割が投票しなければ、選挙の行方は無効となり、後日やり直すことになります。
 委員会が発足したその朝から、町のいたるところに賛成党と反対党の党員が立ち、演説をはじめました。
 反対党は、反対に一票を入れた者には、珍しい、とっておきの御馳走を与えることを宣言します。しかしそれは選挙法に抵触するので、委員会の厳重注意を受けます。
 それから反対党は『開国した場合の、暗い未来』を語りました。
 開国すれば外国から多くの犯罪者や密偵が来てしまうことや、何か欲しい物がある際は金銭を支払うことになり、数字を数えるのは面倒ではないか、ということ。
 そしてゆくゆくは、経済的な重圧がこの国を襲い、数字に強い諸外国に支配されてしまう。そんな暗い未来を語りました。
 賛成党の者は、主に『開国した場合の明るい未来』を演説しました。開国すれば新たな職業が増え、その際に新たな役職を与えることができる。先天的な才能だけでなく、後に学んだことを生かした職業も増えるなど、希望の未来を大きく宣言しました。
 多くの国民にとって、突然の選挙は寝耳に水の様子でしたが、その日の晩には、皆がそれぞれの主張に耳を傾け、友人同士で国の行く末を議論するようになります。
 投票日の前日になると、反対党率いる多くの有志者が、城の前の広場を陣取り「開国反対」と叫ぶ行進をはじめました。
 その数は数百人に上り、開国に反対する旨が書かれた旗を皆が背負ったり、自分たちの主張を大きく叫んだりして、開国への難色、果ては選挙や、王や代弁者に対する不満も口々に叫ぶのでした。
 男の国がとてもうるさくなった投票日の前日のことでした。
 それでも真実の青年は自室にこもり、翻訳書の制作に当たっています。そして一方で、涙屋の老人はというと、鼻たれを従え、獣の森に向かっていました──。


 ──鼻たれが操縦した小舟が、獣の森の島、南の浜辺に辿たどり着きます。海の間近まで森が迫り、木々の隙間は暗闇です。
 涙屋は浜辺に降り立つと、島を覆い尽くす暗い森をにらみました。
「ここが、獣の森か」
 鼻たれは「よいしょ」と小舟を肩で担ぎ、涙屋の背中に向かって言います。
「爺さん、あんたは我が国の代弁者になったのと同時に、選挙管理委員の長になったつーのに、いいのかい?」
 涙屋は森を睨んだまま、興味がなさそうに言います。
「大事なことはすべて伝えてある」
「まったく、どうしてそこまでして獣の森なんかに?」
「今のうちに、確認しておきたいことがある」
「確認って何をだい?」と言いながら、鼻たれは小舟を森の手前にずしんと置きました。
 涙屋の手には甘い匂いのする小包がありました。彼はそれを掲げて言います。
「獣の正体だ。この目で見極めてみたい」
「それも代弁者としての職務かい?」
「だから船を借りることができた」
 それから二人は獣の森に入って行きました。


 涙屋を、危険な森に案内することを、鼻たれは最後まで抵抗しました。
 海の風は病み上がりの老体にはこくだし、獣の民はばんで鼻たれほどの力持ちでも大勢で襲われれば涙屋を守ることは難しくなります。涙屋は既に、この国の代弁者の一人であり、王の次に尊い存在でした。
 しかし涙屋もがんとして譲らず、とうとう鼻たれのほうが根負けして獣の森に彼を案内したのです。
 鼻たれは、涙屋に前を歩かせました。視界にいてくれたほうが守りやすいのが理由です。そして彼は、コココン、コンッ、と二本の木の棒を軽快に鳴らしながら森を進みました。
 楽しそうな音を出したり、キラキラした装飾品を身に着けていると、獣の民が現われやすいと鼻たれは知っていました。
 涙屋も、小男の代弁者から派手な腕輪を借りて、それを見せびらかすようにして森を進みました。
 獣の民との遭遇は、間もなくのことでした。
 二十回目のコココン、コンッを鳴らしたとき。鼻たれが立ち止まり、木の上を睨みます。
「いるなぁ」
「わかるのか?」と涙屋もその木の上を見ます。
 鼻たれはズッと鼻をすすります。
「最近襲われたばっかだから、わかるもんだよ。あいつら、鼻たれにもわかるほど臭いんだ」
 言われてみれば、涙屋の鼻にも、ほのかに獣臭がします。それはふん尿にょうを放置したような臭いでした。
 鼻たれはあごを小さく振り、涙屋に、獣の民がいる位置を伝えました。
 すると、涙屋は持っていた小包を広げます。
 それは、男の国には存在しないはずの、甘い、とても甘いお菓子でした。卵と砂糖をふんだんに使ったふわふわのお菓子で、包みを解いた瞬間、ほうじゅんな香りが一帯に漂います。
 鼻たれもごくりと唾を飲み込みました。
「道理で、鼻たれのお腹も鳴るわけだ」
 彼は小舟を漕ぐ間ずっと、ほのかに香る小包が気になって仕方がなかったのです。
 香りが強い原因の一つに、男の国名産の地酒がありました。その酒をほんの数滴、隠し味として垂らすことで、甘く美味しそうな香りが何倍にも増すのです。
 それは隠れている獣の民の鼻にも届きました。
「しゅっ、しゅっ」
 そんな声とともに、辺りから七人の獣の民が現われます。
「こ、こんなにいたのか、気づかなかった」
 鼻たれが驚くのをに、七人の獣の民は槍を構え、涙屋たちを囲うように近づいてきます。
 獣の民は皆、小さな唇をタコのように尖らせ、「しゅっ、しゅっ」と鳴いています。
「興奮しているのか?」
 鼻たれも槍を構え、獣の民の様子を慎重に観察していました。
 すると涙屋はその場に座り込み、お菓子を地面に置きました。
 そして鼻たれにも座るように言います。鼻たれは渋々地面にあぐらをかきますが、槍は離しませんでした。
 間もなく獣の民の一人、小さな少年が、菓子をわしづかみにします。
 しかし、涙屋が間髪入れずにその小さな手をたたきました。
「しゅっ!」と涙屋の鼻先に槍が迫ります。が、鼻たれの太い槍がそれを防ぎました。
 槍同士が起こす風が、涙屋の白髭をふわりと浮かせます。しかし彼に動じた様子もなく、真っ直ぐに少年の目を見て、地面を指差します。
「あげるから、ここで、食べなさい」
 その言葉と、手による仕草は、その後何度も繰り返されました。
 途中、何度かいらいらした少年たちが槍を突きますが、その度に鼻たれが涙屋を守りました。
 終わりの見えない攻防に、食いしん坊の鼻たれも弱音を吐きます。
「も、もう止めましょうよ。お菓子はもったいないけど、くれてやって、船に戻りましょうって」
「もう少し待ってくれ」
 けれど涙屋は根気よく、獣の民に気持ちを伝えました。
 その粘り強い対話は数十分後に実を結びます。
 ──根負けしたのか、あるいは涙屋の穏やかな様子に感化されたのか、一人の少年が涙屋の膝の上で菓子を食べるようになったのです。
「鼻たれくんも、ほら、一緒に食べよう」
「す、すげえ」と鼻たれも信じられない様子です。
 すると他の獣の民も、大樹で遊ぶ子猿のように、涙屋の白髭を引っ張ったり結んだりしながら、菓子を食べるようになりました。そこに鼻たれも加わり、彼らは涙屋に言われるまま、お菓子を分け合って食べました。


 数時間後には他の獣の民が散り散りに森の奥へ帰っていきましたが、一人の、小さな少年だけが最も涙屋になつきます。
 その少年はぼさぼさで重そうな黒髪で、下あごの前歯が欠けていて、菓子の匂いにぽたぽたとよだれを垂らしていました。
 涙屋はその少年を『よだれ』と呼ぶことにします。
 よだれは涙屋に対し「しゅっしゅっ」としきりに何かを話しかけました。鼻たれは、涙屋の膝に座るよだれの顔をのぞき込みます。
じいさん、この子が言っていることがわかるのかい?」
「いいや、独特な言語だ。だが、表情や仕草から読み取ると、赤ん坊がぐずるのと同じような、感情的な言語に思える」
 少年が菓子に手を伸ばすと、涙屋は自身の唇をトントンと指差してからお菓子を差し出します。
 はじめ少年は構わず菓子を奪おうとしますが、根気よくその仕草を繰り返すと、やがて少年は自分の唇をトントンと叩くようになったのです。それが「お菓子が欲しい」の合図となりました。
 鼻たれは「へえ」と関心した様子でそのやりとりを見つめました。
「言葉が通じないやつとは、そうやって会話するのか」
「とある国で知った赤子と会話する方法だ」
「アカゴってのはわかんねえけど、他の国にも獣みたいな連中がいるんだな」
「うむ。よだれはそうめいだな。意思疎通に時間はそうかからないと思う」
 鼻たれは、涙屋の言動から、あることを察しました。
「爺さん、まさか、もう一度、ここに来る気なのか?」
「いいや」と涙屋は首を横に振ります。
 すると小さなよだれも一緒になって首を横に振りました。
 ほっと肩をで下ろす鼻たれに、涙屋はこう続けます。
「一度ではない。これから時間を見つけて、ここに通うつもりだ」
 普段温厚な鼻たれも、涙屋の提案にはぎょうてんしました。
「そ、それってつまり、よだれに言葉を教えるのか?」
「ああ、時には言葉を教えてもらう」
「しゅっ、しゅっ」とよだれは興奮した様子です。
 鼻たれはあきれた様子でした。
「未だかつて獣の民と意思疎通した奴はいないし、そんなことして何の意味があるんだ?」
「彼らは子どもだ。子どもは未来そのもの。女の国と男の国の未来に、深く関わる存在に思えてならない」
 それから時間を見つける度に、涙屋は獣の民の子どもたちと交流し、鼻たれも同行することになります。


 そんな出来事の次の日。その日は、男の国を開くか否かの、大切な投票の日でしたが、数々の異変が起こりました。
 早朝のことです。涙屋は、小男の代弁者の呼び出しによって叩き起こされ、城の中庭に来るように言われます。
 涙屋が眠たい目をこすって中庭におもむくと、雨が降っていました。
 代弁者が腕を組んで激しい口調で言います。
「とんでもないことが起きた。選挙は中止すべきだ」
 涙屋は不思議そうに雨を見つめます。
「中止って、ただの雨じゃないですか」
「打たれてみろ」と代弁者。
 涙屋は屋根から一歩中庭に出て、どんてんを見上げてみました。
 無数の雨粒が涙屋の顔に当たります。
 涙屋は数秒雨に打たれ、異変に気づきました。
「なんと、これは!?」
 不思議なことに、それは温泉水のように温かい雨だったのです。
 涙屋は兵の一人に頼み、ある物を持ってこさせました。
 それは投票用紙に使った特殊な赤い紙でした。
 お湯を垂らすと青に変色し、元には戻らないのが特徴です。
 涙屋がその紙を雨にさらすと、紙はハッキリと赤から青に変色しました。
「この熱いくらいの雨は、一体?」
 代弁者が「ふんっ」と、不機嫌そうに言います。
「女の国の仕業としか考えられない」
「一体、どうやって?」
「彼の国は気象を操る」
 大きな太鼓を叩いたような重い声がしました。
 涙屋と代弁者の背後から、王が現われたのです。
「これはこれは、良き友の王よ、おはようございます」
 代弁者が頭を下げると、続いて涙屋も丁寧にお辞儀しました。
「女の国が気象を操るとは、一体?」
 良き友の王は、北の空を睨みます。
「我輩はこの目で見たのだ。女の国の女王は、七人の魔女を従えた〝虹色の魔女〟と化していたとな」
「何と!」と代弁者が大げさに声を上げます。
 王はどこか得意気な様子で続けました。
「彼の国は、既に〝魔女の国〟と化している。この熱い雨は、あの女が使えきする魔女の一人の仕業だろう!」
 涙屋は改めて温かな雨を観察しました。地面をえぐるほどの大粒で、よく見ると湯気もただよっています。まるで天から温泉が噴き出したような雨でした。
 代弁者が言います。
「投票用紙は湯によって変色し、変色すると開国への反対票となる」
 継いで涙屋が言います。
「ええ。懐に隠すなどしてしのぐ手もあるが、湯気ですら色が変わる紙。反対票が激増するのは間違いがないでしょうね」
「奴らめ。男の国の選挙の情報をどこぞから聞き出し、妨害する気なのだ」
 涙屋は冷めたしろひげをさすります。
「つまり、女の国は、この国の開国に反対している、とも取れます」
 突然、代弁者は王を見て言います。
「王よ。開国について、王のご意思をお聞かせください」
 涙屋が間に入ってきました。
「聞いてどうするのです?」
「選挙は中止だ。王の意思を国民に伝え、それに従わせるまでだ」
「反対です」と涙屋は厳しい目をして言いました。
「何故だ?」と代弁者が苛々した様子で歯を見せます。
 涙屋は代弁者から王に視線を移してこう言いました。
「王の意思は公にしないとします。それで国民を従わせては選挙を提案した意味がない。王は王、国民は国民です。選挙は王を除く全国民が対象であり、開国という大きな節目を、民意で決めることに大きな意味があるのです」
「お、王のご意思を、無視する気か!」
「選挙をすることを決めたのが王のご意思でしょう」
「争うな。髭の代弁者が言っているのはもっともだ。それでいい」
 王は温かな雨を見て言います。
「それより今はこの雨だ。投票まで間もない。このままでは、投票箱に向かう最中に、多くの投票用紙が開国反対の色に染まってしまう。それは民意ではないだろう」
 代弁者は、背後に控えている兵士たちに合図を送ってこう言います。
「こんなことははじめてです。つまり、魔女は近くから雨を降らせている。この国に魔女が忍び込んだ恐れがある。わたしはこれより、魔女を探しに行きます」
 王は涙屋のほうを見ました。
「髭よ、貴殿はどうする?」
「仮にこの国に魔女が忍び込んでいて、探しても、まあ、無駄でしょうね。まず間に合わない」
 代弁者はさらに苛々した様子で、温かなみずたまりを蹴ります。
「じゃあどうしろと言うのだ、ああ、またうさぎでも放つか!?」
 少しの間の後、涙屋は青くなった投票用紙に使った紙を目前に掲げてこう言いました。
「投票用紙の規則を変えます。色ではなく形に」
「どういうことだ?」と王が首を傾げます。
 涙屋は、紙の角を小さく折ると、角を切り離して見せました。
「開国に賛成ならそのまま四角い用紙で、反対なら四隅の一角を切った五角形で投票させればいいでしょう」
 代弁者の甲高い声が涙屋に言います。
「しかし投票用紙は既に配り、説明もしてしまったぞ」
「そのための管理委員です。投票箱周辺に二百人います。投票直前に、彼らに説明させます」
「王よ、いかがでしょうか?」
 と代弁者が王の顔を見上げます。
 王は大きく頷きました。
「白髭の代弁者の知恵に、あやかろう」
 こうして、涙屋の提案通り、色ではなく形で投票が行われました。


 温かい雨が降る男の国。男たちは投票用紙を持って中央広場に集まります。その場で選挙管理委員が大声で説明します。
「開国に賛成の者は用紙をそのまま投票し、反対の者は四隅のどれかを切り落として投票してください!」
 見返りの少ない荷物持ちの仕事をなりわいとする男は、強い想いで開国を願い、そのままの投票用紙を投票しました。
 今のこの国に満足している大臣の一人は、開国などもってのほかだ、という気持ちから、四隅をすべて切り落としてしまい、渋々それを投票します。
 強い想いを持って賛否する者もいれば、ただなんとなく、列に並ぶ前の者と同じ票を入れたり、この時間が面倒で早く過ぎればとそのまま票を入れたりする者もいました。


 その日の晩。無事に投票が終わりを迎えました。
 管理委員の見積もりでは、国民のほぼ全員が投票を行っています。
「投票は、まだ間に合うかな?」
 ところが、投票所に、夜空を背負った一人の大男が現われます。
 その場にいた選挙管理委員の男たちは皆驚きました。
「お、王よ、お戯れを!」
 その大男は、猟師の格好をした良き友の王本人だったのです。
 戸惑う管理委員に、彼はこんなことを言います。
「己は王ではない。猟師をしている。国民の多くが、猟師である己の存在を証明できる」
 さらに、彼は投票用紙を見せました。
「何より、我が家にもこの投票用紙が届いた。つまり己はこの国の、国民の一人だ」
 委員の一人が確認すると、間違いなく本物の投票用紙でした。
 困り果てた管理委員は、小男の代弁者を呼びます。
「ああ、えっと、これはこれは」
 しかし代弁者も萎縮して、猟師を名乗る王に、何も言えません。
 結局、王は猟師としての身元を貫き通し、自身が持つ一票を投票します。
 涙屋の耳にその一件が届いたのは開票後のことでした。
 最後の投票が終わり、選挙管理委員によって厳正に票数が数えられました。
 二百人の選挙管理委員が各々で何度も集計を確認し合い、やがてその結果がわかりました。
 そして小男の代弁者と、白髭の代弁者に集計結果を渡します。
 代弁者ははじめその結果を見たとき、目を丸くします。
 次に震える声で言いました。
「た、たったの一票差──開国に対する賛成票が上回った」
 その瞬間、男の国の開国が、決定したのです。


 経済に宗教に技術。何より多くの志を持った人々。
 開国はこの国に新たな風をもたらします。
 しかしその結果、七色の魔女をも呼んでしまうことは、まだ誰も知りませんでした……。