『小説 土佐堀川』への道

第2話 身を捨てて家再興に尽力した広岡浅子

第2話 身を捨てて家再興に尽力した広岡浅子

 広岡浅子、まだ女性の地位が低くさんじゆう思想(家では父に従い、嫁しては夫に従い、夫亡きあとは子に従う)が色濃かった時代に、自らほつしんして事業をおこす。しかもばいしゆうしたこうざんで、あらくれたんこうの中に入ってしつせきし、自らも一緒になって働いた。ピストルを携帯して鉱山へ行ったという一文に、私は特に心惹こころ ひかれた。しかし書きたいと思う浅子についての資料は、「大日本女性人名辞書」以外には全くない。今ならインターネットで検索すると広岡浅子についての資料をかなり見ることができる。しかも拙著『小説 土佐堀川』がNHK連続テレビ小説「あさが来た」の原案に決まってからは、記述がいっそう増え、浅子の写真もけいさいされるようになった。しかし三十余年前はパソコンも携帯電話もない時代、電話にファックス機能もついていない。執筆の資料といえば、図書館にかよって調べるしか方法がなかった。

 何か広岡浅子について参考になるものはないのだろうか。私は、実在した女性を取り上げてその活躍を書いた「近代日本の女性史」というシリーズ本に当たってみた。第六巻に女商人として、鈴木よねや相馬黒光、野村ミチなどについては書かれている。しかし広岡浅子は取り上げられていない。他にもこの種類の本を読んでみたが、やはり浅子に関する記述はなかった。つまり浅子ほどの活躍をした女性が、正当な評価をされずにほうされていたのである。

 一方、鈴木商店の鈴木よねの名前はかなり有名である。神戸の砂糖商から出発した鈴木商店はよねの夫・岩治郎が亡くなった後も、らつわんの番頭金子直吉によって発展のいつをたどる。樟脳しようのうの販売、製鋼、製粉、塩、造船、石油やビールにまであきないを広げ、総合商社のていをなしていく。年齢はよねが浅子よりも三歳年少で、ほぼ同時代を生きている。

 鈴木商店の規模は、じまよりもはるかに大きい。しかしその発展は、よね自身よりもほとんどが大番頭金子直吉の力によるものであった。鈴木商店は昭和二年の金融恐慌きようこうで倒産し、名前は完全に消え失せた。一方浅子が創業にかかわった大同生命は、時代の厳しい波を乗り越えて生き残り、本体も名前も当時のままではんえいしている。浅子が経済面を担った日本女子大学もけんざいである。

 ほかにも嬉野うれしの茶をあきない、ぼうだいな量の日本茶を輸出するようになったおおうらけいという女商人がいる。慶は商売の利益を坂本竜馬のかめやましやちゆうきんのうの志士たちへの支援に充てた。これによって慶の名は残ったが、最後はに遭って莫大な借金を抱え、返済はしたものの57歳でさびしい生涯を閉じた。いずれにしても浅子ほど身を捨てて家再興のために尽力した女性はほかにはいない。やはり広岡浅子しかいない、私のその思いに変わりはなかった。

(2015年『潮』11月号より転載)

関連書籍紹介

『“あさ

『“あさ"が100倍楽しくなる 「九転十起」広岡浅子の生涯』 古川智映子監修

潮出版社ホームページでのご購入はこちら
Amazonでのご購入はこちら
文庫『五代友厚――蒼海を越えた異端児』

文庫『五代友厚――蒼海を越えた異端児』 高橋直樹著

潮出版社ホームページでのご購入はこちら
Amazonでのご購入はこちら
top
Copyright © 2015 USHIO PUBLISHING CO.,LTD. All Rights Reserved.