『小説 土佐堀川』への道

第3話 “大阪一のビルの設計を”

第3話 “大阪一のビルの設計を”

 何としても広岡浅子を書かなくてはならない。しかし資料がない。考えたあげ、私は浅子が豪商三井の出身であることに目をつけ、後に日本最大のざいばつとなった三井家関係のりようが保存されている三井文庫に行くことにした。三井文庫は一般にも公開されていて、私が住んでいる西武新宿線の新井薬師前駅から徒歩6分の場所にある。にはめぐまれていた。

 三井文庫に行き、史料を出してもらった。三井家の始祖し そは三井たかとし、その子供たちが十一家としてそれぞれ独立している。浅子のしゆつは、三井十一家の中でみず家と呼ばれている家である。

 そこまではわかっていたので、出水家(後に東京に引っ越して小石川家となる)関係の史料に当たってみた。ぼうだいな量だったので、かなりの苦労はあった。

 しかしついに見つかった。読み進むうちに、「広岡浅子」の4文字を発見した時の喜びは今も忘れることができない。父親の名前は三井出水家六代目のたかます、浅子の幼名は照、他にも三井関係の人脈についてかなり詳しく知ることができた。

 しかし浅子が三井家にいたのは嫁に行くまでの17年間であり、知りたいのはむしろじまとついでからのほうである。加島屋は三井家の史料を調べても出てこない。加島屋関係の生存者はいないのであろうか。何とかして探し出さなくてはならない。

 これと前後して「明治大正を生きた女たち、十五人」という特集を組んだ雑誌があり、その中に広岡浅子の名前があった。書き手は作家のくにみつろう先生、それを買って読み、浅子の人生のアウトラインをつかむことができた。さっそく、先生に、広岡浅子について調べているので教えをいたいむねのお手紙を差し上げ、京都・真如堂近くのお宅へ行ってお話をうかがった。浅子が大同生命の創業に関わったことも知り、大阪の大同生命への取材も申し込んだ。無名の物書きをもんぜんばらいすることもなく、実にていちようなもてなしを受け、会社の70年史などの資料をいただくことができた。

 取材当時の大同生命ビルも加島屋跡の土佐堀川はんにあり、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計で、大正14年にしゆんこうしたものである。『小説 土佐堀川』では、大正8年没の浅子がビル落成の祝賀会に出席したことになっている。実際には浅子はビルの完成を見ずに亡くなった。浅子の新ビルへの期待度は大きく、ヴォーリズに大阪一のビルを設計させたいと考えていた。浅子へのちんこんの思いを込め、小説ではビル落成の祝賀会に浅子が出席して祝辞を述べる光景を書いた。設計途中で関東大震災があり、たいしん強度への配慮、エレベーターや空調などの近代設備がこうりよされ、大阪でもくつのビルの完成を見たのである。

(2015年『潮』12月号より転載)

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