『小説 土佐堀川』への道

第1話 14行で知った広岡浅子の生涯

第1話 14行で知った広岡浅子の生涯

 三十数年も前のこと、女性の生き方に関心のあった私は、日本歴史に名を残した女性の生きかたについて知りたいと思い、たかむれいつ(女性史研究家)著の『大日本女性人名辞書』を片端から読んで行った。ひろおかあさという人名は、その中にあった。これまで全く聞いたことのない名前であり、さらに社会にもほとんど知られていない人である。二段組みのあつい辞書の中で、浅子についての記述はたったの14行、そのがいりやくは次のようなものであった。

「広岡浅子、近代日本初の女性実業家、嘉永二年、京都油小路三井出水家に生まれる。17歳で大阪の両替商加島屋に嫁いだ。維新変革により家運が傾かんとするや、自ら立って難局に当たり、単身上京して諸侯御用金の整理に着手して功を収めた。さらに店務を総括して商運を転換し、実業家として大成した。鉱山の経営もし、つねにピストルを携行して坑夫等と起居を共にした。晩年は社会事業や女子教育にも力を入れ、日本女子大学創立に深くかかわり、成瀬仁蔵を援けて資金面の調達に尽力した」

 浅子が生まれた嘉永2年から亡くなった大正8年までは、日本歴史の一大変革期であった。徳川幕府が大政をほうかんしたという政治形態だけではなく、日本経済もまた大きな変化をなし遂げたのである。
 
 当時国内で使われていたへいは、主として江戸の金づかい、かみがたの銀づかいなどの複数制だったが、おおくらの少輔しよう伊藤博文の主張によってきんほんせいに一本化された。浅子がとついだじまは金貨と銀貨との両替をあきない、その手数料で得たぼうだいな利益を諸大名に貸し付けていた。貸し付けた先は数十藩にもおよんでいる。しかし藩制はなくなり、貸付金は返済されずにげ付いた。大阪の両替商は次々と倒産していった。
 
 加島屋の貸付金は、現代の金額になおすと4500億円にものぼるという。加島屋も他の両替商と同じように倒産を待つだけなのか。ここで浅子はかんぜんと立ち上がる。浅子にはもともと豪商三井家の血が流れていた。生来の負けん気がそれにはくしやをかけた。夫の信五郎は良家のボンボン育ち、苦労知らずのらくてん、謡曲などにうつつを抜かすしゆざんまいの毎日である。浅子は嫁入り早々、番頭まかせでのんびりした店の雰囲気を素早く感じ取り、先行きの商いに不安を抱いていた。それが時代の変化によって早まったことを知る。両替商という商いはもう成り立たない。浅子は石炭需要の高まりに気づき、新商売に乗り出す。女だてらにピストルをけいこうしての鉱山経営、それは私にとっては大きな驚きであった。

 書いてみたい、広岡浅子のことを小説に書きたい。私の中で夢が広がり、浅子らいさんの思いが強くなった。

(2015年『潮』10月号より転載)

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