『小説 土佐堀川』への道

第4話 見えてきた広岡浅子の実像

第4話 見えてきた広岡浅子の実像

 まったく分からなかった広岡浅子という女性の実像が、大同生命の協力によって徐々に見えてくるようになり、さらに広岡家まつえいの生存も分かり、西宮市雲井町にある広岡家にうかがった。
 
 雲井町の広岡家は浅子の夫・信五郎のそくしつだった小藤の系統になる。六甲山ふもとのなだらかな坂道のすそにあり、豪商の子孫に相応ふさわしい立派なていたくであった。浅子は女子を一人だけしか産むことができなかった。九州の炭鉱経営で家を留守にすることが多く、夫の世話を実家の三井から連れて来た付き人の小藤にたくしたのである。
 
 小藤は広岡家の長男を産み、4人の子宝にめぐまれた。じゆうじゆんけんきよ、決して出しゃばらずにつねに浅子を立て、二人の間には絶妙なバランスが保たれていたようである。小藤の存在で、浅子も安心して事業に打ち込むことができたのであろう。

 取材にうかがった雲井町の広岡家では、大同生命4代目の社長だった小藤の長男・松三郎氏は亡くなっていたが、夫人の貞子さん(国連大使沢田廉三氏の令妹)が健在で、浅子の写真など数々の資料があり、多くの収穫を得ることができた。

 さらに加島屋本家の子孫があしの高級マンションにきよじゆうしていると聞き、そちらにも伺った。マンションの一室には古い長持ちが大切に保管されていた。中身は各藩への貸付金の借用証である。和紙なので虫にわれているものもあったが、大かたはそこなわれずに残っていた。どれも幕府のたいせいほうかんの政変により貸付金はげ付いて、同然になった証文ばかりである。返済期限は50年年賦、ずいぶんと長きにわたるものも多い。神かけて返済すると神札まで貼り付けた借用証もあって、各藩がいかに財政困難におちいっていたかがよく分かった。

 多くの借用証の中には新撰組のものもあって、400両、現在の金額にして2000万円もの借金をしている。ひじかたとしぞうこんどういさみの署名を見た時、急に歴史が身近に感じられ、ゆるしを得て二人の自筆の名前の上をそっとさわってみた。人は死んでも借用証は歴史の遺産物として残っている。そう考えたとき、私は歴史小説の執筆をこころざしたことのぎようこうをしみじみと思った。それらは今、貴重な史料として大同生命保険会社に保管されている。

 さらに、浅子の一子である亀子の長女の生存も分かった。東京・目黒区に在住し、国際基督キリスト教大学の教授夫人になっている神田多恵子さんである。神田さんは浅子の正孫に当たる。大阪の取材から埼玉に帰り、さっそく神田さんに電話連絡をして渋谷のハチ公銅像前で会う約束を取り付けた。

 約束の日に会った途端、白髪の多恵子さんが晩年の浅子のおもかげに似ているのに驚かされた。とは言っても、浅子は写真でしか見たことがないのだけれど。駅前の喫茶店でお話を聞いている間、まるで浅子に会っているような気がして心がおどった。

(2016年『潮』1月号より転載)

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